「米國大統領の候補定まる」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國大統領の候補定まる」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國大統領の候補定まる

今年は米國大統領改撰の期にして米國の政治家は正に多忙の秋なり支那、土耳其等の國々に在ては政府の改革顛覆と云ふ事を以て甚だしき禁物として忌み嫌へども合衆國に於ては毎四年に大統領を改め從て政府全體を顛覆して之を改革すれども更に害なきのみならず却て其成跡の美なるは世界に冠たるものゝ如し誠に以て奇怪千萬の事どもなり盖し或國に於ては政府の權力廣大に過ぎて恰も社會の事物を包羅し事々物々政府を中心にして運動するが故に天下の人心に政府と國との區別なく政府は即ち國にして國は即ち政府なれば政府の顛覆を視て國の破滅と認め殊の外これを大事に思ふものなきにあらず然るに米國に於ては政府の交代顛覆を視ること我國に於ける神事祭禮の一興の如くにして大統領當撰の勝敗は關取の勝負に異ならず本來その政府の力左ほどに強大ならざるか、但しは又政府の權力は相應に強大なれども社會全體の事業盛大なるが爲め政府の權力は恰も之に蔽はれたるものか、然らざれば米國人は其政府を度外視して之に依頼するの心なきものならん兎に角に等しく天の生ずる同類の人間にして其思想の異なること斯の如くなるは亦以て不思議と云ふ可きのみ

最早事の概略は電報に頼りて日本に達したるならん米國のデモクラツト黨は其大統領候補撰擧の大會をセントルイに開き全會の同意を以て其候補者を現任大統領クレヴランドと決定せり又レパブリカン黨は同じく其大會をシカゴ府に開きしに此黨中には候補者の數意外に多くして遂に十七人の多きに達せり而して其候補者を撰ぶに前後八度の投票に依り漸くハリソンなる人を以て候補者となすに決したり今其候補者の人名と投票の模様とを左に示し以て讀者の一覧に供す

人名  一回  二回  三回  四回  五回  六回  七回  八回

Alger 八十四  百十六  百廿二  百卅五  百四十二 百卅七  百廿  百

Allison 七十二  七十五  百廿三  八十八  九十九  七十三  七十六  〇

Depew  六十九  九十九  九十  〇  〇  〇  〇  〇

Filter  廿九  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇

Gresham 百十四  百〇八  百廿三  九十八  八十七  九十一  九十一  五十九

Harrison 七十九  九十五  九十四  二百十七 二百十三  二百卅一  二百七十三 五百四十四

Howley  三  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇

Ingalls 廿八  十六  〇  〇  〇  〇  〇  〇

Phelps  廿五  十八   〇  〇  〇  〇  〇  〇

Rusk  廿五  廿  十六  〇  〇  〇  〇  〇

Sherman 二百廿九 二百四十九 二百四十四 二百卅六 二百廿四 二百四十四 二百卅七  百十八

Blaine  卅三  卅二  卅五  四十二  四十六  四十  十五  五

Makinley 二  三  〇  〇  十四  十二  四  四

Lincoln 〇  三  〇  一  〇  〇  二  〇

Foraker 〇  〇  〇  〇  〇  一  一  〇

Grant  〇  〇  〇  〇  〇  一  〇  〇

Haymand 〇  〇  〇  〇  〇  〇  一  〇

右の如く第一回の投票に於てはシエルマン、グレシヤム兩人のもの其多數を占め候補者は此兩人の中何れかに落札するの勢なりしにグレシヤムの方は追々に其數を減して第三回に至ては僅に九十八となり迚も絶望の姿なりと雖ともシエルマンの方は中々勢よく第三回の投票は恰も他を壓倒して獨り地位を占むるの有様なりしにも拘はらず爾後は最初の勢を以て增進すること能はずして一進一退方向に迷ふが如し是に反してハリソンの投票數は最初僅に七十九なりしも毎一回に追々其數を增し進む有て退くことなきものなれば其望甚た強しと云ふべし斯る事の次第にて其第七回の投票に至て二百以上の高點ある者はハリソン、シエルマンの兩人にして候補の落札は兩人の中に定まりたれども其勝負未だ前言す可らず然るに其第八回の投票に至りハリソンは五百以上に上りシエルマンは百臺に減し遂にハリソンは土俵際の勝を取てレパブリツク黨ほ候補者と定められたり却て第一回の投票に百點以上を占めて世人も此度の候補者は此人ならんと信し居たるグレシヤムが最後の投票僅に五十臺の少數を得たるこそ奇なれ、勝負は時の運に由ることならんのみ扨又彼の有名なるブレーンは大會の以前より今度の候補者たることをば斷然謝絶したれども尚ほ二三の人は此人物を捨るに忍びず強情にも之に投票したる者ありたれとも固より既に大統領たることを公に謝絶したるが故に多數を得ざりしことならん若しブレーンをして自から候補者たることを許諾せしめたらば必ず大勢力を占め或は全會一致の撰定も量るべからず同人が之を謝絶したるは果して何の意に出でたるや知るに由なしと雖ともブレーンの一身は終始政治を以て自から任じ人も亦其政治家なることを知り政談を以て今日其名を得たる人物にてありながら今更ら大統領たるの候補を謝絶したるは甚だ解す可らざるに似たれども定めて之れには深き仔細あることならん盖し永年の間米國の政權はレパブリツク黨の手中に落ち恰も之れを専有したる有樣なりしに四年前の撰擧に忽然今のデモクラツト黨の世の中となりたり扨て今の政府となりて其施政如何と云ふに却て從來レパブリツク黨よりも美にして公平の處置多く假令へ美にして公平ならざるも是れぞと云ふ可き程の失策もなくして民心大に其治政に安んじデモクラツト黨の壽命は中々今年に終るの模様あらざれば之と立合ふも勝利は迚も覺束なし最初より見込なき勝負に無益の力を費し却て贔屓を損して後日の故障を招くが如きは不利なりとブレーンも爰に視る所ありて初めより土俵に上らず身を退けて次ぎの角力を待つには非ざるかと臆測する者あり但し政治家の方寸その發表の後にあらざれば傍より明言す可らざるなり