「人品論(前號の續) 在ボーストン某生」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「人品論(前號の續) 在ボーストン某生」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

又我國古來の風習として只管自から謙遜して他を尊敬し却て自敬の心を失して大に人品を汚す事あり今日通常の言語にても自から〓して拙者又小生杯と云ふて自から卑下し甚だしきは自分の妻を〓して愚妻又山妻〓妻などゝ云ひ尚ほ一層これよりも無禮なるは其父を指して愚父と云ふ者あり斯の如きは自から卑下せんとして却て他人(父)を賤しんずる者と云ふべし今日の日本にては愚父と云ひ愚妻と云ふも人の之れを怪む者なきのみならず少しく之を尊敬する風あれば却て之を可笑く思ふ程の次第なれども若し之を洋語に直譯して洋人に示したらば果して如何なる感覺を生ずべきや必ず其言の奇怪にして心事の野卑なるに驚くことならん固より自から尊大に構へて他人を眼下に〓下すは之れを高慢又横柄と唱へて苟も同等の人類に對して爲すべきにあらざれども漫に他人を尊敬せんとして自から卑下するは自敬の心に乏しき者なりと云はざるを得ず人に交はるに禮を以てするは人間品行の一大箇絛なれば余輩に於ても更に異存なき所なれども何故に他人を尊敬するには自から其身を卑下せざるべからざるは強ち自から卑屈の醜體を〓はざればとて他人に對して敬意を表する術あるべし自から對偶の妻を目して愚妻と云ふ限りは他人の之を何んと評するも此方に反對の苦〓はある可からず自から卑下して拙者と明言する以上は他人が我れに向て馬鹿と謗るも更に詮方なかるべし低頭平身は我國の禮式なるが故に今遽に之を改めて握手脱帽の風にせんとするは到底出來ざる相談として暫く差置くも大抵其低頭にも程合ある可し今日は宜しい天氣の挨拶から皆樣御機嫌宜敷まで毎一段の挨拶に一々禮を行ひ低頭の度數を以て尊敬の程度を示すが如きは丁寧に〓ぎて却て見苦しき樣にこそあれ之を聞く曾て日本の其〓〓が汽車にて旅行出發のとき停車塲に見送りの人々群集の其内の一〓が雜〓の眞中に地上に平伏して〓別れの御挨拶を申上る實際を目撃したるものありと云ふ或は好事家の作りたる話かと思はるれども若しも是れが事實ならんには當人に自敬心なきを證するに足るのみならず余輩の考を以てすれば其挨拶せられたる〓〓も定めて苦しきことなりしならんと思ひやられて氣の毒なるのみ

又我國の芝居狂言杯の仕組を〓るに堂々たる紳士が他人の相談を立聞きして謀反の企を聞出す等のことは珍しからずして見物人も更に其所行を〓て怪む者なきが如し隠すものは見んことを欲し他人の秘密は聞かんことを欲す是れ今日の人〓にして亦止を得ざる次第なれども元來謀反杯の相談は他に聞く者なきを信じて互に胸中を明かし他人に語るべからざる事をも語り合ふものにて若し傍に立聞きする者あることを知らば固より密話も中絶すべきことなれども萬々他に漏るゝ恐なきを信じてのことなり故に他人の身として偶然に其塲に來り合せて不本意ながらも其事を耳にしたることなれば誠に以て致し方なき次第なれども態々其密話を聞かんが爲めに脱ぎ足差し足、次の間に來て一部始終を聞取り之を告訴して己の利益を謀らんとするが如きは實に言語に絶したる所行にして人間の仲間に置くべからざる者なり若し其密談を聞き國の爲め或は君の爲めとて直ちに其塲に切入謀反人を切て捨ることならば聊か男らしき所もあれども之れを裏切して他人に告ぐる杯とは誠に以て卑怯千萬の振舞にして〓を知らざる極と云ふべし西洋にては此立聞きを以て人生不品行の第一箇絛に數へ込み一度人の言を立聞きしたる者は人間にして人間の位を放棄したる者と〓做され〓會の交も出來ざる始末なり又我國に於て朋友集り談笑の語次時としては人物の評論は又は政治の得失談に及ぶは毎々のことなるに然るに何時しか世間に此談論云々の次第を傳へて發言者の身の爲めに思はざる不都合を生ずることあり固より其席に連りたる者は所謂學者紳士の一座なるが故に主人は一座の人々を信用し其談話を他人に告ぐるが如き卑怯卑劣の者ならざるを信じて胸中を吐露せしに豈に計らんや座中に斯る賤丈夫の在るありて君子の私言を他に漏したり故に此賤丈夫は主人の信を濫用して自から男子たる格式を放棄したる者なり若しも其人に自敬自尊の心あらしめなば即座に主人の説を説破するか然らざれば口を閉ぢて獨り心に其説の當否を思惟すべきのみ今其然らざるば主人の爲めに氣の毒なるよりも寧ろ賤丈夫の方こそ憐むに堪へたる者なれ如何となれば主人は唯思はざる不都合に逢ひしまでの事にして心に愧る所なしと雖も此不都合を釀したる者は他を害すると共に先づ自から其身を亡ぼし終身雪ぐ可からざる汚〓に〓没したる者なればなり日本の政治〓會などには徃々此類の怪事を生じ上流の士君子を以て自から居る者が親友の信を濫用するのみならず時としては恩人を賣て自から〓する者さへなきに非ざれども尚ほ世に身を容るゝ餘地あるは他にし〓會全般の氣風未だ自敬自尊の眞味を解せざるものと云う可し此他謂れもなく人より物を貰て喜ぶ杯も自敬心のなき證據として〓る可きものなり乞兒にあらざる以上は因縁のなき物を貰ふ理由もなく又之を與る理由もなし之を受くる者は紳士たる格式を捨てゝ自から乞兒の所行をなすものにて之れを與るものは他人を扱ふに乞兒を以てする者なり自から其品行を損じ〓せて他人を輕蔑するものと云ふべし此種の事柄を一々穿鑿したらば實に筆紙に述べがたき程澤山の不都合不體裁あることならん世人著し常に心して我同胞兄弟の言行に注目したらば必ず其自敬心に乏しくして何となく野卑なるを發明し遂に余輩の言の漫ならざるを許すことある可し(終)