「米國雜説七」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「米國雜説七」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商賣主義の社會 高橋義雄

第五器械の利用、人力の節儉 歐米諸國は器械の國にして瑣細の部分までも巧に器械を利用する其中にも米國は新開の國にして人の勞力不廉なるが故に器械の利用緻密にして隅々までも能く人力を節するは實に驚嘆の外なきなり試に米國の都府に入りてフト其周圍を顧みれば汽車前に走り電燈後に耀き家に入りて電話機の應答を聞きエレベートルにて樓上に登れば雲に聳ゆる高屋の上に瓦斯水管等の設けありて恰も平屋に居るが如く更に商業社會に至れば物価の高低する其側より數百〓外の客人は電信を以て賣買を注文し注文を受けて之れに返答する其往復電信の紙片は瀧の如くに器械より流れ手紙を認むる活字あれば談話を保存する道具もあり獨坐器械を動かして幾千萬の商賣を行ふも更に多くの人力を假らず商賣己に了りて人々市外に出でんとすれば軒外忽ち汽車馬車の來るあり車馬江上の渡船塲に着すれば車馬を乗せたる其家は忽ち中斷して運動を始めやがて彼岸に達する等器械の利用至らざる所なしと云ふべし凡そ器械を利用すれば其器械に促されて人も亦活動せざる可らざるが故に米國人は事務に當りて非常に活溌勤勉にして日本抔にては十數人を用ふ可き處を僅々兩三人にて辧ずるの塲合もなきに非ず余一日外友に誘はれてニユーヨーク府の或るバタ問屋に至りたるが此問屋は府中にても中々有名の者にして一年間の商賣高殆んど百萬弗に上る由、日本流の考を以て考ふれば小僧番頭幾名の外に若干の荷物運送方などを要するならんと思ひの外、店中には主人と番頭二人あるのみにして右の商賣を取り扱ふに聊かも不手廻りを生ずることなしとの事なり畢竟人の勤勉なるに加へて商賣上の諸機關自から相整頓するが故にして例へば手近く小賣商店の體裁に就て申すも日本の商店は坐賣法を採用し番頭は火鉢を抱へて店の端近く防禦線を張り小僧は後陣に差控えて謹んで其命令を待つ、客來れば番頭防禦線の處にて之に接し小僧は番頭の命を聞て一々庫の貨物を持ち出し番頭小僧を呼ぶの聲、小僧之れに應ずるの聲は恰も犬の遠吠の如く貨物持運びの人、紛々相旁午して店中の雜沓極まれりと云う可し西洋商店は之れに反し店の體裁都て所謂勸工塲風にして客來れば之を貨物の巣窟に案内して客の自から撰むに任せ斯くて貨物を賣るときは錢と受取書とを小箱に封じ之れを店中に張り詰めたる銅線に吊すに小箱は線上を渡りて直に勘定方の帳塲に到る、斯くて勘定方は帳合を了り釣錢を小箱に入るゝや否小箱は線を傳はりて忽ち賣子の手に達す其間毫も人の奔走を要せざるが故に數名の賣子、能く大商店を支配して客に不便を感ぜしむることなし即ち日本の商店を改良し西洋風の立賣法を以て之を支配することとも爲らば小僧番頭を三分の一に減ずるも尚綽として餘裕ある可し尤も日本の商店にては番頭小僧の多きを以て店の景氣と爲し人間の勞力の廉なるに乗じて之を一種の装飾品と爲すの意味もあらんと雖ども無用の小僧番頭を強て有用の者として却て器械力の利用を忘却するは國の經濟上より見て利害果して如何なる可きや我新主義商賣人の大に注意す可き所なり

第六新工夫の實行甚だ速し 新工夫を以て人に先じて利uを占めんとするは商賣國人の常にして去年米國専賣特許局の報告に據れば同年中特許の出願は三萬五千六百十三件にして千八百八十三年以來特許出願の數は年々三萬五千件より下りたることなしと云へり斯くて新工夫の夥しく世に出づるに當りて苟も實用の便あるものは人々爭ふて先づ之を採用せんと欲し新工夫者が其工夫を凝らす程に之を用ふるものも亦苦心して其新工夫を利用することにして新工夫一たび世の評判を博すれば其傳播の迅速なること殆んど想像外に出づるものあり現に彼の電話機の如き發明日淺きにも拘はらず今は米國内に至らざる所なく又彼の電氣燈の如きロツキー山上の村落にても時に之を見掛くる程にして其最も驚服する所は都鄙の進歩に懸隔なく田舎の人も抜目なく文明の新利器を利用するの一點に在るなり斯くて米國人が都鄙押し並べて常に新工夫の利用を怠らざるは其事業概して大仕掛なるが故に其一部分に新工夫を導きて大に便利を感ずることもあれば夫れ丈けにても年に幾千幾萬の利uを得ることにして其關係の少なからざるが爲めなる可し例へば有名なるペンシルバニヤ鐡道會社の如き一箇年以内に使用する乗車切符の費用にても凡そ二十萬弗以上に達し若し簡便なる切符を發明して之を採用するときは鐡道會社の經濟上に忽ち幾萬弗の利uを生ずることにして現に同會社にて發行する乗車切符數百種の中にデビス パテント テイツケツトとてデビス氏の工夫に係る切符あり此切符は其形細長くして片隅に千八百八十八年同八十九年と順次にに千八百九十九年までの年を記し次に一月より十二月までの月を記し其次に一日より三十一日までの日を記し置き又假に此切符を東京横濱間の者とすれば一枚の切符に品川大森と各ステーシヨンの名を認め例へば千八百八十八年八月一日新橋より大森まで乗車せんとするものあれば鐡道會社の切符方は同年月日の處を剪み又大森以下の處を切り棄つるの手順にして一枚の切符を以て各ステーシヨンに達する切符を兼帯し又之を數年間に流用することを得るなり此切符は近來の名工夫にして追ては各鐡道會社の採用する所と爲り鐡道經濟上の一助として其効力甚だ多かる可しと云へり又近來の新發明として學者社會の注意を促したる者の中にプロフエツサー グレー氏の電話機改良法あり蓋し從來の電話機は用談を先方に通ずるに高聲を發せざる可らざるが故に商賣上秘密の相談などを行ふに便ならず且つ雙方に通ずるものは雙方の音声のみにして後に證跡を留めざるが餘上に金錢上の授受を辧ずるに不都合なりしがグレー氏の考案は係るものは電信と電話とを合體したる者にして此に用事の件々を記すれば其筆の運動は電氣に由りて彼れに傳はり先方に件の文字を出現する趣向にして其通信の際に音聲を用ひざるのみならず先方の筆跡、此方の紙上に留まりて金錢上の用談には其文字を記名として見ることを得るなり此新案を實行する爲めニユーヨーク府にては巳に會社を創立したれば不日實業社會に出現して從來の電話機を壓倒することとも爲らんか米國にては斯く續々として新工夫の出現するにも拘はらず實業社會は之れに應じて其新工夫を實行することを怠らざるが故に學理と實業と密着して今日文明の偉觀を生ずるに至りたるなれ漢學者の説に磁石は支那人が始めて用ひたるものなりと云ひ和學者の説に活字は聖武天皇の時に用ひたることありと云へども爾來其成跡の廣く世に現はれざりしは何ぞや實業者の無頓着にして之を採用せざりしが故ならん即ち新工夫の大切なる程に之を利用することも亦甚だ大切なれば余は我實業社會の人が世上有形的の進歩に着目して之を看過せざらんことを希望するものなり