「人 品 論 在ボーストン某生」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「人 品 論 在ボーストン某生」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人 品 論 在ボーストン某生

古より人の品行の事に就ては學者の議論もあり聖人君子の説もありて其絛理の正しきもの少なからず因果の理を説き人倫の貴きを諭し現世の苦界、未來の榮華を方便に用ひて或は嚇し或は勸め人の物を盗む勿れと云ひ惡業をなす勿れと云ひ孔孟釋迦耶蘇おのおの一門戸を張りて之に忙はしく人間の行〓は恰も學者の的の如く右から説を立つる者も左から之を論ずるものも其目的とする所は人間の行にして殆んど其的に餘地を剰さざる程の有樣なり抑も人の行〓は最も貴重の事柄にして人生約束の大箇絛なるが故に幾度これを諭し幾度これを〓くも尚ほ〓き足らざる程の次第にして議論の多きは敢て怪しむに足らざれども其德〓の人事に現はれたる成跡を見るに我東洋人と西洋人との間には德義の樣を殊にするものあるが如し支那日本等の人悪人にあらず盗賊にあらず品行方正の善人君子は却て東洋に多しと云へも可なる程なれども其日常の擧動を察するに何となく東洋人は人品野卑にして歐米人の嚴然動かず可からざる者と比すべからざる所あるは世界を遊歴して其人〓風俗を審にしたる人の許す所ならん盖し其殊なる所は宗旨の畏同にもあらず又學識の淺深にも依らず別に一種の氣風を存して其人の行〓を支配する者あるが如し其氣風とは英語にて所謂Selfrespect.なるものにてセルフとは自身、レスペクトとは尊敬の意味にして即ち身〓から其身を重しとして自身を敬し以て其名譽を重ずるとのことなり此一事は古來我東洋の學者の餘り論ぜざる所にして却て其〓は謙遜辭讓などゝて己れの身を卑ふして他を尊ぶを旨とし自卑他尊の一主義を以て世〓の根本と爲すものゝ如し然に今日西洋人の品行上に行はるゝ氣風を〓れば自重自尊の主義を以て百行の本と爲し父母が子弟を〓すにも面目を汚す勿れと云ひ自敬の心を忘るゝ勿れと云ひ〓〓の久しき〓遂に其子弟の性と爲り成長の後に及ぶも此性質ますます發達して屹然動かざる氣象を見る可し今東西の士人其氣象の相異なる一二例を示さんに我國は古來武勇の國と〓し苟も封建の士族にして武藝の一端を心得ざる者なく全國の士人出入必ず兩刀を帶し恰も泰平に居て武を忘れざる者なれば武勇の一〓に至ては中々以て歐米人などの及ぶ所にあらず若しも彼等をして刀鎗の外に武器なからしめなば日本刀の下に顔色なきや明なり人々個々の勇氣に於て其東西の優劣斯の如くにして我武人の武は實に絶倫にてありながら古來日本に決闘の談少なきは甚だ以て不審にこそあれ歐洲各國就中日耳曼、佛蘭西等に於ては其昔封建の時代より十九世紀の今日に至るまで決闘の沙汰斷ゆることなく日耳曼の如き苟も〓年にして一度決闘を許さざる程の有樣なり英國に於て決闘は法律の嚴禁する所なるが故に其沙汰多からずと雖ども尚ほ武人〓會又は上等〓會の〓年仲間には往々其事ありて大に世人の評論を來すこと少なしとせず扨この決闘の次第を尋ぬるに或は女性の取り遣り或は金錢の賃借等其原因一にして足らずと雖ども大〓は〓〓罵詈等名譽の損害に依て〓るもの多く之を法律に訴ふるも一度損害せられたる名譽は恢復の道なく止を得ず身を捨てゝ其〓を雪ぎ敵を〓さざれば自から〓れて止まらんのみとの決心に出づるものにて即ち身〓から其身を重んじ其名譽を尊ぶ自敬心に發するものなり外ならず其擧動粗野なるに似たれども心事の快活なる人間の一大美事と〓するに足る可し我國に於ては近頃名譽損害恢復の訴杯云へる一種新奇の流行を催ほし堂々たる士君子にして身〓から其身の名譽を保護する勇氣なく僅に政府の威權を仰ぎ區々たる法律の明文に依て私の目的を達せんことを謀り甚だしきに至ては損害要償杯とて其損害されたる名譽の代に金錢を受取り以て得意の色をなす者なきにあらずと云ふ我輩は其心事の賤しくして卑怯なるを驚くのみ世に所謂賤丈夫が今日糊口の爲めに比類の訴を爲すが如きは聊か當人の〓に於て恕す可き所なきにあらざれども苟も士君子を以て自ら任ずる上流〓會に於ては啻に不似合にして卑劣なるのみならず智惠もなき所業とこそ云ふ可けれ名譽一度び害せられたるは固より本人の不幸なれども若しも之を雪ぐ方便なく又勇氣もなくば寧ろ之を黙々に附す可きのみ人の噂も七十五日の諺に洩れず日月の經過と共に風聞も消滅す可きものを好事にも態々公訴したるが爲めに世間の噂は却てますます喧しく遂には一生涯、人の口端に掛りて笑の種となる可し斯の如きは名譽の損害を恢復するにあらずして却て名譽を賣て錢に代ふるものと云ふ可し但し前にも云へる如く決闘其事のみを〓る時は如何にも野蠻〓昧の振舞にして決して好む可き事柄にはあらざれども其事の由て生ずる所の本源は人生自敬の心にして人間品行の一大個絛なれば之を仁義禮智信など云へる他の德義に比して更に甲乙の差別なきものと我輩は之を信ずる者なり(以下次號)