「政費の增加」
このページについて
時事新報に掲載された「政費の增加」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政費の增加
維新以來我國の政費は次第に增加し年々その進むを見て退くの實なきは政府より發する毎年の歳計を見て知るべし今その然る所以は如何と尋ぬるに維新革命の政、萬機草創なる其上に相尋で内亂外征の事等あり爲めに歳出の增加を致したることもあらんと雖も我輩を以て之を見れば今の政費增額のその原因は重に之を維新以來文明流の政に歸せざるを得ず抑も政府が年來西洋文明流の政治に熱心し兵制、教育、法律、土木、勸業の事を始めとして百般の制度悉く西洋風に傚ひ官吏の巡回、學生の派遣、外國人の雇入、器械器物の買入など有形實物の其外に海外諸國に在る外交官の交際又は外賓の送迎接待もしくは内外人の會合盛宴等文明流儀の盛事に費したる費用は實に莫大のものにして何れも政費增額の源として見るべきものなり勿論今の文明の世界に獨立の體面を張らんとするには内の政治に外の交際に粗野質朴のみを以て居る可らざるは人の知る所なりと誰も古來理財の要訣に入を量りて出と爲すべしと云ふ事あり即ち政府毎年の歳入若干あるべきを量り之を目的として政費歳出の額を定むべし一國の租税は國民貧富の度に適應して自ら踰ゆべからざるの限界あるものなれば假令へ出の要用あるも入の程度は之を忘る可らずとの意味にして理財上千古不朽の確言と云ふべし扨この確言を根據として我政府維新以來の歳計如何を見れば年々唯歳出の增加を見るのみにして曾て減少の實なきは左に掲ぐる明治十年度より今二十一年度に至る政府歳計の表に就て見る可し
年度 歳入
明治十年度 五二、三三八、一三三圓
同十一年度 六二、四四三、七四九
同十二年度 六二、一五一、七五二
同十三年度 六三、三六七、二五四
同十四年度 七一、四八九、八八〇
同十五年度 七三、五〇八、四二七
同十六年度 七九、一一三、二二六
同十七年度 七六、六五八、三三〇
同十八年度 五六、六二二、一七三
同十九年度 七四、六九五、四一五
同二十年度 七九、九三六、八七〇
同廿一年度 八〇、七五五、九二三
(右の内十八年度の歳入は會計年度改正に付九箇月間の計算なり)
右の如く歳入の年々增加するは止むを得ざる事情に出でしものならんと雖も抑も一國歳入の其本源は國民の資力より外ならず民の生産年々次第に增加の實あるに於ては政府の歳出も亦年々增加して隨てその歳入に增額あるも敢て差支なきことなれども今や日本國民の資力は十數年來國の政費の增加と相比例して增進したるの跡ありや否や我輩の知らざる所なり元來日本は農業の國にして歳入の過半は地租より出ることなるに近來十数年間その農業の特に進歩增殖したる實なきのみか農民の惨状は往々我輩の聞く所にして資力の增加などとは思ひの外の沙汰なるべし左ればとて外にして國内殖産の事業は如何と云ふに我輩は敢て之を退歩したりとは云はず寧ろ進歩の方に向ひつゝあることならんなれど〓十數年來特に大に國民の資力を增したるの談はこれ亦我輩の未だ曾て聞かざる所なり故に今假に國民の資力は增すこともなく減ずることもなく正しく十數年前に同樣なりとして此年限中に獨り歳入のみ增加し來るは何ぞや政府歳出の增加するが爲めに之に應したるものなる可し即ち民力漸く實して歳入を增すに堪ふるが故に之を增したるには非ずして寧ろ政費の歳出增したるが故に歳入をして其數に從はしめたることなる可し即ち政府の本意は一に斯民を休養するの外なし其意は言にも發し文にも見る所なれども唯如何せん文明の時勢に促されて斯る成跡に至りしことなる可し尚ほ其上にも注目す可きは明治十二三年の頃には正貨と紙幣と其價を異にし正貨一圓は紙幣一圓五十錢内外に相當したることあり左れば當時の歳入六千萬圓と云ふも其實は四千萬圓の負擔に過ぎざるが如き實ありしかども今日は然らず銀紙全く一致して紙幣一圓は正しく銀貨一圓に相對することなれば金額上に相違なしとするも其實は當時に比して五割内外の增額なるべきに况して其金額上の增加甚しきに於てをや國民の負擔は殆んど一倍の重きに達したるものと云ふも可なり文明の盛事誠に大切にして之を觀るは吾人の愉快に堪へざる所なれども左ればとて泉源深からざる水流は終に一度は涸るゝの日ある可し我輩は國の長計の爲めに忍ぶ可らざるを忍び假令へ粗野質朴の嘲を取るも從前の圖を改めて節儉の道に就き歳出を計て歳入を爲すよりも歳入に應じて歳出を定めんことを祈るものなり