「日本鐵道論」
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時事新報に掲載された「日本鐵道論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本鐵道論(前號の續き)
次に鐵道切符の法に至りても英米を比較して米國法の利便なること著るし即ち英國の切符發賣法は嚴重究屈極まりなき者なれども米國にては全く之に反して旅館若くは便利の箇所に於て到る處切符を賣出さしむるが故に旅客は意に任せて之を買ひ置き平生は懐中に納めて用ある毎に之を使用し一旦車に乘るも又途中にて下りたく思はゞ下ることも勝手にして其切符は無効に屬せず唯乘りし丈けの賃錢を拂へば足るの算當なるが故に切符に買損の憂あることなし此等の便實に他國に視ざる所なり(中略)
前條説き來るが如く米國人は常に人事の將來に注意を向け如何にせば以て後の社會の福利便益を促すを得可きやと唯其事にのみ汲々たれば總じて發明工風の事も至便至利を目的とし舊例古格に束縛せらるゝなきの一段は英國人も其歩を讓らざるを得ざる所なり即ち鐵道に就て之を言ふも現に數年以前の事なり或る米國人は大西洋海岸より太平洋海岸に通ず可き鐵道軌條を巾三十英尺となし機關車列車も其割合に作りて速力を一時間百二十五哩に見積り以て大鐵道を作らんとの工風を立てたり固より極端に走りたる想像にして軌條三十英尺の鐵道は容易に實際に見る可らざる可しと雖も兎に角に斯る奇軸を考へ出したるは事業上、意匠に富むの證據にして意匠に富むは即ち米國鐵道の他に擢んでゝ亦最も進歩改良の行はれたる所以と知る可し
右の議論は總て文明の事業に於て我は如何なる國民にも讓る所なしとて敢て自から任する英人の口に發して筆に記したる所のものなり英人にして尚ほ斯る議論を公けにするより見れば米國鐵道の他國に比して一層完全なる其趣は明白なる可し隨て日本に於て之れを用るの得策なる素より論を俟たずと雖も我輩は更に前説を確めんが爲め一歩を進め各局部に就て聊か知る所を陳べ以て米國風の鐵道を日本に移すの要用を世の鐵道事業家に勸誘せんと欲する者なり偖又之を論ずるに當りては先づ左の如き項目を設けざる可らず
第一 機關車
第二 客車の作り
第三 貨車
第四 客車の種類
第五 速力
第六 小荷物法
第七 旅客の便利
第八 死傷の割合
第九 建築費
第十 營業費
之を要するに鐵道の目的は最少の費用を以て旅客貨物に最大の利便を與ふるに在る者なれども此點に於ては英米兩國の鐵道何れも未だ完全に達したりとは云ふ可からず故に今後種々の改良法を施し不完全より進んで完全の域に到るまでには幾多の年月を要すべきこと論を俟たざる所にして有名なる米國ペンシルバニヤの鐵道の如きは方今最も改良工風の行はれたる線路なれども踏切道の工事不充分なるを以て往々危險あるを免かれず將たブロツク、システム(暗號法)の法も米國には未だ英國の如くに行はれずして此等は米國鐵道の缺點なるや明なり然れども英國の客車は旅客の爲めに米國ほどの便利なきは勿論殊には車の作り低くして且つ狹隘なれば之を改良すること容易ならずと云ふ或は鐵道切符の法の如きも米國丈けの便利は未だ英國に行はれず將た營業の上に於ても英國風の仕組にすれば徒らに人夫を要して從て冗費の多き言を俟たず或は英國の客車には暖爐の備なくして旅客をして寒氣に苦しましむる事或は列車の震動を尠くするが爲めボーギー、トラツクの設けあらざる等何れも英國鐵道の缺點なり
斯の如く英米兩國の鐵道は孰れも完全なるに非ずして局部より見るときは一得一失容易に優劣を判じ難き有樣なりと雖も等しく不完全の其中にも日本に適すると適せざるとの一段に至りて自から判斷を要することなれば先づ爰に日本國を中心と爲して標準と定め其大體に於て英米兩國の鐵道中、日本向きは孰れなりやと云はゞ我輩は米國に左袒せざるを得ず其然る所以は鐵道の良否を論するに非ず唯米國風に從へば費用の廉なるが爲めのみ既に費用の廉なるを得れば假令へ其物に少々の缺點あるも尚ほ得失相償ふ可きの道理なるに事の實際に於て米國の鐵道決して不完全ならざるのみか新思想新奇軸を出すに長じたる米人の伎倆として事實の利益輕便或は歐洲人の思ひ到らざる處なきに非ず就中諸車の構造に至りては米國の英國に優るは萬々にして例へば彼のバルチモー、オハヨー鐵道の如きは山嶺巍峨たる地方を通過し全線の半ばは弧線にして然かも其弧線は半径六百尺の彎形を爲し勾配は一英里に一百二十英尺の傾きなれども列車の之に依て上下し旋轉するに不便なきは畢竟諸車の作り宜きを得たるものと云ふの外なし左れば日本の鐵道を英國風にせんとすれば弧線を廣めて直線と爲し急勾配を削りて緩勾配と爲すが爲めに費の嵩むのみならずバルチモー、オハヨー線路の如く彎曲昇降する地方には鐵道の竣功を見る能はざることもある可し畢竟するに米國の鐵道は資本乏しけれども工事は急がざるを得ず、地勢は險なれども敷設は見合はす可からずなど云ふ日本の如き國に取りて最も便利なるものなれば之を今日に採用するは我經濟の得策なる可しと我輩の信ずる所なり (未完)