「米國雜説五」
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時事新報に掲載された「米國雜説五」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商賣主義の社會 高橋義雄
先輩の言に我が思ふ通りに働くものは唯一人の我あるのみと云へり人の智愚は萬人萬樣にして常に其意向運動を同うせざるの趣を示したるものならん人事不規則の世の中にては一人獨り規則立ちても社會の運動之れに伴はずして以上先輩の言の如く毎度智者不如意の嘆あることなれども社會漸く發達して人々時と數との考を生ずるに隨ひ誰れが號令するともなく社會の運動其方向を同うして諸事何となく極りよく特に彼の商賣主義の行はるゝ社會にては其社會を組成する人々の意向期せずして自から相合する所あり或る部分に於ては其運動の恰も一人の意に出づるが如き奇觀なきに非ず斯くて社會の重要なる部分が規則正しく運動するときは偶々不規則なる者もありても知らず識らず外部の刺衝を受けて之れと相伴ふに至るは即ち自然の勢にして例へば東洋諸國の人が其商店を米國に開き周圍の諸商人と取引するの際には取引の時間に規律を立て共に各自の權限を守り共に信用を重んじて又共に商賣上の便法を利用する等文明商人と其運動を共にすることなれども此人々が一旦其本國に歸りて西洋流の規則正しき商法を行はんとし店の開閉に時間を限るも取引人は毫も時間に頓着せず電報を以て商品を注文するも先方は頗る氣長にして之に答ふるに郵便の挨拶を以てし執務時間に長坐の客ありて手形約束に違約の人多き等彼我の運動相一致せざるが故に多勢に無勢、之を奈何ともする能はず我れも自から其不規則の運動に連れて水に漂ふ海月の如く唯グヅググとして社會に流るゝに至るは誠に是非もなき次第なり即ち一人規則立ちても社會の運動之れに伴はざるときは永く其規則を守ること能はざるが故に社會に自然の規律を立て人事に文明流の運動を與へんとするには人々其意向を同うして共に其運動を興にするの覺悟なかる可らず今左に米國商業社會の一斑を〓して世人の參考に供す可きなり
第一勞働と休息との時間に規律あり 米國にて商人職工等の勤務時間は午前八九時より午後五六時までの間にして田舎住ひの職工は午前七時何分の汽車にて受持ちの帳塲に出勤し商店は八時前後に開店して執務の時間は冗談を語らず煙草を吸はす一心に其事務を處辧する〓〓〓に商店又は會社に用事ある者は〓〓〓時間を期〓〓〓〓し〓々と〓〓を〓して〓々と〓〓去り〓て〓〓〓〓を〓ぐれば〓〓〓〓〓務を切り上げて各々其〓〓〓〓〓〓景の〓〓、夜間の遊興常〓〓期〓〓〓ことな〓一日又一日か〓て日曜日の當日に至れば〓事のステーションに着したると一般、社會一部の機關は爰に其運動を停めて善男善女は朝夕例刻より寺院參詣に出掛くるもの多く車馬の出入、船舶の來往も人事と共に孰れも規則正しくして其社會の運動する有樣は潮の進退其時を誤らざるものに異ならず畢竟社會の人々が期せずして其運動を同うするものにして此中に生活するものは齊一の運動、殆んど其習慣を成し彼の鐡道王と呼ばれ或は電信大盡と稱せられて家に幾千萬の財産を積み錦衣玉食王侯を壓倒する人々にても執務の時には日常の粗服を服して其事務所に出席し書記と相並んで繁多なる事務に當り規則正しく立ち働くの風あるが故に之より以下の人々は况して東洋風の不規則なる風習に感染することを恐れ在米東洋人の會社などに雇はれたる者の中にも少しく思慮先見のある者は彼の不規則なる風習に感じて他日規則正しき社會の事務に當るの困難を思ひ匆々辭し去るものありと云へり我邦にても人事の或る部分に就て見れば隨分不規則なる所あれども不規則に慣れたるものは我も人も自から其不規則なるを知らざるの塲合なきに非ざれば人事の最も活〓なる商賣社會に於て先づ其取引の時間を定め其時間内には活〓に取引して唯ベンベンと時をツブさゞる樣の覺悟あらまほしき事共なり
第二人權を區別すること分明なり 凡そ人の私權を重んずる國柄にては一人として世に立つに當りて何處まで其私權を守る可きや之を區別すること甚だ分明なるものゝ如し例へば米國商店の奉公人が其商店に在りて勞働する間は主人の命令を奉ずること兵卒の軍律に從ふが如く商戰塲裏の掛引に於て主人一たび號令すれば理非曲直必ずしも問はず唯命是れ服從して水火も避けざる程なれども執務時間が過ぎ去りて此店の外に出づるときは以前の奉公人は忽ち獨立の一人と爲り途上たまたま店の主人に遇ふも互に對等に交際を爲して敢て其禮數を異にすることなく之を彼の東洋の奉公人が店中は勿論、錢湯に至りて丸裸と爲りても主人に向て尚主從の關係を脱せざるが如きに比すれば大に其趣を異にするを見る可し畢竟彼等が店中に周旋するは店の爲めに其身を賣りたるに非ずして金の爲めに其勞を賣りたるなりと信ずるが故に店中に在りては何事に因らず都べて主人の命に服すれども店を出づれば誰れ彼れの區別なく一樣平等の人間にして奉公人なりとて自から卑下する筈なしと覺悟するものならん即ち心事の高尚にして守る所堅固なるものと云ふ可し斯くて私權を守ること深切なるが故に自から其權限の外に踰ゆることを禁ずれども其權限の内に於ては決して他人の鼾唾を容さず米國の或る家族にては庖厨の諸賄方を一切下婢に托するものあれども斯くて下婢が庖厨大臣の權を握りたる以上は假令へ其家の内君たりとも庖厨の内に出入するには其都度下婢の許可を得ざる可らず而して内君も亦決して下婢の權限を犯すことなしと云ふ米國人の私權を重んずるの一斑として見る可きなり凡そ私權あれば爰に其責任なかる可らず責任は人をして自重の念を生ぜしむるものにして隨て獨立の望を起し我れに之を爲すの責ありと思へば主人が口やかましく叱り廻はすを待たずして奉公人より先づ自から其爲す可き所を爲し所謂奉公人根性とて仕事に蔭日向の別を立て主人の叱咤を恐れて唯其目前を繕ふの陋習に陥ること甚だ稀なり米國人常に云ふ奉公は決して不愉快なる事に非ず吾今錢なければこそ主人の命を聞て周旋勞働することなれ奉公して辛抱して錢を溜めれば吾れ即ち主人と爲りて其爲す所を爲すことを得べし言を換へて之を云へば今日奉公人と爲るは他日主人と爲るが爲なりとて望む所は身自から一方の主人と爲るに在るが故に前途春錦の如し進取活動の念中に煥にして小成に安ずる能はず成る可く多く勞働して成る可く多く給金を取り少しも早く主人の權を買はんとするものゝ如し畢竟心事の高尚なるものにして之をして然らしむるものは私權を重んずるの念與りて大に力ありと云ふべし我邦にても政治上にては人民參政などして政權を喋々するものあれども一方に向て却て私權の事を忘却し主從の關係未だ封建の舊習を脱せざるが如きは本末顛倒の談なるが故に今後は上流の人より自から導て人權の區別を明にすること甚だ肝要なる可きなり