「治者被治者(前々號の續き)」
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時事新報に掲載された「治者被治者(前々號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
されば今日の所謂政事家なる者も皆之れ治者中の人物にして我國をして今日尚ほ封建の世の中ならしめなば治者の位地に立て治者の事を行ひ國の政事にも參して人民を制御するの人物なり今日朝に立つ人は勿論野に在て或は民權或は國家抔と新聞に演説に之を喋々する者は皆之れ封建の士族か又は新たに此士族の仲間に加入したる者のみ在野の人物基本を尋れば或は卑賤より起りたる者もあるべし或は百姓町人より出でたる者もあるべしと雖も其朝に立て政權を執る其有樣を視れば舊來の治者が治者たるの位地に立て政を行ふ者に異ならず又在野の有志者と云ひ壯士連と云ふも其種類は明治の初年に天下を行したる浮浪の徒に異ならず朝にある者は被治者たる農工商の位地を脱して恰も其縁故を絶ちたるの形にて野に在るの政治家も好時機に乘じて今日の治者に代り以て自ら其政權を執らんと欲する者にて即ち今の豐臣を倒して第二のコ川たらんことを欲するものなり或は其口實を民權に托して其趣は前浮浪の徒に異なるが如しと雖ども一方の治者が一方の治者を攻撃して之を倒さんとする其有形は更に異なる所なし且又其口實とする民權抔云へる新主義も其實は歐米人の唱ふる眞の民權論とは全く趣を異にするものにて彼れの所謂民權は其民權の主人たる農工商が自ら唱ふるの説にして我國今日の民權論者は其客たる治者の一部即ち在野の治者が暫らく人民の名を借用して其説を唱ふる者なるが故に往々其所行の親切ならざるもの多し其状恰も病人に代て其容體を醫者に述ぶる者の如し到底眞實の容體は他人に代て述ぶべきものにあらず強て之を述べんとする時は大に其容體を過り胃弱に風藥を盛るが如き不キ合を生ずることならん又朝にある人物を視るに是れ亦純然たる舊來の治者に屬する人物にして本來無職業の身分なるが故に其官に在るの間は官を以て職業と爲し衣食豐なるが如くなれども一朝官を退くときは忽ち本の無職業に還り甚しきは日々の糊口に苦しむ者もある可し或は斯る有樣に居ながらも尚ほ外面を裝ひ我れは民間の人物なりなどゝて公言する者なきに非ざれども其實は民間の人物にあらずして在野の治者と云へる一種無職業の遊民たるに過ぎず亞米利加の合衆國、歐羅巴の英國などに於ては然らず朝に立て政權を執る其有樣は嚴然動かするべからざるの威勢なりと雖も此治者は唯其在位の間のみ治者にして一朝其位を退けば本の被治者に還り敢て他の百姓町人に異なることなし加之ならず尚ほ其位にある間と雖も從來の職業を廢するにあらず銀行の役人にして大藏卿の職を帶ぶる者なり鋼鐵の製造者にして商務卿たる者あり其有樣は治者の位に居て被治者の仲間を脱せず一身兩職を帶ぶる者と云ふべし治者の位に登るも固より被治者と其縁故を絶つにあらず其本職は被治者たるの位地に在て治者は其内職なり故に彼國に於て民權抔を唱ふる者は我國の如く客にして主人の名代を勤むるにあらず主人自ら進で其説を唱ふる者にて肉屋の主人能く演台に登て施政の良否を説くべし然かも其所説は自家一身の利害に關する所なるが故に自ら親切にして空理に流れず我國の〓〓者が人民の名を濫用し人民の疾苦を憶測して無用の空理を唱ふるが如きものにあらざるなり之を要するに日本國には論者ありて人民なしと云ふも決して過言にはあらざるべし
如此今の日本の状體は更にコ川時代の日本と異なることなく恰も治者專制の世の中にして朝野共に治者の行する其際に我國の基本たり我國の國民たる被治者の有樣を顧みるに其樣眠るが如く死せるが如く國の政治は擧て之を他人に任じ敢て利害の關する所を顧みず其政事が何如樣なるも其拐~が何れの邊に在るも更に痛痒を感することなく保安條例は何故に發したるやを知らず市制町村制は何の用を爲す可きやを思はず租税の時に輕重するは天授の禍bノして其納めたる税金は何人が何用の爲めに消費するかを知らず唯これを納め終れば則ち義務を盡したるものにして其以上は役人の思召次第に任ずるのみ一切萬事御上の御世話ある可きなれば吾吾百姓町人の喙を容る可き限りに非ずとして安心決定し朝夕自分の商賣繁昌家内安全を祈るに過ぎず或は其思想漸く家内を離れて戸外に渉るも極度は町内村内に止まり村社の祭禮に五穀成就を祈り初午の幟に町内安全を表する位の事にして一家の外に町村あるを知らず町村の外に天下あるを知らず誠に以て無頓着千萬なりと云ふ可し扨この無頓着は我國の爲めにスぶべき事なるか又た憂ふべき事なるかと云ふに勿論憂ふべきの極なれども今遽に之を矯正せんとするも固より一朝一夕人力の能くすべきにあらず蓋し明治維新の如き政府の更迭治者の交代は假令へ兇器を用るの慘状を呈するも僅か一年二年の間に其局を結ぶべしと雖とも人心の變遷は中々容易のことにあらず市制町村制の發行の如き人民に自治の拐~あるを認めての事ならんなれとも前述の次第にて治者と被治者と乾坤を殊にし所謂上下尊卑の限界を定めて動かす可らざるに於ては大切なる良制度も更に其功能なかる可し我國人心の變遷其端獅敎已に嘉永年間に之を聞きしと雖とも明治廿一年の今日に至るも尚を未だ差したる運動なきのみならず今正に運動の最中なりと云ふも可なる程の次第なるが故に苟も國を憂へ身を愛するのひとは須らく此變遷の運動に着目し日本全國をして悉く被治者たらしめ此被治者をして傍ら治者の内職に關らしむる樣の謀をなし以て眞の文明に進み人類たるの約束を遂げんこと餘輩の希望に堪へざる所なり(完)