「土地の説」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「土地の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ドクトル、セメンズ原文反譯

經濟の上に現はるゝ土地の價は何國の人民にも最も大切なる事柄にして概して云へば人口

の多きを加ふるに隨ひ上進する筈なれども此價たる大に變化すべきものにして種々の原因

事情に由り浮沈常ならず或は一時一部に限ることもある可し其邊は兎も角も土地を以て小

にしては一箇一人の生活を助け大にしては全國全體の成立を支ふべき方便の具なりとする

ときは其價は何よりも大切にして百事其右に出づるものある可らず甲の法なり乙の法なり

直接に間接に土地は有らゆる富の源にして直ちに土地を耕作するの外に貨殖の道なきには

非ざれども畢竟土地を用ひざるはなし土地に生じたる物に就き其形を變へ其風を改め之を

人間社會の爲めに利用して始めて富を作り財を貯ふ可きなり只手段の異なるのみ其源は盖

し土地に在りと云ふて可ならん左れば健康と眞の幸bニの大部分は國の土地に由て生を營

み職業として自から其地を耕作するものゝ手中に歸するが故に萬國到るところ最も善良に

して風俗厚き人民と云へば農民に外ならざるが如し

全世界中の國々にして英國を除くの外開墾事業の進歩したる良き土地を有するものは必ず

富裕第一の國なり英國の富は格別の事なれども其本を尋ぬれば是亦自國及び他の國々の土

地に生じたる産物を以て交易し或は製造したるに過ぎず土地耕作以外の職業に由て得べき

富財は概ね冐險にして常に甚だ不安心なるものなり例へば此類の業に十中九の失敗を招く

ものとすれば土地耕作の失敗は一にして止むが如し尤も土地より収入すべき利uは薄きに

相違なしと雖ども成算の誤なきに至ては殆んど百發百中と云ふも可なり若し夫れ土地より

出でたる産物にして十分其土地を耕へす人の入用を充たすに足らざることもあらんには何

か其間に無理の存すること更に疑ある可らず蓋し其無理とは何ぞや土地に生ずる主要の産

物にして非常法外に廉價なるか或は土地に課する租税の甚だ重くして負澹に堪へざるか抑

も亦この二者の合して一時に來るか百中の九十九までは必ず此外に出でざる可し今、日本

にて米を作る農民〓〓〓〓拂はんが爲めに土地を賣るものゝ人數俄に多きを現はし〓れる

は何の〓〓ありやと云はば世人の知る如く主要産物の價甚だ低廉成るを以て其理由の重も

なるものと成る可し之に反して蠶を養ひ茶を製する等の事業には曾て米農の受けたる如き

困難なきは申すまでもなく却て繁昌の色を呈して啻に租税を拂ふの力あるのみならず猶ほ

餘裕を以て他の土地を買ひu々其富を殖やすの勢なるが如し米田は日本に於て最大部分を

占め廣大なること遙かに麥圃其他の土地に超出し古來日本の富源にして國用の供給は皆こ

の源に仰ぎたる次第のものなれば米を作る農民の財源にして今日の如き有樣なるは人民の

不幸のみか政府に取ても甚だ痛ましきことなりと云ふ可し

此時に於て稍尋常と思はれ難きものは此の如き米麥の困難が豊作年を連ねたる後に起るの

一事なり之れに由て見れば農民は稼げば稼ぐほど愈々貧乏に赴くが如し甚だ怪む可しと雖

ども此事を説明するに米の産出多きに過ぎたるは猶ほ製造品の供給が其需用に超えたるも

のに異ならず市塲に溢れるゝ製産の品は勢必ず下落せざるを得ずと云へば年豊にして農家

の苦むも亦當然の數ならんのみ抑も製造品の過多なるときには其不利uと爲るの機を見て

此上の製造を廢むるを以て療治の常とするが故に或る經濟學者は農民に敎えて此救治法を

用ひしめ米作を廢むる代りに養蠶の業を奬むるものあり忠告誠に善しと雖ども此を去て彼

れに就くには大に日月を要して迚も農民目下の急に應ずること能はざる可し

米を作る小農夫にして租税を拂はんが爲めに収穫の米を賣るも猶ほ不足を告げて此上力の

及ばざるときは目前差當りたる結果として次第に家産を傾け得る所のものゝ何たるを問は

ずして土地を他人の手に渡すの外手段ある可らずコ川政府の法度に心得ある人は皆其當時

に土地の賣却を禁制したることを知ることなるべし此禁制法度の趣意は載せて地方落穂集

に在り今茲に之を掲出すること左の如し

第一 若し人民を許して自由に土地を賣らしむれば浪人商賈或は農夫の金を持つものは

漸く兼並の道を得て次第に全村の主となり又進んで一郡を領するに至らん此の如くなると

きは權力大に加はり遂には一揆騒動の中心を生じ政府に取て甚だ恐るべき危險のものとな

る可し

第二 小にして貧しき農民の一時去り難き理由に迫り其土地を失ふときは是れより大地

主の下に屈して奴隷の身に落ち慘然告ぐるなきものとなる可し(未完)