「ブーランジエー論 (前號の續)」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「ブーランジエー論 (前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

次にブーランジエーの黨友に就て一言せんに平常將軍の爲に最も盡力する其人の一人をラゲールと云ふ其齡凡そ三十前後にして去る千八百八十五年ワンソールヅ州より撰ばれて國會議員と爲り極左黨の一人なれども其議論は更に一歩を進めて社會主義とも稱す可く職工等の毎毎ストライキを起して拘留せられたる塲合には氏は常に其辨護に從事し壯年ながら才幹の名あり加ふるに雄辨なるより反對黨の人と雖も恐るるほどの人物なりと云へり曩に將軍の爲めに憲法改正の動議を提出して前内閣を倒したるも實は氏の力與りて効ある者なりラゲール氏の次ぎに將軍の頼とするはチボー氏にして氏は從來各種の新聞編輯に從事したり其跡に就て考ふるに持論の共和主義ならざるは明白にして且つ議院政治に反對するが爲めに今日迄使用したる金錢も少からず而して其金の出所はボナパルト黨にして中にもジエローム親王より出たるもの多かる可しと思はるるは氏と親王との交際極めて親密なるを以て推測す可し又ブーランジエー將軍は資産豊なるにあらずして其家族の爲には一箇年少くも二千弗を費すのみならず將軍自身は平生贅澤なる旅館に投宿し近頃は又巴里市外なるニユイエーに別邸を構へ之に引移らんとの計畫もあり且平常は二頭引の馬車に乘り、時時政友を會して宴を張る其體裁も頗る盛なるものにして此頃ノール州の投票を買ふが爲に費したる金のみにても其額の莫大なるは世人の知る所なり又將軍の下に立て事を執る者は貧書生か然らざるも無資力の政談家なるに將軍が尚ほ能く之を支へて政治界に奔走するは何れにも其金の出所なかる可らず唯其金穴の帝政黨中に在るか或は過激黨の將軍を助くる者か此一事分明ならざれば我輩は暫く疑を存して後日に質す所あらんとするなり

將軍がノール州の撰擧に於て十八萬の大多數を制したる中の十萬以上は王政黨并びにボナパルト黨の投票なりしこと明なり尚ほ他の諸州に在りても其投票者は大抵皆右の二黨なりとすれば將軍の人望も凡そ此邊に在るを推知す可し而して温和派共和主義の政治家は一般將軍に反對なれ共殊に巴里其他の市府に在る書生黨は將軍に敵意を挾む最も甚し尚此外に將軍に反對するは巴里其他各市府の職工にして「將軍の監督政治を妨害するの必要あらば我我は不時に六萬の人夫を繰り出して抵抗すること容易なり」と聲言したるほどなり斯る有樣なるが故に將軍の政敵は將軍が巴里の人民に對して一般に其歡心を得ざるの事實を察し得たることならん現に巴里撰出の國會議員アナトール ドラフォルヂー氏の如きは人心の向背を卜せんが爲め自ら其職を辭し將軍を相手取りて撰擧を爭はんと申込みたりしに將軍は辭して之を受けざりしと

今の國會を解散して新に議員を撰びたらば或はブーランジエー黨が多數を制することもあらんなれども現在の國會にて將軍の股肱と頼む可き黨員は極めて少なく上院中には僅に一名、下院にても二十名を越えざる可しと云ふ去る六月將軍が初めて議院に出席して憲法改正の必要議を提出したるとき百八十六に對する三百七十七の多數を以て破毀せられたりしが其百八十六の投票さへも實は將軍の率ゐたる股肱黨の入札ならずして帝政王政二黨の外にロシフォール氏の過激黨并に社會黨等おのおの將軍の名を利用して以て自黨の目的を仕遂げんとしたる偶然の結果に外ならず左れども將軍は政治家に缺く可らざる一種の技倆ある人物にして今日迄我政略は斯くの如しと一定の主義綱領を公にすることなく何時も漠然として捕所なき説を吐くに妙を得たる者の如し其一例を示さんに嘗て憲法改正の必要を論じたる演説に

若し予をして撰む所に從はしめなば寧ろ大統領なきを欲すと雖も佛國政治界の先例として主領者なければ國の政治成立つ可しとも思はれず多年の後或は大統領なくして國を治むることを得可しと雖も今日に在りては寧ろ其職を設け置くこと必要ならん

と云ふが如き語氣曖昧にして捕ふるに由なきは却て我輩の感服する所なり將軍は又曰く

予自身は上院の廢棄を欲すれども若し之を全廢して國を治むる者とすれば或は思はざる危險なきにあらず寧ろ上院は廢せざる方然る可し唯其仕組を普通撰擧にするを要す

と云ふが如きも一應は其聞え宜しけれども左りとは二個の下院を作るの理なり或は予は平和を愛し秩序を尊むと云ひ若くは國家の安全を祈ると稱し將た實行す可き法案を賛成すると約し或は規律ある政府を設く可しとて説くが如き秩序、平和、國家の安全、規律ある政府は帝政、王政、共和、社會の諸黨に論なく孰れも皆希望の■((「黒」の舊字体のれんがなし+「占」)+れんが)なるが故に將軍は漠然之を唱へて世人を瞞着す、其術如才なしと云ふ可し        (未完)