「政權と貴族 (前號の續き)」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「政權と貴族 (前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政府が新華族を作るの目的は二十三年國會の開設後に上院を組織せしむる凖備なりとの風説あれども其風説は兎も角も我輩の怪しむ所は今日世人が國會のことを談するに當り誰は新華族に列せられたるが故に必ず上院に入る可し彼は何何の爵位なれば下院に出席はなかる可しとて恰も貴族の一門は其爵の世襲と共に永く上院席に就くのみならず其自分に制せられて下院の出席を得ざる者の如くに信ずるの一事なり畢竟英國の議院組織を想像するが故に是等の説も起ることならんと雖も英國の組織は獨り英國を限りてのみ通用すべき者なれば以て日耳曼に移し難く以て佛蘭西に用ふ可からざるは論を竢たず况て日本は王政維新廢藩置縣の其以來社會の階級に華族の一門ありと雖も唯是れ人爵榮譽の區別たるに止まり英國の貴族が今に尚ほ不同の公權を有して上院席を私占するの例とは同日にして視る可らざるものなり然るに我國人の政治を談する者は常に英國議院制度の美なるを稱し内閣の勝敗政權の授受悉く輿論の向背に依て之を卜して他の原素を交へさるが如きは東洋新開國の鑑と爲すに足るものなりなどと頻りに之を稱賛するの餘り彼の上院の組織をも共に美なるものと認め仔細の状實を悉さずして遂に政權を人爵の附屬品なりと誤信するに至りしものならんのみ抑も英國の議院制度は西洋諸國の中に在りて較完全のものなるは我輩の異議なき所なれども上院の組織に就て論ずれば昔より勳閥の餘蔭を以て不同の政權を世襲にするの習慣と貴族既に世の進歩に後れて政治上に實力乏きの事實とは其國政の爲めに聊か惜まざるを得ず然るに日本に於て之に反し折角平等に歸したる公權を再び貴族の手に與へ以て其不同を蘇息せしめんとするが如き事もあらば我輩は斷して其不利を言はんと欲するなり

英國の上院は往日こそ國政に與りて勢力ありしに相違なけれども其子孫代代必ずしも賢ならざれば其議席も今は無能の侯伯唯りこれを私するのみにして次第に權勢を失ひ議員中、十の八九までは車馬輕裘の快樂外に殆んど世事を忘れたる者今の有樣なりと云へり適適有爲の人物なきにあらねども其數至て少きのみか此等の士は上院に出でざるも實は政治社會に勢力を伸ばす可き身分なるに却て己れの門地に束縛せられて下院の門を踏むを得ざるこそ不幸なれ、本來英政の實權を握るものは下院にして即ち國中各種の利害を代表する議員の〓〓なれば苟も輿論を制して國政を執らんとするには何は偖置き★巳★れ先づ自ら下院の席に旗幟を張り反對黨の議論を破りて院中に多數を占むるの手段こそ肝要なれども貴族にして政治の局に立つ者は例の上院出席の制限あるが爲めに直に其方面に當ることを得ずして之を他人に托す、緩急前後を誤りたる事相なりと云ふ可し例へば今のソールズベリーの位地に就て言ふも自身は貴族たるを以て下院に臨む能はざるより配下の閣員をして代て其衝に當らしめ己れは上院に引籠もりて敵陣に接せざるは政治界の戰略にあらざるが如し上院は素より保守黨の淵叢なり縱へソールズベリー自身にこれを率ゐざるも己れの味方なるは初めより明瞭なるべければ此方面は他人に任せて躬からこれに與からず更に下院の議席に臨み其材力を奮ふて自由黨に當りたらば保守黨政府の勢威も必ず今日に優る者あらんなれども事爰に出でずして無用の地に其材を煩はすは侯の爲めに惜むに堪へず或は前の保守黨の首領たりしビーコンスフイルド伯が尚ほ一★巳★の ベンジヤミン ヂスレーリーの資格を以て下院に立ち敵衝に當りたるの際と既にして貴族に叙せられ上院に引籠もりたるの後とを比較するに政治社會に對するの光〓氣■(「勹+臼」+右側に「炎」)大に相違を生じたるは疑ふ可からず今の英國貴族の大半は謂ゆる錦衣の公子にして孰れも人事世事に暗き中に、適適有爲の人物を生じ又或は之に加ふるに新貴族を以てして活氣を有たしむるの策は貴族一門の爲めには大切ならんと雖も廣く英國の利害より考るときは其得失未だ知る可らざるなり世人或は英國の上院を以て貴族の力を伸ばす可き好地位なりと認る者もあらんかなれども苟も貴族中に有爲の人物を出すときは其人は必ずしも上院に便らざるも政治界に働きを示すの餘地裕然たるのみならず其籠居の禁を解き自由に政治社會を奔走せしめたらば視る可きの偉業は今に倍するものある可し我輩の窃に信ずる所なり        (未完)