「治者被治者」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「治者被治者」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

在ボストーン某生

明治維新の革命舊時の弊習を一洗し我國の體面を革めたり抔との言は毎度新聞紙にも記載あり演説又は常談にも常に聞く所にして世人も此言を以て道理ありとなし一人の之に異存を容るゝものなきが如し余輩と雖も敢て異あるに非ず誠に以て維新の大業は近來珍らしき騒動にして數百年來天下の政權を私して天下の人心を籠絡したる流石に強大なる武家を倒して其政權を王室に復したるは誠に天下の一大美事にして我國立君の體面を全ふしたる者なれば余輩は喜悦に過ぐる者なし世人と共に此聖代のコ澤に浴し以て我國後來の文明期して待つべきなり然りと雖も一犬虚に吠え萬犬其虚を傳へ虚能く虚を生じて天下虚の世の中となるは古今の歴史に照らして其例少なからずされば世を怨むにあらず人を惡むにあらず虚心平氣以て條理の存する所を考へ所謂明治の革命とは果して如何なる性質のものなるか舊時の弊風を一洗したるは果して此革命に由りたるものなるか又は他の源因に依りたる者なるか我國の體面を革めたりと云ふ其體面とは如何なるものなるかを考究し世人が此聖代を悦ぶ所と余輩の悦ぶ所と果して其點を同ふするや否を論究して以て世人と共に我國後來の成行を豫想し豫め之れが謀をなし時に臨んで狼狽せざるの覺悟を定めんとするものなり乍併此論端を開くに當り此に一言を費やさゞるべからざる者あり余輩は世に所謂政談家にあらず况んや政黨の如きは余輩の毫も關係なき所にして余輩の眼中朝野の別なし世に對し人に對して不平を抱くにあらず畢生の目的は事物の條理と考へ以て文明の進歩を圖り人間生々の約束を遂ぐるに在るものなれば論説行文の中或は世人の耳目に逆ふの言あるやも計られずと雖もこは唯一時の筆勢にして記者の故意に出づるものにあらざるが故に一字一句の片端に注目することなく能く其全意の存する所を吟味せられんこと深く希望する所なり

我國舊時の王代はいざ知らず凡そ武家の世の中となりたる以來明治の初年コ川の時代に至るまで治者と被治者との分界判然分れて互に其利害を殊とし權利を別にし其間更に交情の通ずることなく治者の位地に生れたるものは世々代々治者たるの地位を占有し被治者の地位に生れたる者は其地位を以て己れの分となし敢て其分を越て治者の地位を望む者なく其分界は恰も天より定りたるものゝ如くにして士族以上治者の位地を占むる者は其何故に治者たるの位地を占有して國民の上に立つやの疑念を抱くことなく唯漠然侍は國の政權を執て下農工商を制御する筈の者なりと心得又た被治者たる農工商も其被治者たるの地位に滿足して之を疑はず國の政事は士族以上の取扱ふべきものにして己れ等の關する所にあらず己れ等は唯上の命ずる丈けの租税を上納すれば夫れにて最早他に役目なきものなりと心得各々先祖傳來の地位に安んじて之を疑ふの勇氣なく誠に天下泰平にして世は圓滑に治りたり固より我國の歴史中民間より出でゝ一國の城主となり被治者の仲間より出でゝ治者の仲間に入りたる者其例少なからずと雖も此類の人物は農工商たるの資格を以て治者の位地に登りたる〓にあらず其治者たるの位地に登りたる時は己に其農商たるの格式を失ひたるものにして其身の出所を尋れば民間の農工商より出でたる者なりと雖も己に其治者となりたる時は恰も從前の仲間と絶交して士族以上の仲間に加入したる者なれば幾人の治者が農商の間に起るも被治者の位地は之が爲めに寸分の歩を進むることなく其状恰も味方の勇將我に背て敵の陣門に降りたるに異ならず只に味方に一人の勇將を減ずるのみならず敵に一人の勇將を揩オたるの姿なれば味方の不利之より大なるはなく農商の狼狽思ひ視るべし斯の如く上下の區別判然と分れ天下の政權士族以上の手中に歸したるは是れ又偶然のことにあらず封建割據尚武の時代に在ては唯腕力を以て事を制し所謂弱の肉は強の食なれば腕力に富み武藝を以て其職とする武人が其政權を占有して其他の下民を御するは止を得ざる次第にして獨り我國のみに限らず世界萬國封建割據の時代には何れの國にても治者と被治者との間柄は我國の侍と平民との間柄に異ならず英國の如き舊國に於てすら此間柄の鐡壁を倒したるは實に近年のことにして或は尚ほ今日に在ても時々其遺跡なりと思はるゝものなきにあらず一度び人心に印し社會に傳はりたる物は容易に消失せざるものにて一世の習慣能く萬世に傳るの實を見る可し(以下次號)