「 人生の快樂何れの邊に在りや 」
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時事新報に掲載された「 人生の快樂何れの邊に在りや 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人生の快樂何れの邊に在りや
人生の快樂は何れの邊に在りや高帽峨冠、廊堂の上に坐して百官を進退しその一顰一笑以て千萬人を喜憂せしむるものは政治家の快樂にして錦衣玉食肥馬輕車一夕の豪興に千金を費し去て顧みざるものは素封家の快樂なりその快樂何れも快樂に相違なしと雖も學者流の目より見れば斯の如きは一世の俗人を欺くに過ぎずして其心術の最も卑劣なるものなり學者の快樂は之に異なり讀書推理その精神を高尚にし一世を睥睨して其中自ら無限の情ありと云ふ然りと雖も是れ亦學者一家の樂にして彼の田間の野老が夕顏棚の下風に夫妻相對し相酌むその眞率の興味は學者も亦これを知らず、富貴の樂は活溌にし豪なり、學者の樂は高尚にして清く、野老の樂は閑にして濃なり其孰れか果して樂しきやは唯當局者の心に在て存するのみ左れば人生の樂は高卑貴賤各各その境遇の適する所に存し他より之を云々する能はざるものなりと雖も今其是非の極端論に渉ることを止め心を靜にして社會普通の人情に訴へ又經世の利益の爲めを謀りて人生の當さに樂しむ可き樂地は何れの邊に在りやと尋れば必ずしも高帽峨冠人を威服するにも在らず又讀書推理窮窟の邊にも在らずして却て尋常一樣家門の内に在ることを發明す可し今夫れ一家の内夫婦親子互に相和睦して絶えて風波の其間に起るなく膝下團欒の樂あるに於ては或は家道全からずして時に衣食の不如意あるも其不如意は却て同心協力の媒と爲り益益其樂を和して一門の春色自ら餘馨を四隣に及ぼすべし况して家内の和氣春の如く温なる其上に形體の生計獨立して衣食の心配なく假令へ世俗の豪奢を競ふ能はざるも四時の遊興一家の歡を伸ぶるに足り世間に對して不義理もなく又公の義務を缺くこともなければ節を屈して世の風潮に漂ひ俗流に浮沈するの必要もなし一家の中藹然として常に獨立の春あり人生快樂の至境は凡そ此邊に在りと明言し之を天下の多數に訴へて敢て爭ふ者なかるべし而して今の世間に於て此種の樂は如何なる家に求むべきやと云ふに之を生計獨立私徳圓滿の家に於てせざるを得ざるなり抑も生計獨立して私徳に缺くる所なきの種族は國に於ては良民たり社會に於ては紳士たるものにして共に一國の富強を謀り社會の文明を語るべきは此種の人民に在ることなれば我輩は此流の人と共に人生の樂を樂まんと欲する者なり然るに顧みて日本の社會を見渡せば此種の人民は最も少數にして生計未だ立たず私徳未だ修むるに暇あらざる其間に更にその望を遠大に騁せ大に求むる所あらんとする其目的は何れの邊に存するや我輩の知る能はざる所なれども人生の目的は快樂を求むるに在りとして扨て此種の人物が所謂人生快樂の至境を犠牲にして更に大に求むる所の其大快樂なるものは果してその人々の想像するが如き樂しきものなるべきや、幸にして大願成就宿昔青雲の志こゝに成り麒麟閣上の列に入りたりとせんに我輩の想像を以てすれば其樂は思ひの外に少なくして却て苦心の多きを見ることならんのみ近日の紙上に記載したる獨逸の大宰相ビスマーク侯がその新帝夫妻の願に背き皇女ヴヰクトリヤ姫とアレキサンドル侯との結縁を拒みたるが如きは即ち其適例とも云ふべくして右の婚儀の如きは情郎情婦多年相思の間柄と云ひ殊に父帝母后ともに其良縁を喜ばせらるゝものなるを無情にも傍よりその割き難き中を割かんとするビスマーク侯の心は如何あるべきや侯とても其身木石にあらざれば子孫の愛情は自ら心に覺あることならん己れの心を以て人の心に引較ぶれば流石の鐵膓も寸斷するの思あることならんなれども公が政治家たる今の地位に在りてはこの背情非心の事に忍ばざるを得ず之を愉快と云ふべからざるなり右は外面一應の觀察なれども政治家として今の世に立たんとするには世間の毀誉榮辱は外にしても中心自ら人に語るべからざるの苦ありて時としては人を欺くのみならず自ら其心を欺くこともあらん處世の方便いたし方なしとて斷行するも人生の至情、時として半宵孤坐、獨り自ら心に顧みるときは悚然として流汗背に溢れ一夜にして頭髪悉く白しの感もあることもあらん政治家の心事亦哀れなりと云ふべし然りと雖も人々各その樂ありて夕顏棚の閑に興ずるものもあり山水風月に樂むものもある習ひなれば政海情波の危險を以て却て一生の樂地となすものあるも珍らしからぬ事にして是れ亦人生の一樂事として我輩は傍より他人の樂を妨ぐる者にあらざるなり唯我輩は立國の根本を一家の獨立に求る者にして人若し我輩の樂む所を問ふ者あらば一國獨立の爲め社會文明の爲め生計獨立私徳圓滿の人を友として共に人生の樂を樂まんとする者なりと答へんのみ