「民育の事 在倫敦某」
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時事新報に掲載された「民育の事 在倫敦某」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民育の事 在倫敦某
民育と申し升するは日本國民の全體をして能く世間の事〓に通ぜしめ獨り一身一家の事のみに止まらず餘力あれば廣く全國の利害得失にも氣を用ひしむる樣に民心を〓育するものを名けて民育と申し升す元來日本國の風は國の政治とか全國の利害とか云ふ太切の事柄に氣を用ひて其事に與かる者は皆昔の侍のみで百姓町人杯で此大切な事柄に氣を用ひ〓者は一人も御坐り升せん適々之に氣を用ふる者があり升しても直に謀反人とか何とか名を付けられ升して牢屋に入れらるゝか磔にさるゝか何にしても命懸の仕事であり升するから遂には百姓町人の身分として政治杯に口を容るゝものでは無い杯と云ふ樣な大變な間違を生じ升た明治維新王政復古の一〓動で此邊の模樣も餘程變り升た樣では御坐り升すけれども昔から永く人の心に染込だ事は中々十年や二十年の年月では消え失せぬものと見え升して今日でも矢張り昔の侍が國の政治に與かり升して我日本國の骨髓とも申すべき百姓町人は夢中作左更らに政治杯の考はあり升せん實際其局に當て政治を取扱ひ升する人々は勿論昔の侍か或は其侍の子孫かで有升すし又世間に所謂學者との新聞記者とか又は在野の〓士連杯申し升する者も皆此昔の成れる果で御坐り升して眞の民間にて學者も記者も〓士連も此樣な人物は獨りもあり升せん近頃は文明だとか開化だとか申し升して大分世間が賑々敷成て參り升たけれども此賑も皆侍仲間の賑に止まり升して民間の人は此賑は何故なるや文明開化とは何樣のものなるや更に其邊は無頓着で御坐り升して唯廣大なる煉瓦石造りの家を見たり大層な夜會杯の話を聞て〓を〓ぶすのみで此煉瓦石や夜會の入費は〓れの懐から出たものやら颯張り御存じはあり升せん元來日本と申升する國は日本人民全體の國で御坐り升して決して侍や役人達計りの國では有升せんから日本國の仕事は日本全國の人が互に能く相談して取扱ふべき者で之を他人に打任せて安心する譯のものでは御座り升せん煉瓦石や宴會杯の費用も其金の出所を詮議し升すれば皆百姓町人が朝から晩まで汗水流して儲け升した錢で御坐り升するから勿論其金の遣ひ拂の事に就ては色々相談にも與かり又其遣ひ拂の當否にも口を容るべき筈で御坐り升すけれども前にも申し升した通り我國昔からの風習として百姓町人は一切政治の事に口を出すことの出來ない仕〓まで御坐り升すから其風習が今日まで存じて居り升して今日でも百姓町人は唯其儲けた金を政府に〓むるのみで一度び納め升した以上は其金が何の用に立つやら何人の手に落つるやら聊か之を心に掛くる者は御坐り升せん百姓町人は金を出すのみで役人は基金を遣ふのみで金を出す者は遣ひ拂の事に與からず金を遣ふ者は金を出す心配が御坐り升せんから自然と基金の取扱が不取締に成り升して無用の事に費す樣の事に成り至り升する次第で御坐り升す之を譬へ升するに此に親子兩人暮の一家が御坐り升して其親仁は決しからん放蕩者で唯錢を遣ふ一方、息子は至極の勉強家で朝から晩に働て儲け出した金はソツクリ其儘親に渡し曾て其金の遣道に口を容れないことであり升したならば其一家の成行は何樣で有り升〓か貧乏は〓合遂には親子兩人とも路頭に立たなければならない樣な次第に至り升か況んや政府と申す者は親でもなく又人民は息子でも御坐り升せんから基金の遣ひ拂を嚴重に取締るは勿論のことで御坐り升す併し其金の遣道を取締りたる政治の全體に口を出したりし升するには第一相應の智識も必要で兼て世間の事〓にも通ぜなければ成り升せん或る西洋人の名は爾耳との申し升す其人の説に人民に政治の思想を與へて全國の人が全國の仕事を取締る樣にするには外に是れぞと云ふ手段もないことで其人民に參政權を與へ國會杯を開て全國の仕事を互に相談し次第々々に國の政治に慣れさするが第一番だとして有り升するが成程是れも道理ある説では有り升すけれども最初から漫更ら何も知らない人を集めて相談した處が役にも立たないことで役に立たない位なら我慢も出來升するが夫れでは丸で大切な國の政治を手習の〓紙にする樣なもので隨分不都合な事が有升か〓々村の相談や町内の寄合も出來ない位の人が立派な議事堂に列坐した所が餘り善い相談も出來升す舞ひ夫れだから先づ人の説を聽たり新聞を讀だり又は學者の著た書物を〓たりして其考を廣くすることが極々肝要で御坐り升す其考が淺くて其見聞が狭い時は廿三年國會開設の後に至り升しても今日と同樣なことで餘り面白い事も出來升す舞い(未完)