「日本鐵道論(去る三日の續き)」
このページについて
時事新報に掲載された「日本鐵道論(去る三日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
第四客車の種類
英國の鐵道は日本の如く客車を上中下の三種に分ち各一英里の賃錢もゥ社一樣ならざれども先づ上等は四錢五厘より(但し金貨算用)五錢まで中等は三錢より三錢五厘まで下等は二錢を以て普通と爲す而して此三等の區別中、鐵道會社の爲めに計れば何れの客が最も利uなる可きやの一事は研究を要する問題なるが故に之れに就て其實例を擧げんに去る千八百八十三年英國ミツドランド鐵道會社の報告に依れば同社線路の旅客中其九割四分は下等乘客にして旅客收入總資金の九割は悉く下等客の手より出で殘る一割は即ち上等及び中等客の支拂ひなりと抑もミツドランド鐵道は英蘭中部、蘇格蘭南部のゥ州を貫いて其線路を延ばしたる大工事なれば英國鐵道中最も繁昌なる者の其一なるに尚ほ且つ旅客賃金と員數との多額を占むるは下等乘客なるより見れば會社の爲めに計りて上等中等の切符を發賣するの不利uなるや明白なり殊に上等客は其數至て尠き者なれども一歩を退き上等客車には上等旅客常に充滿すと假定するも客車の裝飾に餘分の費用を要するのみならず又銘々乘客に宛行ふ可き場所さへも至て廣きを要すれば之を下等乘客に較べて利uの少き論を俟たず或實驗家の説に依れば上等室を設けて之を修繕維持するの費用は中等室に較べて其價の高きこと二割、下等室に較ぶれば更に四割の入費を要すと云へり然るに英國に於てはミツドランドの鐵道を除き他は概ね上等室、上等喫烟室、中等室、中等喫烟室、下等室、下等喫烟室以上六個の客車を分つが故に自然多額の費用を要すれども其割合に乘客の數は少くして會社の利u大ならざること事實に於て蔽ひ難し再言すれば三種にても四種にても無uに費を來す可き結果はあるも其割合に乘客少く會社の利u擧らざるなり、之に反して米國の鐵道には上等もなければ中等も又下等もなく唯通常客車の一種類あるのみにして旅客隨時の需に高價の賃金を拂へば更に美室車の準備もあり又出稼移住の者の便には廉價なる特別列車もあれども通常は平等一樣の尋常客車の一種に過ぎざるは會社の爲めに利uなること前條の理由に照しても明白なる可し日本の鐵道は英國風に模したるを以て上中下三等の區別あるは言ふまでもなき事なれども亞米利加の如く民に貴賤階級の懸隔なき國ならば兔も角も日本は之に反對なるが故に鐵道にも上中下の別を設くるは必要なりとの論旨ならば我輩も別に云ふ所あらず然れとも斯る社會の壓制に束縛せられず純然たる私社營業の利uを計らば客車の種類も米國の如くに尋常列車の一種と爲すか或は然らざるも三種を減じて二種と爲す方、得策なる可し此事に就ては我輩別に意見もあれば追て紙上に開陳する所あらんとす
第五速力
英米兩國の鐵道は何れの速力早かる可きや其比較に至りてか樣々の統計事例もありてゥ人の説く所同樣なる我輩線路の速力に就て言へば米國の鐵道英國に勝ること〓〓なれども又他の線路に在りては英國の鐵道遙に米國の上に〓〓る者あり到底何れを速しとし又何れを遲〓〓〓〓〓〓や一概には論ず可らず又其間米國鐵道の速なりとするも一時間に多くも四五里の相違に過ぎざる可ければ此點に於ては我輩は兩國の鐵道を以て互に優劣なき者と信するなり
第六小荷物法
米國の鐵道に於て旅客に最も便利なるは小荷物切手の法なりと雖も英國に在りては其用未だ廣からず或は重なる二三の會社には其法の行はるヽ所なきに非ざれとも是れは唯倫敦リバプール若くはマンチェスタル間の如くキ會にのみ限りたる事にして米國の如く至る所に行はるヽに非ず左れば英國に在りては小荷物を列車に托する其注意を忽せにせす可からざるは勿論切符を以て授受するの仕組もなければ自他の荷物混同し之を撰り分くるに當りては我れ先きにと競爭し其雜沓殆んど名状す可らずして爲めに狡兒狡奴に荷物を盜み去らるヽの懸念なしとせず兔に角に米國の鐵道旅行に較ぶれば小荷物授受の安全と便利とは日を同ふして語る可らざるが故に米國を旅行して後ち英國に遊びたるの人は實驗上之に苦み小荷物法の一事は米國鐵道の英國鐵道に勝る萬々なること喋々せざるはなし
第七旅客の便利
此一事は曩に客車構造の優劣を比較したる處に於て略ぼ説きたれども尚を爰に別項として數言を費さヾるを得ざる者あり他事は姑く擱き英國風の鐵道にては行走中車掌と乘客との間互に聲息を通ずる能はざるが故に時としては旅客の心附かざる内に目當ての停車場を乘越え再び後に戻る等の奇談あるは毎々にして獨り無uの賃錢を費すのみに止らず同時に時間を失ひ又時としては急用の間に合はざる恐なきに非ず尤も列車が各停車場に休止する其砌には掛員列車に沿ふて急聲に停車地の名を報ずと雖も其音聲は一種異樣の訛りにしてゥ人の耳に入る能はざるのみならず停車の時間も短ければ其地名を同車中の人に尋ね問ふ其間に列車は既に進行を始めて旅客は空しく次の停車場まで荷ひ去らるヽの例なきに非ずと云へり常に鐵道に乘慣れたる英國の人にして尚を且つ斯る不便を感ずる者とすれば況して我日本の如く人々未だ文明の利器に慣れざる國に在りては毎に鐵道の奇談を聞くも怪むに足らず英國にては各停車場に其地名を配したる看版を掲示す可き旨商務省の布達に於て定まり居れども停車場には各商店會社の依ョにて樣々なる廣告札を掲げ置くが故に何れが地名にして何れが廣告なるや辨別し難き其趣は英人中に既に苦情なきに非ず日本の停車場には妄りに廣告の掲載を許さずして各場地名の掲示あるは宛然たる英國の風なれども鐵道に不慣れの人は往々之を見誤るの不便なきにも非ず若し米國鐵道の如く車中の交通往來を自在ならしめたらば列車の駐まる毎に旅客は一々其驛名を車掌に聞くの便もある可し、事小なりと雖も米國の鐵道は旅客便利の點に於て英國に勝るの例證として之を見る可し(未完)