「征討費の利子」
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時事新報に掲載された「征討費の利子」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
征討費の利子
征討費は今の國債の一科目なり聞く所に據れば政府は明治十年西南戰亂の際、軍費多端にして國庫の歳出入〓〓〓〓〓〓〓〓十五國立銀行と特約を結び同銀行の營業年限を期限として金を借用したることあり之を征討費と云う其金額は一千五百萬圓利子は年五分の割にて年々七十五萬圓を同銀行に拂い來りしかども明治十六年度に至り元金の内五百萬圓を償却して一千萬圓に減じたると同時に此一千萬圓に對する利子の割合を七分五厘に引上げて年々七十五萬圓を拂うことに約したり故に銀行は元金五百萬圓を請取りて之を利用しながら利子の髙は從前に異ならずして恰も廿五萬圓の歳入を餘計に〓したる勘定なりと云う抑も政府が十五國立銀行に對して斯くまでに寛大なるは或は此征討費を借用したるが爲めに西南の戰亂を鎭撫し得たりとて其功に報いる爲めか但しは他に事〓のあることか其〓は兎も角も今日天下一般に行わるゝ金利の割合に照らし政府の負債たる一千萬圓の大金に七分五厘に〓したるものとあれば今日に在りてはますます〓分の評を免がる可からざるが如し
政府が整理公債條例を發布したるは明治十九年の十月にして同條例發布より本年四月廿五日に至る〓の整理公債發行髙は〓に四千二百九十一萬七千八百五十圓の巨額に〓し其内、額面一千十七萬九千百五十圓は尋常の〓〓髙にして三千二百七十三萬八千七百圓は六朱以上利付金〓公債證書の當籤交換〓に臨時交換の爲めに發行したるものなりと云う惟うに政府が此條例を制定して之を實施し僅に一箇年半の其間に三千餘萬の金〓公債證書を償〓したるは必竟六朱以上の各種公債證書を〓に整理し其利子を引下げて悉く五朱となさんとの趣旨は外ならざる可し果して然らんには等しく國債たる征討費をも此趣旨に從て整理公債に切替るに若しくは其利子を引下げて至當なるが如し或は征討費は其貸借の〓に自から軍功の意味を含むものなりと云わんか、〓〓の功臣に賜わりたる賞典〓と雖も悉く公債證書に〓じて〓に整理せられたるものさえある可ければ勲功云々の説は〓〓に〓用す可からず又或は金〓公債證書の利子は十年前の舊約束にして征討費の利子は五年前の〓〓なりと云うも政府が止むを得ざる要用に〓りて〓〓〓〓ること能わざる塲合には一面に之を守らずして其守らざる中にも尚お公平の旨を存するこそ本意なれ、約束に五年の前後あればとて其一力に厚くして一方に薄くする處置は我輩の感服せざる所なり
又金〓公債證書の性質に就て論ずるも元と全國四十萬〓の士〓に授けたるものにして爾來賣買は少なからずと雖も今尚お之に依頼する者は士族に多きのみならず〓〓孤獨不具〓疾にして勤勞に堪えざる輩が唯一無二の資産として生命を繋ぐものなるに一朝にして利子の減少に〓い恰も生命を削らるゝ苦痛を感ずる者もある可し之に反して第十五國立銀行の株主は資産の點に於ても日本國中の最上に位する者にして其配分利益に些少の減少あればとて家計に厚薄するに足らざるは天下衆目の視て疑を容れざる所ならん左れば今我輩が世人と共に公平の旨を以て立論すれば征討費の利子引下げは金〓公債證書の交換より先きに着手して至當なりと云わざるを得ず但し政府理財上の都合もある可きことなれば敢て其前後を爭うにはあらざれども事の大趣意に於て政府が斷じて國債の利子を引下る政略ならば其債主たる國民の種族に論なく平等一樣に幸不幸を共にせしめんこと我輩の願う所なり