「磐梯山罹災の救恤」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「磐梯山罹災の救恤」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

磐梯山罹災の救恤

此度び福嶋縣耶麻郡なる磐梯山噴火のために其地方の災難は實に容易ならず混雑の最中取調べも尚ほ行届かざることあらんなれども今日まで計へたる處にて死人の數四百餘人にして怪我人は千人に餘ると云ふ其中には豫て病氣の者もあらん常に身體の虚弱なる者もあらん、老人にして足弱の者もあらん、婦人にして妊娠の者もあらん、盲目もある可し中風患者もある可し此輩は平生にても人の助けを假りて起居する程の不幸者なるに天命時に仁ならずして神も佛も恃むに足らず千萬の雷震に等しき噴火の一聲に老若男女の差別なく幸も不幸も諸共に瞬くひまに地獄の苦痛、燒石に打たれ、山崩れに埋められ、空中飛ぶ石に射られて身は微塵に碎け、小兒の首はちぎれて木の枝に懸り、母子手を携ながら熱湯の泥に爛死ぬもあり、人こそ知らね尚ほむざんなるは土に埋もれたる家の内に居て何かの物に支へられ即時に絶命せずして數日の命を保ち次第に餓ゑ次第に燒けて往生するもあらん其有樣は迚も筆紙に盡す可きにあらず記者が拙き筆を執るも覺えず涙は落ちて紙を潤ほすのみ逝く者は追ふ可らずとして跡に遺る者は如何す可きや千有餘人の怪我人の中尚ほ追ひ追ひに死ぬる者もあらん幸にして全快に及ぶも夫に別れたる妻もあらん父母を失ふたる孤もあらん老人には寄る可き子なくして不具の輩には衣食の道を得べからず、居るに家なく耕すに田畑なし、亦是れ生きながら此世の地獄なれば凡そ日本國中の善男善女かりそめにも今日の生活に餘りあらん人は死者の供養の為め生者の救恤の為め多少の寄附金あらんこと我輩の切に願ふ所なり是れぞ謂ゆる實際の施餓鬼にして其功徳は未來を待たず目のあたりに衆生歡喜の聲を聞く可し固より其金の高は多きを求るにあらず一盃の酒を節し一枚の衣裳を省略し僅に身の快樂を缺いて他人に大快樂を授け其地獄を變じて極樂と為すことなれば十錢にても一圓にても又何十何百圓にても家の貧富と志の深淺次第當時事新報社へ向け為替又は現金にて送り届けらるゝに於ては本社は悦んで之を預り各新聞社と相談して災難の地方に送り其處分に付ては福嶋縣廳を煩はす積りなり凡そ人の死亡怪我は皆災難にして憐む可らざるものなけれども爰に可憐の段等を作れば先づ輕氣球に乘り大洋を游ぐなどは隨分過りの多きことなれども本來その人は危を犯すと覺悟を定めたる者なるが故に假令へ不慮の死を遂げ又は怪我したりとて他人の愁傷は左まで深からず此人情を推し廣めて考ふれば戰爭に出陣する者、船にて航海する者の如きも常人に於て多少に覺悟あることなれば其覺悟の深きと淺きとに由りて萬一の時に當り傍の人の情にも深淺あるものゝ如し左れば今水を游ぐにあらず船に乘るにあらず少しの危きを犯さず悠々として今年も去年の如く今日も昨日の通りに安心して家に居り又野外に出で夫婦親子共に樂しみ共に働く其最中に地獄極樂顛倒の大變は是れぞ災難の最も惨刻なるものにして海上難船の類にあらず想起せば既に二年彼の紀州沖にてノルマントン號の難船のとき世の慈善家は其不幸を弔ふとて盛に義捐したることあり今度の事は其不幸の輕重、その人數の多少、固よりノルマントンの〓にあらざれば〓〓〓必ず〓〓〓義捐の國中廣くして大ならんことを期するものなり