「ブーランジエー論 (前號の續)」
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時事新報に掲載された「ブーランジエー論 (前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
ブーランジエー論 (前號の續)在倫敦 霞岳生寄
將軍の人と爲りは前節に記したるが如くにして其主義策略別に見る可き者なしと雖今日迄の擧動よりして政治上に及ぼしたる所の影響は决して少からず即ち將軍が其頭角を現はして以來一方の共和黨は互に相聯合して監督政治に反對の意を示したると同時に一方の帝政黨王政黨は本心より實に將軍を奉ずるに非ざれ共之を利して或はボナパルトの血統を立て或はオルレアン家の回復を圖らんとし又ロシフオールを始め過激黨員は將軍に依て今の政府を覆へし且つ上院を廢棄して純然たる民主政治を行はんとの内心より孰れも將軍に聲援する次第なれば佛國の現政府は將軍の友敵如何を察するにあらざれば政府黨の旗色を卜するに苦しむの事情ある可し又憲法の問題は將軍が其改正を急務なりと主張したるにも關らず大多數の議員は斯る必要なしとして其動議を破りたり或は當時下院の多數は將軍に賛成したりとしても上院は尚ほ力を極め反對するに相違なかなんなれば憲法改正の行はるる望は少しと云はざる可らず然りと雖今後如何なる出來事にて將軍の勢力熾んなるやも知れ難ければ遂に下院に多數を制するの目的なきに非ずとして其際上院が右の如く獨り之に反對するとせば其結果は議院の解散と爲る可し斯くて更に新議員を徴すに至ては反動の結果として王政帝政過激の三黨が將軍を助けて下院に多數を占むるなきを期せず事若し爰に至らば佛國の政治社會は全く其局面を變ずるに疑なけれ共爰に局外の見を以てするに議院解散の一事は今日に於て概して望なきが如し且つ帝政王政過激三黨の助ありとするも其助は眞心實意より出でたる者に非ずして己れを利するの方便なれば斯る烏合の衆を帥に聯合固き共和黨と相爭ふて勝算に乏しきは睹易きの理なり而して世間の見る所にて將軍が一旦其機を得て監督政治の權を握らば必ずルイ ナポレオン を再演すべしと懸念する者あれども抑も將軍とナポレオンとを比較するに第一に其時代相去る遠くして人心既に共和政治に慣れたるの今日なれば其將軍に黨與する者もナポレオンの時の如くに盛ならざるや明なり又其門地勢力に就て云ふも將軍のナポレオンに及ばざるは勿論にして殊に今の佛國の政治社會は多少の物情内訌なきに非ずと雖之を千八百四十八年の前後に較ぶれば概して平和太平なりと云はざる可らず又ナポレオンの時代に在りては帝政黨全國に散在して一般の人心未だ共和の政を好まざるの折柄なればナポレオンの事業一擧にして成就したりと雖將軍は全く之に反するのみならず譜代の臣屬あるにも非ず唯二三の政友が利己主義の爲めに之を輔くる迄なれば其基礎の固からざる固より論を俟たず此地位を以てルイ ナポレオン を學び監督政治を行はんとする抔は盖し覺束なしと云ふべし」
斯る次第なれば佛國共和政の顛覆は今日に在りて容易に見る可き事柄に非ず又獨逸との關係も其外面を見れば日一日に危急を告るの有樣にして一旦その破裂に至ることもあらば不平の徒は此機に乘して内に起り遂に政體の變更もある可きに似たれども實際に於ては佛國も常に警戒して妄に戰を挑まざるのみならず獨逸とても好んで事端を開かんとするものにあらず兩國正に相睥睨して發せざるの今日なれば當分の間は先づ以て掛念なかる可し故に獨逸關係の局部は旦夕の急に非ずとして唯恐る可きは歐洲全體の大事變にこそあれ例へば露墺兩國互に兵を交へたらば其害延て全歐に及ぶは勿論、然らざるもバルガリヤに一揆の起ることもあらんには其亂四隣に渉り佛國の人心は爲めに煽動して如何なる激變も圖る可らず此際に乘じて將軍が全國民の多數を制するの僥倖もあらんかなれどもこは唯意外の變に伴ふ結果のみ佛國政治社會が今の儘に共和黨に制せられて外に偶然の大事變なき限りは將軍は遂に功名を達するの機を得ざる可し
以上はブーランジエー將軍の今の地位に就き局外の見を下したるまでなれども政治上の事を論ずるは尚ほ天の晴雨を卜するが如く時として中れども又時として外るるを免れず殊に佛國人民の擧動は徃徃人の意想外に出づるの例も多ければ我輩は容易に未來の事を豫言するを好まず唯世人が將軍の擧動を見るの參考に供せん爲め爰に知る所の實際を記して貴社に投ずるのみ(完)