「繁文の弊」
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時事新報に掲載された「繁文の弊」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
施政の要は成る可く些少の費用を以て成る可く多くの幸福を人に與ふるに在ること勿論なれども古來何れの世にありても當局者は常に事業の擴張を名とし租税の增加を圖りて止まざるの弊少からず而して費用の增加は官吏の增加に從ひ官吏の增加は税務の增加に從ふものにして世の文明の進歩と共に人事の繁多なるに至れば政府の事務も亦これと共に增加せざるを得ず是即ち官吏に多數を要する原因ならんなれども中には繁文と唱へて無益の業に手數を勞し時間を費すの例頗る多きに似たり左れば繁文を去れば隨て吏員を減す可きは數の明白なるものなれば爲政の道は繁を去て簡に就くに在ること疑ふ可きに非ずと雖も抑も繁文の生ずる其由來を尋るに政務の要に迫りて人を用るに非ずして人の爲めに無用の官を作り其官あるが爲めに自から政務に煩雜繁文の弊を生じたることなるが故に今その弊を恐れて之を救はんとならば先づ事の源に遡り吏員を沙汰するの斷行なかる可らざるなり
人の爲めに繁文を作り繁文の爲めに亦人を要して多々益々際限なきは何れの國にも免れざるの弊なれども佛人ビロン・ダウヰネル氏が此程同國繁文の弊甚だしきを論じたる文章あり固より移して日本の政治社會を云〓〓〓に非ずと雖も共論旨適切なれば〓〓〓政家の〓〓〓之〓掲げん〓〓〓〓〓に在りて既往六十周年〓〓〓〓と〓比較する〓〓〓〓一箇年九億五千萬法より今日に至りては三十六億法の多きに進み恰も九年間に其租税を四倍するに至れり其内、戰爭の費若くは償金として外國に支拂ひたる金額もあらんと雖も之を外にして重なる原因は官吏の數、年々に增加し從て其費用の著しく嵩みたるに在りと云ふ可し殊に近代に至りては繁文最も煩はしく去る千八百七十六年以來吏員の非常に增加したる中に就ても其弊は殊に高等官に甚だしきが如し千八百七十五年中央政府高等官吏の年棒一千二百萬法なりしに同八十八年に至りては三千一百萬法の多きに達し十餘年間に全く五割を增加したるの比例なれども是と同時に政府の事業も擴張したる所あるやと云ふに更に然らず右は費用の增加なれども次に既往十年間に新設の官職を擧れば總監職十一名、副總監職十九名、局長五十一名、副局長七十四名の多きに至れり而して局長と屬官との比例を問へば局長のみ多くして屬官の數は之に伴はず例へば美術省の如き各局に長たる者三十人なれども之に附屬する屬官は七十名に過ぎず敎部省の如きも各部の長官は二十名にして屬官は三十名のみ又他の諸省に在りても其比例は孰れも相似たる者にして扨長官の身と爲りて考れば自分擔當の一局に斯くばかりの少人數を以て用を辯ずるとありては世間に對して其局の必要を表するに足らず或は無用の官局などゝ人の批難も圖り難き次第なれば兔に角に屬官の數を增して局務繁忙の外面を裝はんことを務め事の有無に拘らず唯自局の賑ひの爲めに無用の官吏を登用して止まざるものゝ如し内政の次第斯の如くにして更に外交上の費目に至りても難兄難弟の趣を見る可し曩に伊太利、日耳曼の兩國統一の事業成らざりし頃は佛國は諸小國に一々公使を派遣したりしも兩國一統の治に及んでは諸州駐在の公使は概ね廢せられて外交官の數を減ず可き筈なるに千八百四十七年ギーゾー氏が外務の主任たるに當りては大使館公使館の書記官總計三十三名なりしに本年フルーラン氏が外務卿たりし節は書記官の數七十四名即ち以前に較べて殆ど二倍の增加を見るに至れり或は陸軍省の如きも官吏の數は次第に增加し現にブーランジエー將軍がゴブレー氏の内閣に立て陸軍卿たりし時は其支配下の傳令使十三名の多きに及びたるに其以前即ち千八百六十四年ニール氏陸軍の事を攝するに當りては傳令使は僅に七名なりし斯く二十年足らずの内に其數を二倍にしたる事實に依りて之を見るも繁文の弊は判然として明なる可し而して政府の事務は官吏の增加したる丈けに擴張したる者かと云ふに決して然らず獨逸陸軍相の屬官は總計二百七名なれども佛國の陸軍相には七百五十五名を要せり即ち佛の陸軍相官吏は獨に對して三倍強の多數なれども事務には差しての區別なかる可し或は文部の費用に就て論ずるも既往二十年足らずの間に千六百萬法より八千萬法迄に增加したるは五倍の進みなれども同省の管下に屬する學生の數は四百萬人より進んで四百六十萬に達したるのみ再言すれば金に五倍の費用を拂ふて學生の數に僅か一割半を增したる者にして金と出來榮と不釣合なりと云はざる可からず斯の如く政府の繁文增加したると共に弊害の多き其例證は監察事務の進歩に照して知る可し即ち本人自身は無能無藝にして活働するを得ざれども他人の仕事には傍より彼れ是れと嘴を容るゝこと容易なるが故に其無能者無藝者の都合を計り調査委員監察委員など一種の冗官を作るの例少からず然るに近來は物價下落し生活の費用を減じたるにも關らず文官の費用は逆さまに進んで剩へ石炭蝋燭より官舍邸宅の贅澤費までも官府より之を給するとは以ての外の事ならずや是に反して裁判官及び軍人の如きは平生政府に縁薄く從て政黨の勝敗政權の授受を利する能はざるより賄賂として官を進められ又俸給を增加せらるゝの僥倖なく文官のみ獨り其私を占むるは偏頗の次第と謂はざる可からず是れ佛國現今官吏の有樣なり云々
以上は佛國にて繁文の爲め又賄賂の爲めに無益の官職を設け無用の人を用ひたる其弊の例證なり若しダウヰネル氏の説をして眞ならしめば我輩は佛國人民の爲めに其負擔の年々歳々に增加するを唯氣の毒に思ふの外なき者なり