「政權と貴族 (前號の續き)」
このページについて
時事新報に掲載された「政權と貴族 (前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
英國議院制度の美なるは世人の唱ふる所なれども是は唯輿論の向背を以て政治の進退を决し特に其更迭の滑かなる一事に就ての談のみ其局部に渉りて詳細に論ずれば不都合の廉二三にして足らざれども就中貴族の一階級が偶然なる人爵の區別に依り不同の政權を世襲にして代代上院に出席するは獨り理の許さざる所なるのみならず更に其實際を窺ふに族中の大半は社交の樂み、漁獵の遊びより外に殆んど人事を解せざるものの如し唯時として三五有爲の政治家が其門地に生れて上院に立つが故に幸に其庇蔭を仰いで下院に對峙する事なれども若しも此事なくんば上院は頓に勢力を失して見る蔭もなきに至る可しとの次第は前號に其大意を記したり抑も貴族の階級を以て榮譽の尊稱と爲し特別の功ある者に之を與ふるは自から一種の便法なれども共に政權を附するの弊は往昔英國にてピツトが其勢を逞うするの日に己れの黨援を作らんが爲め政友を新貴族に叙したるの例に於て見る可し即ち之を以て上院に黨〓を張り反對の黨派を壓したるは氏が一時の方便としては或は得策なりしならんと雖も爾來これが爲めに英國上院は無用なる議員の數を増して今は殆んど其始末に究すと云へり去迚其數を■(にすい+「咸」)ぜんには併て貴族の尊稱をも剥がざる可からず畢竟ピツト一人の作りたる其俑は今日の英國政治社會に害惡を及ぼしたりと評して可ならん而して近來英國には斯る上院の組織を非難する者次第に多く、一大改良を加へんとて種種の考案中、今後は人爵と政權との區別を嚴にし彼の貴族たるが故に又必ず上院議員たる可しと云ふの古格を打破すること要用なりと説く者も少からずと云ふ我輩も遙に賛成する所なり左れば日本に於ても始めて國會を開くに當り人爵と政權と混同す可らざるの大義を忘れ世襲貴族をして上院の議席を踏ましむるを立憲國の制なりとするの誤解を脱しピツトが黨援を張るの手段として漫に新貴族を作て其害を後世に貽したる如き惡例に傚ふことなきのみならず更に一歩を進めて人爵は人爵にして全く政治外に置き政權は政權にして平等の旨に從ひ兩者の區別、〓〓犯す可らざるを祈るものなり
王政の國に在りては貴族は王家の藩塀にして兼て社會の標凖なること論を俟たざれども凡そ貴族として人の尊敬を受くる所以は位地人物財産名望等の外に古より其〓〓〓〓〓たる一〓の由緒なかる可からず即ち〓〓〓〓〓〓〓〓〓シヨ〓〓〓〓〓〓にして彼は〓百年前其〓〓〓〓〓〓〓の〓〓〓〓〓〓〓〓嫡流な〓〓〓〓何〓〓〓〓〓〓日ま〓〓〓〓〓〓門地な〓〓ど〓ふが如く〓〓〓〓〓古け〓ば其家の尊敬益益高く、〓て社會の聲望を繋で其標凖と爲り以て王家の干城藩塀たる可しと雖も新規取立の貴族にては其身に靄然たる古色を帶びざるが故に之に接して何分にも尊敬の念を起すに足らざるが如し我輩嘗て云へることあり貴族の榮譽と美術の値打とは共に其古くして且つ稀れなるに在り盖し英國の貴族が今に尚ほ社會に勢威あるも實は其家に傳はりたる由緒の力にして其人の賢不肖は深くこれに關せざるが如し日耳曼の侯伯貴族に至りては二三大邦の君主を除き他は孰れも門地由緒に乏しくして而して其數も甚だ多く、何人も容易に其號を冒すを得るた故に榮譽尊敬は少しもこれに伴ふを得ず日耳曼貴族と稱して却つて世に其虚稱を笑はるるに過きず英國の如きは曩にピツトの略に於て當時新貴族を作りたるの一事を外にしては別に政治上の私心を以て貴重の人爵を授受したるの沙汰も聞えず唯、時に帝室の恩賜として特功の人を敍爵するの例ありと雖ども其榮を享くるものは學者文人に非ざれば在外の大使、使臣、其外直接に政治の衝に當らざる人に多くして政治家には其數至て少なしと云ふ人爵を授るに吝にして經世の要を忘れざるものと云ふ可し左れば日本に於ても近來五等の爵を設けて新貴族を造るは政治上に有功の人を賞するの趣意ならんと雖も若しも政權と人爵との區別を混同し斯る筆法を以て國會開設後に上院の組織を描かんとせば其經世に害あるは論を俟たず或は政權人爵の區別は判然たりとするも漫に人爵の數を増して却て由緒門地の値打を損する如き次第もあらば貴族は爲めに王家藩塀の實を失ふなかる可きや隨分注意して可なり、政權の不同は國民の爭の基なれば之をして不平なきに至らしむること大切なりと雖も人爵の不同は之を國民懷舊の情に訴へて巧に利用するときは其効决して少少ならず經世家の容易に看過す可らざる所のものなり(未完)