「建碑の事」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「建碑の事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

建碑の事

建碑の事は〓來の流行にして都鄙到る處その談を聞かざるはなし某公は維新の元勲國家の柱石、不幸にして刺客の兇刃に斃る哀悼の至りに堪えず某氏は明治の能吏、刺史の〓鑑たり其功未だ成らず中〓にして〓く〓慕の〓禁する能わず某地は古の英雄某公生誕の所にして其流風餘烈今尚お郷里に喧傳す宜しく其功を紀して偉跡を後世に傳うべし云々とて廣く世上に寄金を募り紀念碑建立に忙わしきは都鄙一般その軌を同じくする所にして一碑又一碑花間〓陰到る處として之れを見ざるはなし抑も古今の盛德大業は自ら其痕を天下後世の人心に印して千載不滅のものたれば之を碑石に彫刻するを待て始めて世に傳うべきにあらずと雖も其德業を〓慕する者より之を見れば一木一草の微と雖も其人の〓愛となれば猶お之を珍重する〓なき能わず〓して其盛德大業に於てをや左れば建碑の事は即ちこの人〓に出づるものにして之を人間好事の一つとして敢て怪しむに足らざるが故に我輩は建碑この事に就ては敢て異議あるにあらざれども唯今日流行の建碑に伴う所の事〓に至ては時として其意を得ざるものあれば聊か之を記して世上の教を乞わんとするものなり

〓今日流行の碑石建立の實際を聞くに地方などにては或は其地の長官たる者の發意にて今般某公の爲めに紀念碑建立云々の趣意を以て廣くその管下の有志者より出金を募るに先ず事の便宜として發起者よりその旨を郡吏に傳へ郡吏より戸長、戸長より人民と次第に相傳〓する其間に自ら半官の性質を帯び來り外より之を見れば官命を以て出金を勸誘する形ちなきにあらず盖しその外形は如何樣にしても此種の事たる素より寄附義捐の類にしなれば其出否は人々銘々の勝手たるべき筈なれども本來人〓の自然は親〓に厚くして疎〓に薄きものなれば今その紀念に〓るべき人と建碑に寄金する人民とは其間如何なる關係ありて存するやと尋ぬるに別に血族〓親の〓故あるにも非ずして純然たる他人の間柄なれば之を哀悼〓慕する〓も自ら親〓と同じきを得ず左れば衣食足りて禮〓を知る理に均しく自ら其生を養いて餘りあり、祖先の祭祀を營んで欠くる所なき後にして始めて他人の身に及び古今の盛德大業を尋ねて之れを後世の紀念に〓すは蓋し事の順序を得たるものにして亦人生の美事なるべし然るに顧みて今の民間の有樣を見れば租税の負擔〓にその重きに堪えずとて泣いて窮苦を訴える其傍に米價はますます〓〓して農民の勞〓殆んど相償わず公〓處分の沙汰は日にますます多くして一家數口の〓寒目前に〓る折柄血族〓親の不幸さえも心の儘に之を弔うこと能わずして春秋の彼岸に寺の付届は勿論新佛の卒塔婆、文字猶お新たなるに〓土早く蔓草の掩う所となり〓霊歸する所なきも之を顧みる遑なき者多し滿目の風景斯の如くなれば今夫れ社會の表面に立て人の先〓となり世を喜憂する人にして其心の向う所果して如何ん、民間目前の窮苦を救治せんとする乎抑も亦〓きを追い古きを尋ね建碑の事に賛成して寄附義捐せんとする乎それを人〓に訴えて前後緩急の別を發明するに足る可し斯く云えばとて我輩は一概に建碑の事を排斥する者にあらず人の盛德大業その久しく〓没したるを憾み又その〓没せんことを恐れ之を今日に明にして後世に傳えんとするは亦是れ人〓なれども仔細に事の性質を吟味するときは人生必要の堺をば〓に超〓して〓や好事行樂の部分に属するものと云わざるを得ず然るに今の貧民社會の風景は前に云える如く今日生きたる妻子の口を糊するに方便なく去年死したる父母の石塔を建てざる者甚だ多しと云う故に我輩が社會の卒先者に向て望む所を云えば先ず此窮民をして飢寒を免かれしめ其父母を埋めたる處には粗末ながらも墓の表を建てゝ一年一度の命日には香花をも手向けるほどの有樣に至らしめ世間一般に自から春光和氣を催おして然る後に懐〓建碑の盛事にも及ばんことを祈るものなり若しも然らざるに於ては折角の盛事も餓鬼の地獄に獨り瑠璃の光を放つが如く少しく不釣合の嫌ある可きなり