「米國雜説三」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「米國雜説三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商賣主義の少年 高橋義雄

富を爲すにコ川家康流と明智光秀流の二あり時を積み恩を累ねジリリジリリと仕上ぐるは徳川流の筆法にして短兵急に大望を企て一擧に旗を揚げんとするは即ち明智の流儀なり文化未だ遍ねからずして人事の不規則なる世の中にては陋巷の窮措大が大言を放ちて俄に一方の役人と爲り書生が遊説を試みて腰に六國の相印を帶ぶるなど算數外の僥倖も少なからざりしかば商賣上にも例の明智流を試みて萬一の奇福を望むものありしならんと雖ども世事漸く整頓して人々算數の考を生ずるに隨ひ明智流の冒險者は次第次第に其數を減じて致富の道にも概ねコ川流を採用するに至るは勢の自然なりと申す可きか米國は流石に文明商賣の國なり少年書生も自から算數の考ありて處世の主義をコ川流に採り先づその心事を鄙近にしてジリゝジリゝと其歩を進むるの趣あるは余の大に感心する所なり今試に米國の學校少年に向て君等は學校を卒業するの後、何の職業に從事するやと問へば其の學ぶ所の異なるに隨て其返答もマチマチなる可しと雖ども商業學校の學生は商社の書記となる可しと云ひ法律生は代言人を目的として工部學生は鐡道橋梁其他諸建築の技師たらんことを希望する等當初の心事極めて實着鄙近にして事實に施す可らざるものなし即ち世に出で實務を執るにも職業に因て之を卑むなどの氣色なく中人の子弟が小學校を卒業するや否或は新聞雑誌書物賣りと爲り或は雜貨の小賣人と爲り其他思ひ思ひの商賣を爲して前途中學校又は大學校に入るの學費を作り或は在學中に學費の給せざることあれば夏季休業などを機會として夫れ夫れ思ひ附きの金儲を爲しある大學校の生徒中には休業に際して農家の草刈手傳を爲すものあり或は其卒業生が鐡道のコンダクトルと爲り又は才取仲買人と爲りたるの例もなきに非ず又或る商業學校の生徒中には都會の商店より帽子、靴足袋、カラ、カツフの類を仕入れ來りて之を自分の下宿部屋に飾り同學生徒の歸宅を校門前に待ち受けて之に安賣りの引札を配り學問の傍に小仕掛の商賣を營んで學費の一部分を補ふものさへあり其少年輩の氣輕くして思ひ附きたる商業をば手近く之を實行するの趣あるは此一斑を推して知る可きなり余窃に此少年輩の心事を探りて其想像を畫き見るに彼れ自から説を爲して凡そ書生の世に出でゝ初めて事業に當るの際には〓に望遠鏡を用ひんよりも寧ろ先つ顕微鏡を用ひて極めて瑣小なる事業をも其眼中に映せざる可らず身に〓〓信用もなく又資本もなき其折柄、漫に〓〓界を擴めて外觀を張り體裁を飾りて派出やかに事を爲さんとすれば自然不相當の資力を要して果ては其力の及ばざるを感ずるならん凡そ勞働して金を儲けるには百弗を一回に取るも或は之を百回に取るも嚢中の百弗は孰れ換らぬ百弗なれば百回にても千回にても敢て其邊に頓着せず取る可きものは氣輕く取り詰る所が百弗を儲けるを期せざる可らず云々と覺悟するものゝ如く之を彼の東洋の書生輩が三年鳴かず鳴けば必ず人を驚かさんと云ひ千里の馬は常に有れども伯樂は常に無しなど嘆息して徒に其氣位のみを高くし鳴かざるが儘に遂に其聲を揚ぐるの機を失ひ伯樂も案外横着にして容易に三顧の勞を執らず清貧の伯夷後年に至りて早く柳下惠たらざりしを後悔する等兎角志大にして其志を成すの順序を誤り一歩に社會の段楷子を蹈み踰えんとして毎度失脚するものに比すれば其心事の精粗固より同年の談に非ざるなり畢竟商賣の國に生れて祖先以來立身の經驗を聞き傳へ初めより算數外の僥倖を望まざるものならん即ち膽の小なるに非ずして思想の精密なるが爲めなりと云ふ可きのみ

米國の少年は何たる職業も之を卑しむの色なくして手近く之れに從事するが故に商賣、學問、政治、宗教、藝術等社會の人事は樣々なれども有爲の人物各部門に分散して自から其間の權衡を保ち各業齊一に發達することを得れども東洋諸國にては動もすれば政治の一部門を珍重して其他商賣以下の人事を卑下するの風あるが故に有爲少壮の士人輩は自然と政治の一方に走り苟も其志を得ざるときは所謂英雄失路の嘆とて最早此世に爲す可きものなきが如くに思ひ古人の句にも此生何所似、暗盡灰中炭など云ふことありて政治の灰中に埋らんよりは寧ろ殖産文藝等の社會に出でゝ其光輝を發するに若かずと思ひ立つものなきが如し斯くて少壮有爲の士人、政治の一方に偏すれば其他の社會は次第に無識者の居住と爲り士人之れを顧みてますます相近づくことを好まざるに至るは固より怪しむに足らざるなり凡そ何の職業にても實物の報酬のみにして之れに伴ふ功名榮譽なきときは以て人情を滿足するに足らず左れば今人才を社會人事の各部門に分配して偏輕偏重の弊なからしめんとするには其各部門の功名榮譽を恰も同價直の者と爲すこと最も肝要の事共なるが今米國社會の現状を見るに僧侶と爲りて其長老の地位に上れば地實物の報酬は彼の政治界の大統領にも減ぜざるのみならず功名榮譽も亦頗る大にして有爲の士人が其畢生の精力を用ふるの地歩あり又商工業に成功したるものは其面目の社會に光あるのみならず餘力或は政治界をも支配して時に政治家の進退を左右することさへあり學者文人藝術の士各々其道の榮譽報酬ありて曾て他を羨むことなく獨立有爲の士人輩思ひ思ひに各部門に入るが故に各部に學識あり品格ある人物ありて其社會の空氣甚だ清く其榮譽功名は世上一般の人より見ても誠に榮譽功名にして誠に重んず可きを覺ゆることなり左れば東洋の國にても追ては人事各部門の品格を一にし其中の功名榮譽に格段の輕重なからしめんことを期し斯くて有爲少壮の人が其力を伸ぶるの區域を廣むると同時に少年諸氏も乙に見識ぶりて妙に氣取るの習慣を改め按ずるよりも爲すが易しと覺悟を定めて米國少年の氣輕く實務に當るの趣を學びたらば社會の發達の爲めにも少年諸氏の立身の爲めにも共に得策たる可きなり