「侮る可からず」
このページについて
時事新報に掲載された「侮る可からず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
侮る可からず
支那は世界の大國なれども〓守鎖國の舊風に安んじて〓んで文明の事物を採るに勇氣なければ富源の基立つ可からずとは豫て世人の唱える所にして例えば鐡〓の如きも曩に先見ある三四の政治家は〓に其敷設を急なりとし中央政府に奏〓したるも頑固なる北京諸大臣の堅く執てこれに反對したるが爲めに其議久しく行われず特に鐡〓は外夷の物なりとして嫌うもの最も多く、事なきの日は或は便利もあらんなれども一旦外國との戰爭に會して敵の爲めに線路を奪われなば中國は兵を人に假して自から其鋒に罹ることある可し斯る危險の外品を移し用いて社〓の害を〓すが如きは拙策も亦甚だしと云う議論彼の國廟堂の多數説にして傍より其妄を悟らしむる能わざりしは外人も笑止に附したる次第にして或は又工事の爲めに墳墓を開掘すれば霊鬼をして據る所を失わしめ若しは丘陵を壤てば風水その順を亂して災害交々至る可しなどゝて民間の妄想〓信も甚だしくして鐡〓事業の容易に支那に起らざるは世人の期したる所なり又縱令え固〓なる老政治家の説を破り民間の〓を解いて工事の擧ることあるも線路全成の後、支那の人民は果してこれに乗る可きや假りに之を嫌う念慮あらずとするも支那の國〓は一種特別にして其國民に旅行の習慣なきこと驚くに堪えたり西洋の男子は常に旅行を好んで或は快樂の爲めに或は用務の爲めに出入來〓の遑なきのみならず女子と雖も黙々家居するを悦ばずして自由に外〓を企てるは男子に讓らず特に内君の外出には良人必ず伴う風俗なれば隨て〓女弟妹同行して家婦人一人の外出に家を擧げて其〓を與にするは西洋の鐡〓に特に乗客の多き原因なれども支那には斯る風俗なきにみならず婦人恰も幽閉に處せられて外出の自由を得ず男子と雖も多くは閉居を好む風にして彼の利の爲めに四方に出る輩は兎も角もなれども苟も中以上、名を郷黨に知られたる紳士にして容易に其郷外に〓ぶが如きは絶無と云いて不可なき次第なれば鐡〓の落成後、その乗客の乏しかるべきは豫め祝易き所にして偖乗客乏しければ會社に充分の利益なきは明白なるが故に支那の鐡〓は縱令へ首尾よく其工事を成すも永〓維持の策に於て困難なる可しとの説あり以上は久しく支那に在留したる西洋人の考なれば我輩も〓〓を〓て支那鐡〓の〓命は或は此の如き者ならん〓とて竊に疑いを懐きたることなり
然るに我輩は〓來〓〓〓の地の事〓に明なる人を〓て鐡〓〓〓の實〓を聞〓〓〓〓〓業の成迹を〓して大に反對の説あるを發見るしたりと申すは外ならず即ち支那鐡〓の第一紀元とも稱すべき開平鐡〓會社が光緒十三年四月〓日より十四年三月晦日(昨年四月廿三日より本年五月十六日)まで一周年間に於てしたる營業の成迹を聞くに〓開の線路は唐山より〓庄まで廿八英里三にして一箇年間總線路の〓入は旅客賃錢に於て一萬百五十九兩(一兩は凡我一圓五十四錢)貨物賃錢其外に於て四萬三千八百州六兩合計五萬三千九百九十五兩にして營業費目三萬五千百九十五兩を引去り二十五萬兩の總資本(一株百兩)に年六分の利子を配當し多分の殘額を後期繰越〓に賞與等に向けたり而して營業費と利益金との割合は凡そ三と一との比例なれども我輩の見る所を以てするに鐡〓の經濟は費用利潤の關係先ず三と二或は折半同數を以て常とする者なるが故に開平鐡〓の落成草創未だ不整理を免がれざる今日に多分の營業費を要したることならんなれば今後の經濟其宜きを得るに於ては假令へ〓入は今の儘にて〓加せずとするも一方は冗費を省て配當の利益を八分若くは一割に昇す手段なしと云う可からず殊に〓開の線路二十八英里の其間は旅客貨物の徃來至て少く、専ら開平坑の石炭〓〓に依頼して社の經濟を維持したる都合なれども最〓の報に據れば太〓より天津に〓ずる三十英里の鐡〓は去る七月二十四日を以て竣成し即日機關車を徃復せしめ尚お天津以北は二線に分ち一は山海關に之を伸ばして盛京、吉林の諸州に聯絡を〓じ一は〓州に續けて北京との交〓を便にする計畫なりと云えり以上山海關〓に〓州の兩線路は直隷省中にて交〓徃來最も繁き地方なれば之に鐡〓を布く利益は彼の唐山〓庄間の工事に較べて更に又大なること論を竢たざる所にして〓た南方諸省の人口繁く物産豊かなるは北方諸省の及ばざる次第なれば支那帝國の中央を貫くべき大鐡〓の利益は必ず尋常ならざるものなる可し
又今日までに落成したる鐡〓工事の模様を聞くに〓配は至て平坦にして其最も急なる所も尚お百分の一に〓ぎず廿八英里間の全高低は其差僅に八十三英尺、線路の屈折亦非常に寛にして甚だしき點と雖も半徑千五百英尺の外に出でず又軌條の重量はヤード四十五封度にして枕木には日本の檜材を用い機關車はタンインジーン形にして使用の石炭は開平の第五號品なりと云う就中我輩の感服したるは日本の如く狭軌〓を用いずして本位軌〓と稱する歐米普〓の制に倣い其幅を四英尺八寸にしたると純然たる私立の會社が始めより鐡〓事業を擔當して官の保護を求めざりしとの二箇條にして縱令へ會社の計畫は李鴻章の手に成りしにもせよ其組織は組合株式の法なれば利損得失の責任は専ら社の一體に存して他に關係なしとは盖し商賣の方に叶いたる者と稱して可ならんのみ