「政權と貴族」
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時事新報に掲載された「政權と貴族」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政權と貴族
國民共同して一人の主宰者を撰み之を戴て政を爲す者を民主の國と云ふ、民主國の人民は悉く同等にして貴賤上下の別なければ人の權利に至りても人爲の相違を以て其間に厚薄を立つるに非ず彼も我も同じく一國民の資格を備へて擁々たる者なりと雖ども建國の體これに反し一系世襲の君主を奉ずる社會に在りては階級の別嚴なると〓に人權の相違著しく、均しく國の住民なれども一は貴族たり一は平民たるの故を以て人事々物に對するの關係總て一樣ならざるは我輩が實地に就て見る所なり就中文化未だ進まざる時代に在りては人爵の別に應じて權力の相違最も甚しく尋常の庶民は公けにして喙を政治に容れ得ざるのみならず大切なる私權までも人の爲めに蹂躙せられて殆んど其餘地を留めざるに尊貴種族は全く之に反對し其威權公私の兩界に跨りて無際限の有樣なりしかども時勢の變遷と共に人事の輕重漸く趣を改め其中にも早く平等に歸したる者は私權の一部即ち是なり例へば財産私有の權、生命令誉の權若くは言論行為の自由など稱するものは皆人の私權にして法律は即ち斯る私權を護るが爲めの武器なれば凡そ其視る所には公侯なく士民なく唯一樣平等なる人民に對して公正の成敗を下すを以て文明の法律慣行と爲し今や私權に屬する範圍内には人爵の差別殆んど地を拂ふて絶無に歸したりと云ふも可なり
右の如く人の私權の部分に於ては貴族も平民も法律の視る所一樣同等なりと雖も事の公權に屬する者は然らずして今に尚ほ相違あるは西洋の君主國にも見るの例なり即ち一方には私權の同等行はれて尊卑貴賤の別を知らざる傍らに公權の不同等は依然舊の如くにして其面目を改めざるは文明の世に似合しからぬ事相なれども更に眼界を廣くして考ふるに總て孰れの社會に在りても貴族平民の間に多少公權の不同は免れ難き次第なれば之を自然の勢に放任して傍らより徐々に矯正を加ふるの外、好方便ある可らず本來國民の資格としては公に私に其權力は同等たること當然の理なれども人事の實際に臨んでは社會の大勢も更に其理を許さずして却て之を抂げざる科らざるの事情もあれば今の公權不同の不都合は亦深く咎むるに足らざる者なり若しもこれに相反し胸中私家の漫畫通りに社會の根底を一掃し國民公私權の同等均一を計らんとせば其結果果して豫想の如くなるを得可きや如何ん我輩は獨り其覺束なきを信ずるのみならず過激の手段適々社會の秩序を紊して其害の少からざるを恐るゝなり今の歐洲諸國に在りて虚無黨と云ひ共産黨と稱する者は公私權の別を問はず一切社會の制度を破壊し盡さんとするの種族なれば措て問はずとして之よりも較温和なる一種の政黨あり例へば英に於ては俄に貴族の跋扈を押へ併て愛蘭の分離を計らんとする自治黨の如き或は佛に於ては今の上院を全廢し同時に大統領の撰擧を無限直接撰擧法に改めんとする極左黨の如きは私權に對して是非する所彼の虚無黨社會黨の如くならざるは萬々なれども急激の手段を用ひて公權の不同を破らんとするの點は彼此恰も同轍なるが如し抑も公權不同の害は素より言を竢たずと雖も此不同を治するが爲めに更に急激の手段を採るは尚ほ尚ほ恐る可きの次等なれば容易に之に左袒す可らず左ればとて此不同を到底不問に附して可なりやと尋るときは何人も亦然りと答ふる者はなかるべし是れ即ち今日歐洲の政治社會に公權不同の爭を以て一大問題を開きたる所以なり
公權の不同は不條理なるが故に爰に其不同を除て平等均一恰も今の私權の如くならしむ可しとは學者論として一點の非なけれども是れは人事の實際を離れ専ら理の一邊より立論したる言に過ぎず經世家の眼に於ては更に現在の社會にも取捨斟酌して其論を矯むる所なかる可らず凡そ社會の制度は其時と塲合とに處し善悪利害を論ずるより他に標準なき者なれば今日歐洲の諸國に在て貴族が獨り不同の公權を特有するも其永遠の利害は兎も角も現在は社會の爲めに不利益を咎む可らず而して貴族不同の公權中特に其不同の甚だしきは謂ゆる政權の一部にして例へば英國の貴族の如きは其賢不肖に論なく唯世襲貴族の家に生れたりと云ふを以て代々上院に出席し國家重大の法律財政に喙を容れ以て下院に對峙するは我輩局外の見に於て甚だ不思議に思ふ所なれども英國の政治社會は今日まで之を許して疑はざるのみならず却て下院の組織に就ては其不完全を論難する者多くして之が爲めに其撰擧代議の方法順序も年々歳々に改まり一府一民の公權を保護するに汲々たる其趣を上院の慣行に比較すれば偏輕偏重の譏りを免かる可らざるものゝ如し然るに英國の人民は之を認めて敢て不審とせざるは何ぞや斯る制度も英國の社會には利なりと信ずるが故のみ盖し政治上の利害得失は各その國の實状に照さゞれば漫に局外の評を以て判定す可らずと云ふ事實に於て果して然るを見る可し（未完）