「七月四日」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「七月四日」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

七月四日

本日は年の七月四日北亞米利加洲合衆國獨立の大祭日にして同國に於ては都鄙到る處に之を祝せざるはな

し毎戸業を休み宴を張り煙花祝砲歌舞演説その賑は一年中の一日にして全國同一色の樂日と云ふ

も可なり右は前年我日本人も彼の國に於て親しく目撃し又彼の國人の言にも傅聞せし所のものなりしが二

十年来次第に趣を改め獨立大祭日の賑は年々に衰微して今の人氣は却て五月三十日の全國囘向日(デコレーシ

ョン・デー)を重んずるものゝ如し抑も此囘向日とは今を去ること二十七年千八百六十二年合衆國の南部と

北部との間に政治上の爭端を開き四年間の大戰爭に三十餘州は修羅の街と爲り雙方の戰死病死者は何十萬の

數を知らず全國隨處古戰場ならざるはなく又死亡者の墳墓あらざるはなし然るに此戰爭は北部の勝利に歸

して事全く治まり萬民復た恆の業に就て敵と味方に宿意を挾む者なく其淡泊なること恰も洗ふが如しと雖も

唯憐む可きは雙方の死亡者にして百名の一隊に八十は討死して二十人の生殘りたるあり家に父母妻子を遺し

て依る所を失はしめたるあり死者死するも瞑せざる者多かる可し苟も同國同胞の兄弟姉妹として之を默々に

附するに忍びずとて是に於てか毎年の五月三十日を卜して全國囘向日と名け各所の寺院會堂に於ては祈祷供

養の儀式を催ほし又人民にては身躬から戰場に出でゝ生殘りたる將校士卒は勿論國中の老若男女誰れ彼れを

問はず都鄙到る處に會同して追悼囘向の事を執行するの慣行を成したり其法は各地人民の思ひ思ひにて同じ

からざれども獨立大祭の如く祝賀歡喜の得意を示すにあらずして愁傷哀悼の情を表するものなれば往來の

行列とて肅々として喧しからず囘向に重要なる品物は花にして之を車に載るもあり手に携るもあり或は

ミリシヤの軍人などは小銃を肩にして銃劍の端に花を附け或は内亂の戰場に用ひたる古旗を持出して花もて之

を飾りたるもあり凡そ是等の行列にして幾千萬人となく無限の人民が都鄙の街道を押廻り終に戰死者の墓

所に至り其花を手向るの例なり今の合衆國に於て人氣の赴く所は專ら此囘向日にして七月四日の祝日は恰も

之に壓倒せられたるの姿なりと云ふ

右囘向の執行に就き最も我輩の注目する所は其事の由來南北の戰爭よりするものにてありながら却て之

を心頭に掛けざるの一事なり戰爭後の當分は或は南部の人民に曲を被る者多しと云ひ或は北人は戰勝の勢に

乘じて政治上の利を專にするなどの世論もありしかども唯是れ一時の風雨にして今は全く其戰爭の理非勝敗

を忘れ北とも云はず南とも云はず況んや勝敗の榮辱等に於ては之を口にする者なきのみか心に思ふ者もなく

何れが勝たるや何れが敗したるや全く之を知らざるものゝ如くにして其心事の淡泊なる傍觀者をして轉た快

爽を覺えしむるものあり即ち囘向を執行するにも全く南北人の區別なく南人の花を北人の墳墓に供し北人

は南人の墓前に泣くが如き今の米國人の眼中に南北なし唯國を共にする同胞人の不幸を弔して追悼の情を表

するのみなりと云ふ囘向の事實に現はるゝこと斯の如くなれば他の人事政事に於けるの情も亦推して知る可

し政治上の人を撰擧するにも又は官私の事業に吏人役人を採用するにも固より南北の如何を問ふ者なく

唯政治上の主義を以て人を黜陟し以て天下の民心を結合するは畢竟合衆國人の公コに富むものと評せざるを

得ず抑も東西國を殊にして習俗を別にすれば政治に異同ある可きは無論のことにして殊に我日本の如き

は立君の帝國これを合衆國に比す可らず彼れは彼れたり我れは我れたり厘毫の關係なきものなれども

一國内亂の後に往時の事を忘れ民心調和して相互に確執の念なき一事は我國と雖も合衆國の如くならんこと

を祈らざるを得ず我王政維新も殆んど合衆國の内亂と時代を同ふして既に二十年を過ぎたるものなるが日本

國人は果して能く當年の事を忘れて其事の理非その戰爭の勝敗を度外に置き今日に於ては官軍とも云はず

賊兵とも云はず唯その死者の死を憐むのみにして雙方に輕重する所なきか死者に對して輕重なければ生者に

於ても亦然らざるを得ず維新の功勞即ち戦勝の手柄は舊何藩の專有など云はざるか其功勞の餘光を以て今日

尚ほ其藩人の身を輕重するの痕跡はなきか官途に人を採用し又は在野の人を待遇するにも其舊藩名の何たるを

問はざるか凡そ此種の問題は日本國の政事上に人事上に大切なる箇條にして我民心調和して確執の念なく

活溌洒落なるに於ては既に已に度外に在る可き筈なれども二十餘年の久しき尚ほ之を忘るゝ能はざるのみ

か殊更に之を想起さしめんとして力を盡すが如き奇談もあらんには我輩は之を視て日本國民の公コに乏しき

ものなりと認めざるを得ず家を治るに私コを以てし國を守るに公コを以てす我輩は其公コの進退を見て國

の盛衰を卜せんと欲する者なり偶ま七月四日米國の祝日に逢ひ記事の筆餘我國事に論及して讀者の聽を

煩はすのみ                                      〔七月四日〕