「獨逸皇帝の崩御」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「獨逸皇帝の崩御」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

獨逸皇帝の崩御

本年三月九日獨逸皇帝ウヰルヘルム陛下崩〓の後、纔に三箇月を經て今日復た新帝フリードリヒ陛下の凶聞に接したり(本月十五日午前十一時四十五分崩〓)新帝には其即位の前より既に久しき難症にて兎角御快方の模樣なしとの次第は毎度本紙上にも記したる所なれども此凶聞に逢へば今更ら驚愕惆悵に堪へず獨逸國民の情は如何ならんと深く之を察するのみならず吾吾日本國人も遙かに共に愁傷を與にする者なり扨て逝く者は追ふ可らずとして今回の出來事は啻に同國帝室の大故のみならず歐羅巴全洲の人心をして多少に動搖せしめ遠く我日本國に至るまでも樣々の説を作すものなる可し先帝崩〓の時に於ても尚ほ且つ獨逸の國勢は少しく面目を變したり然るに一抔の土未だ乾かず第二の君を喪ふ、殊にフリードリヒ皇帝は兼て温良の仁君にて内外の依て以て平和を維持したることなれども次て寶祚を承けらる可き東宮は活〓英明の資に加ふるに少壮の血氣を以てす今日歐洲の殺気暗雲、將さに雨らんとして未だ其機を得ざるの折柄、かりそめにも之を發動するものあらんには忽ち全洲の大變亂に至る可し而して此變亂の機を發するや列國の何れよりするか固より測る可らずと雖も自發他發に拘はらず獨逸が其中央の焦點たる可きは復た疑いを容る可きにあらざればフリードリヒ皇帝の崩〓は取りも直さず歐洲戰亂の發機なりと云ふ者もあらんなれども我輩の臆測を以てすれば事態必ずしも然る可らざるものあるが如し今日歐洲文明の國に於て治亂を司どるものは政府に非ずして人民なり人民の多數眞實に治を欲すれば治安以て保つ可し、亂を好めば變亂以て生ず可し啻に共和政治の國に於て然るに非ず君主専制と稱する獨逸政府たりと雖も人民の與論に背て運動せんとするも決して事實に能くす可らざる其趣は東洋諸國にて政府の向ふ所に人民の背く可らざるものゝ如し然るに今日歐洲列國の人民は治亂の二者何れを好むやと尋るときは殖産の事業漸く進歩して漸く經濟の秩序を成し世の治安に安んじて其生を樂しむ者漸く増加すると同時に此輩が國勢の全面を支配して所謂中等社會の地位を建立したるが故に名を貪るの武人、〓を好むの政治家などが如何に口實を設けて自家の功名心を慰めんとするも決して自由なるを得べからず如何となれば中等社會は一國の智源又財源にして智は以て下流の愚を制し財は以て直に軍備に關し之を左右すること容易なればなり左れば今回獨逸の君主たる可き者が其天賦活〓にして云々と言ふも其活〓は自家一身の活〓にして之に由て大に國事に影響するに足らざるのみならず其一身の利害を謀りても獨逸國は恰も既に歐洲に於て功成り名遂げたるものなれば唯慎んで先代の遺業を守る可きのみ又何を苦しんで事を求むるを爲さんや東宮少壮なりと云ふも此賭易きの理を解するは無論の事にして輔るにビスマーク翁の老練を以てす今後歐羅巴の形勢は却てますます平和に赴く可しと我輩の想像する所なり

古〓〓〓に行はれて今尚ほ其の餘臭を脱せざる大人拜〓の〓〓〓以てすれば〓〓一國の治亂は一人の存亡に〓〓國是の〓〓は政府の指示に從ふものなりと思ふ可けれども中等社會の人智悉く發達して小兒の境界を脱すれば世に大人なる者あるを許さず即ち今日西洋文明國の有樣にして獨逸帝室の大故の如きも事實に於て其影響を遠大に及ぼす可き性質のものに非ずと雖も人民の數を以て云へば下等の〓族甚だ多くして其間に流言の行はるゝことも亦甚だしく又或は好事の士人が戯の爲めにし又は利の爲めにして特に説を作りて人を惑はすことも少なからず大概皆無根の假相を演ずるものなれども假相、時に傳播して他の人事に眞相を現はすことなきにあらざれば今回の凶聞忽ち世界中の談柄と爲り日本國人の筆端口頭にも現はるゝ其中には或は政府の人の考へを動かし學者の方向を改めしめ商人の察機を左右せしめ其餘波の及ぶ所漸く深くして漸く廣く又漸く細なるに至るときは新文明を取るに其出點を改撰し子弟を教るに教の順序を前後にし商社を結び商品を仕入るゝにも樣々に工風を改め鐡道又は諸器械の如き重要の品は勿論、一冊の原書一本のビールに至るまでも今後の賣捌に注意して思案を勞するが如き奇談もある可し畢竟これを取るに根據なきものは之を捨るにも亦根據ある可らず我輩は敢て其取捨の得失を議する者に非ざれども唯人事の錯雜して其關係の廣きを視察し以て之を一笑に附するのみ