「露國の西比利亞政策」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「露國の西比利亞政策」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

露國の西比利亞政策

露國が東洋諸國に勢力を延ばすの手段として連りに西比利亞の開拓に從事するは近來隱れなき事實にして殊に鐵道事業は聖坡得斯堡より浦潮斯徳に至る凡そ七千有餘英里の間に粗ぼ豫測を了り停車塲の位地も夫々定まりたる事の次第は屡々時事新報の紙上にも見えたり此全線は自今幾年間に落成す可きや爰に明言すること能はずと雖も露國政府が西比利亞鐵道を度外に措かざるのみならず之に熱心なる次第は今日までの實際に於て疑なき所なるに頃日又驚く可き一報に接せり抑も今日迄露國政府は西比利亞地方を以て罪人の追放塲と爲し凡そ罪の重き者は公罪私罪に論なく之を其地方に送るの仕來りなりしに此程同國の行政議會に於て今後右の制度を全廢するの議に決したりと云へり其議なる固より急を以て行はる可きに非ず殊には西比利亞に罪人追放の事を廢すると共に本國には更に堅牢宏大なる獄舎の建築なかる可からず之が爲めには莫大の費用を要することなりとて同國大蔵大臣は不同意を表したる由なれども然れども敢て西比利亞を罪人の追放塲と爲すの本案に〓〓したるに非ずして詰まる所獄舎建築の費用に就き一塲の故障を入れたるに過ぎず又この議に關しては露〓の所思も〓からずとのことなれば今後尚ほ多少の時日を費すならんとは雖も遂に實行を見るに至るは疑ふ可きにあらず外國諸新聞の報する所に依れば同國政府にて斯る決議に至りし理由は一には自國人民は更なり歐洲列國の輿論に於ても露國が廣漠たる西比利亞を罪人の放逐塲と爲し無數の生霊を嚴寒瘴癘に苦ましむるの殘酷を非難する者尠からざるより同國政府は今に及び其誹を免れんとの念を發したることなる可し又二には國事犯罪人の如きは之を西比利亞に流すと雖も概ね途中にして踪跡を失する者多く現に三箇月以前の報告に依るに〓〓者をウラル山外に送出したる後、五箇年餘を經たる間に行衛の分らざる者は過半なりと云へり畢竟取締の不行届に依ることなれば之を防がんには別に堅牢なる獄舎の建築なかる可からず即ち今回決議の一因ならんと雖も之を外にして重なる理由は西比利亞地方は商賣上政論上兩ながら本國と密接の關係を有して殊に鐵道落成の後に至らば平原茫漠の地を拓て沃野に變せしむるの望少からず然るに斯る地方に罪人を散逸せしむるときは其取締益々弛緩に流ふ可きのみならず土地の静謐治安を害するの恐大なるが故に今に及んで其無頼〓漢の〓窟たるを豫防せんとするは經世の得策と云ふ可し尤も露國半〓の組織は今の歐洲中最も不規律不完全なる者なれば罪人を處するにも其法の殘忍なるは人の知る所なるに今や追放刑の廢止と共に本國に於て牢舎建築の〓あらば露國の獄制は爲めに更新するに疑ある可らず彼の大藏大臣は牢獄建築に四百五十萬ルーブル(一ルーブルは凡そ金貨五十錢)を要するを恐れたる由なれども一方より顧みれば廣大なる帝國版圖内の罪人を集め之を西比利亞に送るに其費用は實に莫大なる可し且つ之を廣漠無限の原野に追放し置くにもせよ夫れ夫れ監督の吏員を要し此等の費用も實に計る可からざる者なれば一時多額の金を出すも年々支出の少なきを望むの點より牢舎の建築は案外容易に行はる可しとの説あり殊に西比利亞地方には悉く罪人の追放を禁ずるの議なれども獨りサガレン嶋は從前通り當分重罪人押籠めの地となし追て永遠には禁を解て移住地と爲す筈なりとぞ

抑も露國が中央亞細亞を占領して以來既に其年久しと雖ども此間、開拓の政策を取らざりしは實は歐洲に對するの關係もあり将た西比利亞地方は相距る遠きが爲めに本國政府も已むを得ず開拓の着手を遅延して百般の政策を度外に置きたる次第なれども今は之に反し鐵道敷設の計畫と共に罪人追放の禁止を可決したるより視るときは其意の在る所亦以て知る可きのみ直接に其土地を接する支那の如きは大に将來に掛念ある可き次第にして次に我日本と雖も向後露國の西比利亞政策に對しては常に注意を忘る可らざるものならん