「凶荒の用意如何(前號の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「凶荒の用意如何(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

凶荒の用意如何(前號の續き)

凶荒の恐るべきは前に抄出したる數節を見ても其大概を窺ふに足るべし盖し凶歳の來るべき年限は豫め人智を以て測量すべからずと雖も或人の調べによれば我國にては從來平均三十二年毎に一回の凶歳ありし割合なりと云ふ(天保七年(今を去ること五十二年前)以往神龜三年(今を去ること一千百六十二年前)以後千百十一年間の凶年を調ぶるに其數三十六箇年即ち神龜三年、天平四年、同五年、天平寶字七年、寶龜七年、延暦九年、承和十二年、寛平元年、長德二年、承保二年、天永九年、元永年、長承三年、保延二年、養和元年、壽永元年、寛喜三年、貞永元年、康暦元年、應永十三年、文安五年、文明四年、永正元年、同十五年、天文九年、寛永十九年、寛文九年、延寶三年、天和二年、元禄九年、享保十七年、天明三年、同四年、同七年、天保四年、同七年なりと云ふ)古來の傳説に凶年は三十年乃至五十年の間に來るべしとの言、強ち無稽ならざるが如し今その年限の遠近は兎も角もその害既に恐るべくして且つその來るに時を期すべからざるものなりとするときは何はともあれ豫めその用意をなすこと肝要なりとして扨今日我國にて凶荒の用意如何を問ふに我輩は甚だ不安心の思をなさゞるを得ざるなり抑も凶荒の害たるや各國文化の進度、土地の形勢及び人民生活の方法等に從て事情を異にすと雖も我國の如く人民の生活は専ら農産物に依頼し且つ國内の運輸交通の便も未だ十分ならざるの國柄に於てはその害最も甚しく隨て其用意最も大切なりと知るべし然り而して其用意とて別に六箇數事にもあらず人々平時より心掛て食物を蓄へ置く丈の事なれども人の説に凶荒の害は恐るべきに相違なしと雖も交通の便利なる今日の世界に於ては一旦凶荒の時に及び他國より米穀を輸入すること容易なれば平日より心掛て儲蓄するにも及ぶまじと云ふ者あり是れ亦自から一説にして日本國中にても地理に由り亦事情に從て救急に差支なき塲所もあらんなれども山間僻邑、交通の道いまだ十分ならざる處甚だ多くして凶荒の害は斯る處に最も甚しきものなれば鐵道無告の人民は世に文明の利器ありと雖も未だ其擇を蒙らざる其間に早く既に轍鮒の災を罹ることもある可し故に今日備荒の方法は必ずしも強ち一所に於て大儲蓄をなすにも及ばず唯村々落々その分配の宜しきを得せしめ時に及んで急に周くするの要あるのみ盖し彼の備荒儲蓄法の如きも亦凶荒に備ふるの一法たるに相違なしと雖も法の精神は収税の便を謀るに専らにして單に備荒濟急の目的のみに出づるものにもあらず且つその府縣に公儲するものとても今日の處にては多くは公債證書を以てするの例もあれば塲所柄に由りては之れを以て一旦焦眉の急に應ずること難かるべし左れば實地凶荒の用意としては人々銘々に覺悟して儲蓄に心掛るこそ第一の要なれども如何せん今の地方の細民は年々負擔の重きに苦む其上に近來は米價次第に下落して農家の所産は以て其所勞を償ふに足らず豊年猶ほ且つ飢寒の色あるほどの次第にして僅に日一日の生活を營む者なれば饑饉の用意などは實に思ひ寄らざる所なり茲に到りて我輩は備荒儲蓄を以て慈善の事となし之を各地方富有の人々の義心に訴へんと欲する者なり其方法は富豪一家の私にするもあらん或は一村一郡の長者相謀りて貯蓄するもあらん何れにても資産豊にして歳計に餘りある人が其里の衆貧民の爲めに多少の穀物を用意し饑饉の苦痛を免かれしむるの趣意にして國中の各所に細々積で細々施すの法なれば其實際の効能は他の公共の大貯蓄よりも却て力ある可きものなり人或は謂らく如何に富有の人なればとて私財を投じて人を救ふが如きは其義務もなし又自家に餘計もある可らずと言ふ者あり一應道理ある言にして慈善は固より義務にあらず又人々の家に無用の餘財もなかる可きなれども滔々たる社會の一方より見れば各地方の官廳役所又は學校等の脩築より道路橋梁築港運河等の工事を始めとして甚だしき縁もゆかりもなき古今の人物事跡の建碑などに莫大の金を寄附して得意なるものあるにあらずや是れ等は決して寄附者の義務にあらず全く自家の餘財を投じて他の爲めにするの慈善か又は好事なる可し然らば則ち今同胞比隣の寒民が饑餓に瀕するの大難ある可しとするときは此の慈善を以て彼の慈善に易るに難きことはある可らず之を好事とするも文明の外装附合ひの好事と人の生命を救ふの好事と孰れか勝さる可きや各地の富豪も之を心に問ふて發明する所ある可し况して貯蓄の事たる全く人の爲めのみにあらず他を救はんとするの用意を以て自から救ふが如き珍事なきを期す可らず我輩は偏に其實行を冀望する者なり(畢)