「米國雜説四」
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時事新報に掲載された「米國雜説四」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商賣主義の教育 高橋義雄
余嘗て日本商業教育を論じたる其中、日本の商店にて文明流の商賣法を採用せんと欲せば彼の年季奉公即ち無給雇人法を改めて月給奉公の法を撰むと同時に番頭小僧即ち店の者として月給奉公を望むものも亦豫め其向きの教育を受け算術に達し簿記を心得、商賣取引の大體に通じて文書往復に差支なき等凡そ商店の募に應ずるの資格を備へざる可らず目下日本の商業教育上、事の實際に必要なるものは此向きの人物を教授する學校なる可し云々の主旨を述べたることありしが果して然り米國に來りて商業教育の有樣を見るに其教育法は恰も前陳の趣意に據るものにして今其教科の一斑を擧げんに第一科は學理部にして専はら商業算術の大要、簿記學の大意、商賣上の術語及び往復文書の體裁等を教授し第二科は實試部にして學理部にて教授したる所を實際に運用するを目的とし生徒自から布帛雜穀等を賣買し或は銀行との取引を開き或は委托販賣を爲し或は保險の手續を爲し或は各種の手形を作り或は外國爲替手形を賣買する等日々の物價に應じて其間に掛引を爲し損u計算を其帳簿に記することなり又第三科は諸會社部にして郵便鐡道保険を始め委托賣買店、不動産取扱方内外爲替賣買所等の組織を示し其取引を帳合することを旨とし第四科は銀行部にして都鄙大小の兩銀行を置き實際通りに其事務を見習はしめ各科共に教師の講義ありて現行商法の大意を示し又商人たらんものは文筆の敏捷なることを要すとて全科押し通して習字の業を奬勵する等にして普通の智識あるものは大抵六箇月内外を以て以上の四科を卒業することを得るなり尚此外に別科として電信?に短記法を見習ふものもあり是れは自から電信技手たらんとするに非ざれども活〓なる商賣社會にては電信の往復頻繁なるが故に符號の儘にて之を解すること肝要なりとの主旨なりと云ふ米國の商業學校中には之より以上高尚なる學科を設けて商法經濟等をも教授するものあれども需要の最も盛なるは以上の教育法にして就學時限の短きが爲めに多忙なる身分の者も一時を繰り合せて入學を試み先づ以て商業の一斑を知ることを得るなり特に此種の學校にては其來學者の便を謀り當初入學の際に數十弗金を納むれば其人一代の間卒業免状を得るまでは何時校を去りて又何時來校するも別に授業料を申受けざるが故に商店の番頭、月〓〓〓〓〓て來りて修業する其際に學費の不足を感ず〓〓〓〓事務の多〓〓〓〓〓〓は中途にして〓々と〓〓〓〓〓て都合を見〓〓て〓〓〓と來學するなどの塲合も少なからず左れば此學校の中には頭の禿げたる白木〓〓丈八、聲の〓き丁稚の長松、或は雄々しき商家の令嬢或は六尺の大丈夫鬚髯神の如きものもありて來學者の區域自から廣くニユーヨーク州の某商業學校の如き創業以來二十年前後にして入學生徒は凡そ一萬五千人に上りたりと云ふ目下合衆國中には商業學校の數少なからず此處に一萬、彼處に五千合せて之を算すれば商業學校より出身して今の實際の商業に從事するもの其幾千萬人なるを知らず商業學校の効用も此に至りて始めて著大なりと云ふ可きなり
余窃に我邦の商業社會を見るに今日は恰も商業維新の時期にして文明流の商店にては追々月給奉公法を用ひ新聞紙上に番頭募集の廣告を出すその塲合とも爲る可きに就ては從來年季奉公と爲し商賣の餘暇に算盤、手習、商賣往來位を獨學したる店の者も豫め其向きの教育を受けて其募集に應ずるの覺悟なかる可らず左れども此等の人物は十分の學資を備へざるのみか片時も早く其職業を得んとする者なれば之を教育するものは成る可く修業の時を減じ成る可く教科の簡便にして且つ其要領を得ることを期し又成る可く來學者の區域を廣むることを謀り結局米國の商業學校と其成績を同うするの工夫こそ肝要ならん然に今の日本の商業學校は其學科極めて高尚にして之を卒業する迄に概して五六年を費すと云ふ即ち高等教育にして斯る商業教育も或る小部分には入用ならんかなれども滔々たる天下の番頭如何にして斯る高等學校に入り繁多なる商賣社會に於ては無一錢よりミリオナーにも成り上る可き程の長時限を費すに暇あらんや蓋し商賣主義の人は人事の進退總て此主義を標準とするが故に例へば學問を爲すに當りても茲に若干の資本あり之を以て學業を修むると之を元手として直に商賣を始むると後來の損u果して如何と之を黙算すること精密にして學科も高く時限も長く身分不相應の學校には先づ以て斷念することならん左れば今日の教育上彼の速成商業學校を設けて此等商賣主義の實業家を養成するは實に當務の急に非ずや勿論世間の教育者が高等なる商業教育を必要なりと云はゞ余も然りと答ふるの外なしと雖ども其教育者が〓り高等教育あるを知りて目前直接需要の最も廣大なる彼の速成商業教育を忘却するは余その何の意なるを知らざるなり
抑も學問に二樣あり一は之を深くすることにして一は之を廣くすること即ち是なり例へば哲學の如きは之を深くして其蘊奥に達したる所にて始めて妙味を覺ゆることならんと雖ども彼の商業諸學の如きは文明の商賣に從事する者をして遍く其大要を知らしむることを期するが故に之を深くせんよりは寧ろ其播布の區域を廣くして斯學の大要を心得たる人々を多くするに若かざるなり勿論商業の學問とても深く之を學んで其大博士たるものあれば愈々以て妙なれども今の繁多なる商賣社會の人に向て學問の深きを望む可らず即ち普通商業の智識を廣く此社會に播布すること實に當務の急にして經濟學の大疑問、商法上の虎の巻は其必要の時に迫りて之を其道の學者に質問するも事の實際に妨げなく將た實業社會に入りて自から其實務に當るときは多年の經驗、次第に實着なる智識を得て思慮分別の明を揩キ可きが故に商業の學生には誰れ彼れの區別なく廣く普通の商學を教授し之より以上商賣の道を自得してヴワンダビルトたりウエーダードたるは一に其人の運用に任ずべしと云ふ即ち米國の商業學校が前條巳に陳述する如く其教育上に於て概ね彼の速成法を採用する所以ならん今や我商業社會は恰も更新の時期にして尋常商家も追々簿記法を採用し或は外國商人と取引する等漸く從來の商風を一掃せんとするの氣運に際したれば此氣運に乗じて所謂商家の店の者にも普通商業の教育を與へ次第に我商人の品位をも高むること肝要なる可し此際我商業社會に普通速成の學校なく商賣主義の有志家をして教育の恩澤に浴すること能はざらしむるは我教育上の大缺典に非ずや委細の論は他日に讓り余は今爰に大要を述べて世間教育家の注意を乞ふものなり