「宗教の要」
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時事新報に掲載された「宗教の要」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
宗教の要
宗教の熱は宗教の社會中に熱しと雖も我輩に於ては祖先傳來の性質を享けたるに由るか之に向ては特に甚だ淡泊なるものなり斯く淡泊なるも實は其眞味を知らざるに坐するものならんなれば宗教の理非邪正は俄に之を斷ずることを爲さゞれども唯身は全く局外に在るが故に宗教が果して社會の人事に功德を與ふるや否やを望見するに當りては自ら其明なきに非ざるなり蓋し下流人民の社會に於て宗教と稱すべき宗教の行はるゝ處には甚だしき殘酷の所爲を見ること稀にして無宗教の里には必ず殺伐不人の氣風を催ほし殆んど人類の情を解せざるもの多き其次第は之を歴史に徴し又今日の實際を見て歴々知るに足るべき所なれば宗教は實に人意を和するの功德あるものなりとは決して爭ふ可らざるものゝ如し果して然りとすれば我輩は宗教の理非邪正を知る者に非ずと雖も唯この功德の最も多き所に從はんと欲するものにして其趣は喩へば爰に數種の酒を並べて其水分の多少、酒精の如何を吟味せんとするには化學的の分析を要することにして我輩は化學士に非ざるが故に容易に何れを良とし何れを惡しゝとすること能はざれども之を飲用して醉心のよきものは先づ以て最良の酒となすに異ならず左れば耶蘇教にまれ佛法にまれ唯その實際に功德の多きものは國内に勢力を得んことこそ望ましき次第にして世間我輩と此感を同ふするの人も亦蓋し少なからざる可きを信するなり
扨その功德の現はるゝ所は何れの點にあるやと尋ぬるに人間の道德に關するは固より論を俟たざる所にして又其道德の中に公德私德の兩樣を區別し我輩の所望は宗教の光明をして先づ其私德の部分を照し品行腐敗の衆生を摂取して然る後に遍く公德の十方世界をも照さしめんことを欲するものなり蓋し道德の事に就ては〓々本紙上に陳べたる如く我輩は常に處世公德の發達を居家私德の根據に求めんとする者なれば宗教にして果して人民脩德の上に効力あるものとせんか、其力を用るに私德を先にして公德を後にするは事の順序なる可し然り而して德教の性質は他の智育體育に異なり受教者の耳より入らずして目より入るものなれば其教義は實に間然す可らざるにも拘はらず之を教ゆる者の行〓にして教えらるゝ者の敬慕を買ふに足らざりせば德育も亦既に無効にして之を有名無實と云ふ可きのみ例へば子に教訓する其父にして常に自ら不品行の罪を犯すに等しく父の言ふ所甚だ理ありと雖も其行ふ所、非にして言行齟齬するときは子は其言を耳に聞かずして竊に之を侮るのみか却て其行を目に見て之に傚ふの事實は古來今に至るまで世人の普く知る所なり左れば宗教家たる者は假令へ私德の要を知るも唯これを口に説くのみにして自身の私に修めざるに於ては千遍萬遍の説法も德教外の空談たるに過ぎざる可し我輩は今日世に行はるゝ諸宗教の中に就て孰れか最も内行私德に因縁深きやを問ふと共に何れの宗教家が最もよく此德育の任に適すべきや彼の宗教にあるか、此の宗教にあるか、亦同宗教の内にても何れの部分は云々にして何れの部分は斯の如しと其實際を吟味して更に又論ずる所あらんと欲する者なり