「米國雜説 二」
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本文
米國雜説 二
商賣主義の政治 高橋義雄
今の米國大統領クレヴランド氏は其就職の初に於て米國官民の間柄は専ら商賣の主義に據りて何事も其便利を期すること肝要なり云々の意を示したることあり爾來氏の治蹟を蹤跡するに如何にも其言に背かざるを見るべしと雖ども然れども其商賣主義を以て國の政務を取り扱ふの慣例は建國の昔より次第に馴致したるものにして一朝一夕に起りたる事に非ず盖し今の米國人は多くは歐洲地方より移住したる者にして其始めて西大陸に上陸するに當りては茫々たる曠原の旅客、人々相對して其間に尊卑の區別ある可き筈なく獨立對等の人々相集りて共に政府を組成したることなれば官の部分に威儀嚴格の點少なくして只管人民の便益を目當てとするは勢の自然なりと申すべし今試に米國の政治を見に其規模極めて輕便にして官舎の建築も漫に宏壮奇麗を衒はず日本の各地方にて縣廳監獄裁判所等が毎度其土地の壮觀を添ふるに引き換へ米國各地方を巡覧する者は寺院の雄麗、商館の洪大なるに感服する程に政廳の輕小なるに感服せざる者なく或は一府に數週間の滯在を爲して遂に府廳の所在に心附かざる者さへあり之を要するに米國諸官廳の規模は比較上甚た輕便にして唯其政務を辨じ得るを以て限りとするの状を知る可きなり又其官府の事務體裁は自由に衆の縦覧を許して毫も憚る所なく人民各省の事務報告を得んとするか一封の端書を各省に送れば各省直に其報告書類を與ふべく或は政府の内に入りて其實務を觀んとするか政府は縦覧の時日を定め剰さへ案内人をも置きて殘る隈なく其事業の實際を示すべくワシントン府の國會議院は常に其門を明け放して下女も乞食も其中に入るべく大統領の官宅は千客萬來何の紹介もなくして館内の案内を乞ふことを得べく悠々たる天下の人民政府を視ること恰も己れの家の如く政府も亦之を容れて來往視廳、衆の自由に任ずるものゝ如し左れば米國の人民中には官府の人の威儀尊嚴などゝて民間の人に比べて官吏が何か特別の威光あるが如く心得るものとてはなく裏店の老婆が巡査と街上に談笑して毫も怪まざるが如きは申す迄もなく余が一日大統領の官宅に赴きたるの際に黑人の子守女が庭内の椅子に倚りかゝりて徐に守歌を唱へ又は毛絲の編物を爲し居るを見たることもあり又前年今の大統領がホワイト ハウスにレセプシヨンを開きたる其折、粗衣破帽の老黑人も入り來り今生の思ひ出に何卒一たび大統領と握手致したし云々と申し入れたるに大統領は欣然として其手を執り懇ごろに之れに應答せしかば老黑人は喜び極て其塲に倒れ殆んど起つ能はざるを見たるものもありと云へり即ち官邊の人々が其官威を振はざるのみならず却て人民に親近して其懇切の意を表するの一端にして政府の官吏が兎角威儀尊嚴を重ずる國柄の人の目より視れば一應奇異の感を起さゞるを得ざるなり盖し事務を輕便にして一切の繁文冗費を省き又其事務を公明にして有りの儘の情實を示し上下貧富の區別なく一意之を厚待して常に相親近するの道を失はざるは商賣主義の大眼目にして商家の信用を得ると得ざるとは専ぱら此點に在りと云ふも可ならん即ち米國の政治家は彼の商賣主義に據て其政務を取扱ふものにして例へば信用ある商人が得意先きの委托を受けて其商品を取扱ふに成る可き丈け疎略なきやう成る可き丈け雜費の少なきやう萬端注意を怠らざるは勿論、原價は何程、運送費は幾何にして之を若干に賣買し手數料何分を取りて出入諸掛り云々なりと仕入れ賣り出し一切の帳簿を客の目前に差し出して其實體を示すの趣に異ならず此一點より評するときは米國政府はコンミツシヨン マーチヤントの一體なりとも申す可きか其政務の簡便にして公明なる其實着にして虚飾なき一種出色の政治にして學んで得べからざるの妙處あるを見る可きなり
右の如く記述すれば余は米國の政治に心醉して共和論を賛成するものならんなど思ふ人々もあらんかなれども國あれば爰に其國風なるものあり而して此國風は建國の其時より次第に體裁を成すものにして恰も其民俗に適するものなれば國の政治を論するの際には其政治の果して國風に適するや否を見て始めて可否善惡の評に及び各國各樣の見解を下すこと肝要なれば米國政治の評論を移して之を我政治上に及ぼすなどゝは思ひも寄らぬ次第なりと雖ども彼の繁文冗費を省き政務の筋道を公明にし將た其官尊の宿弊を破りて民に接するに懇切を以てするが如きは盖し各國に相通じて其國風に戻らざる可きものなるが故に政體の根本論は姑く之を論外に置き彼の商賣主義の米國政治上に現はれたる者の中に就て學んで取る可きの部分丈けは勉めて之を學ばんこと余の窃に希望する所なり