「日本鐡道論(一昨日の續き)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本鐡道論(一昨日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本鐡道論(一昨日の續き)

英國人ジヨセフ バルスロー氏著本町鐡道論(倫敦出版)の一節に曰く

我從兄弟なる米人は廣漠なる土地を領して其富力獨り盛なるのみならず今日まで百事の工風發明も少からず從て鐡道事業の宏大にして其進歩の著しき未だ嘗て他に事例を見ざる所なり即ち千八百二十七年マツサチユセツト州なるクヰンシーに三英里の鐡道を敷設したるを嚆矢として爾來の成績を察するに盛大實に驚くの外ある可からず(中略、附て言ふ本年一月の調べに米國鐡道の全長十五萬七百十英里全世界鐡道の二分の一以上殆んど三分の二を占むる割合なり)斯く米國の鐡道事業は盛大なると共に之に伴ふ所の困難を如何にと云ふに外部の苦情妨害は案外に少く、英國の如く國會議員の助力を假るに非ざれば敷設の許可を得られざるより已むを得ず莫大の金を賄賂に供する抔の弊もなく唯政府より單純の許可を得れば足る者なるが故に工事を起すに時日を徒費するの憂を見ずして爲めに其進退の自由なるは論を俟たず是れ今日米國鐡道事業の進歩一層迅速なりし一因なるべし

米國の鐡道は線路の構造にも英國の如き注意を用ひず又堅牢を旨とせざるが故に費用の點に至りても廉不廉の相違大なるは勿論其他百般英國の鐡道に較べて手を省きたる事多ければ工事に時日を費すの憂少きは實に理の視易き者なり現に彼の中央太平洋鉄道路線(全線里數三千四百餘里)の如き一日に平均十英里若くは十二英里の速力にて工事を進め一英里の建築費も平均五萬圓内外の計算にて其始めは處に因り平均二萬五千圓にて竣工し甚しきは一英里僅々五千五百圓にて仕上がりたる部分もありしと云へり英國鐡道の仕組に於て斯る迅速の進歩と廉價の建築とを相伴はしむるは到底望む可らざる次第なり(中略)尤も米國に於ては通常の道路と機關車往復の線路との區別に對する其法律英國の如く嚴重ならず時に依れば市中を通じて軌條を敷くことあるが故に行人は自ら注意して機關車に觸れざるの覺悟なかる可からず是等は一應危險なるが如くなれども一方の便利より論ずれば商家の軒先に製造所の門外に列車相接して往来するが故に貨物の積卸しは云ふも更なり旅客の行〓來往も自在にして甚だ便利なる可し

世人は米國鐡道機關車の雛形を目撃して英國風に異なる處あるを發見す可し前巳に述べたる如く米國の鐡道には柵矢來の設けなきを以て人類動物往々過て線路に觸れ或は機關車に撞着するの恐なきにも非ず左れば斯る危險を避けんが爲めには機關車の前面にコーカッチェルと名づけたる鐡製の器械を附し列車の進行を遮ぎる物體あるに於ては之を線路外に投出すの仕掛あるは良き工風と云ふ可し又米國の鐡道は屈曲の甚しき線路を進行するの困難あるが爲め機關車に八個の車輪を附し毎輪線路の屈曲に應じて滑かに旋轉するに相反し英國鐡道の車輪は作り附けにて獨り自由に旋轉せざるのみか輪數も亦通常四個に過ぎず又列車運轉の響きは米國製は英國製の如くに騒々しからず或は列車の來着を相圖する手段として米國の製には機關車に附属したる鳴鐘ありて加ふるに列車の端より端に至るまで毎車に一條の繩を通し其端を右の鳴鐘に維ぎ置くが故に列車中の乗客途中より車を下らんとするか若くは事變あるに當りて繩を引けば機關車は直ちに運行を止むる等の便利あり是れ英國風になき所なり

次ぎに客車の構造に至りても米國にては彼のプールマン形と名づくる雛形を用ひて各車の端より端に通過し得るのみならず一聯の列車行道全く通ずる仕組にして尚ほ又冬間は乗客に温熱を供するが爲めにストーブを置き、嗽手洗の塲所あり、雜貨を賣る店あり、客の用を辧ずるに給仕人あり、夜は安眠を得せしむる爲めにスリーピングカール(寝車)の設けある等萬般の利便英國に優る所遙に多し聯合太平洋鐡道線路の如きに至ては列車の中に會食車の設けて庖厨車も之に伴ふが故に美食佳肴は乗客不時の需めに應ずるに餘りあるべし又廣間の設けもあれば衆人相與に會話して歡樂を取るに便なるのみならず音樂を嗜む人の爲めにはオルガン室もあり其快樂と利便との段に於ては恰も旅館に居るに異ならず唯その少しく趣を異にする所は身體微動の一事なれども是れも地震國に生息したりと思へば差したる難澁にあらず又文庫に行けば書籍新聞紙を讀むの便利を得るのみならず列車中に朋友知己あれば各車互に往來して談話自在の快樂あるが故に英國の鐡道の如く人々車中に在りて〓囚の思ひを爲すの不都合なきは勿論商賣人など平生事務に急なる者は車中にて知人に對し咄嗟間に用務を辧じ其時間を節し得るが如き實に米國鐡道の利便なる箇條なりとす

右の次第なるが故に米國の鐡道は遠路の旅行にても退屈を感じ嫌厭を生ずるの憂を覺えず又他國の鐡道の如く客車に上中下の區別を設けず唯旅客の求め次第にてスリーピングカールを供し又移住者の爲めには廉價の列車を仕立つることあれども是等は例外の事にして旅客を待するに人爵を別たざるは米國一種の美風なりとす又米國鐡道の最も便利なるは客車に瓦斯燈を引て光明燦然たるとボーキートラツクとて空氣の壓力を利用したる齒止めの仕掛けなる事即ち是なり是等は鐡道の本元なる英國よりも支流の米國却て其先鞭を着けたる者なり(未完)