「歸朝記事(前號の續) 福澤一太郎氏英文の翻譯」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「歸朝記事(前號の續) 福澤一太郎氏英文の翻譯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

汽船ブリタニツク號に乗移るやいなや忽地にして全般の風景別天地の樣を呈したり盖し此船は英國會〓の所有にして米國船にあらざればなり余が身は最早米國に於ける一少年に非ずして其品位正しく英國の紳士に等しき歴然たる一紳士に變化し船中の小使に接するにも聊か横風にしてまさか日本風にはあらざれども多少命令の口調を用ひざる可からず小使と呼ぶ聲に應じて來る者は驗の邊に赤色を帶びたる英男にして其歩するや足を以てするのみならず肩を以て進み客を見て乃ちサーと云ふ(サーとはあなたさまと云ふ意味なり)此サーの字は毎語の前にも後にも要用なるが如くにして一サー字又二サー暫時の間に客の耳はサーの聲を以て充滿し將さに耳外に溢れんとするを覺ゆ米國の交際風に慣れたる心〓を以てすれば余は此男に向ひ汝は何故に余に接するに恐怖の〓を爲すや余は鬼にあらず汝の手を出せ余は握手して朋友たる可しと云はんと欲するものなり、航海中日曜日に逢ひ英人の習慣として當日は朝夕兩度チヨーチユ オヴ インゲランド(宗〓の名)の儀式を正しくして禮〓を行ふことなり朝〓の時刻來り食堂の戸に〓〓の字を見たるは食堂を以て會塲に用るものと知る可し余は小使に促されて此假の寺院に參詣し其時の衣服は墨を用ひフラチルの襦袢を〓棄てゝ糊剛き白のシヤツに顎も切るゝばかりのカラを着けたるは英國の信心風に對して敬意を表するが爲めなり禮〓始まり〓導師は經文の一〓を取て種々樣々に例證を引き終に近世の文明開化は耶蘇〓の賜にして恰も其子に異ならず然るに子たる文明開化が所生の母たる聖〓に背くは云々とて局を結びたり翌夕は船中にてリヴアプールの孤獨を救ふ爲めに義捐金の相談を催ほしたり是れは米國にても毎度見聞したる所にして無告の貧民を助けんとて人々の私に金を投ずるは實に快く優しき事共なり航海日を重ねて我ブリタニツク號は愛爾蘭の海岸に近づきたり朝の天朗にして波〓かなりければ甲板に立て陸地の方を眺るに農民が小區〓の地を耕す其樣は日本に異ならざるが如し近海に山多けれども樹木甚だ稀なるは同船某氏の推察に海風強気が故ならんと云ふ海岸は岩石突出して絶壁を成すもの多く、茶色の帆掛けたる小舟が片方眼を遮ぎりて過るは盖し漁舟ならん無數の白歐、波の動〓に連れて我海上宮(汽船)の周圍に群るは風流に評すれば是れぞ大地の群臣が吾々の安着を〓する爲めに來りしかと思はるれども其實は船中より棄る殘餘の食物に集るものなり夫れ是れする中に汽船ははやクウ井ンスタチンに近く〓を投じ是れより三十分間の里程と云ふ此クウ井ンスタチンこそ米國へ出稼移住民の〓國にして斯民や擧動粗野なりと雖も心は則ち優しく米國に於て車馬厨下の力役は其專有の業にして支那人の洗濯業に於けるが如し即ち今度の便りにも〓來する者甚だ多く本船の着港するやいなや陸の方より小蒸汽船の來りければ〓多の男女は狂するが如く之に乗移り故〓指して〓るこそ多〓なれクウ井ンスタチンの今日は如何なる會合にして如何なる〓賀なる可きや之を想像して愉快に堪ざるなり然るに爰に愛爾蘭人にして本船に取殘されたる者一名あり此者は赤貧にて初め米國出發のとき航海中被夫の用を勤めて船賃の不足を償はんとの約絛にて便船したる次第なれば本日着港の時も尚ほ勤めの事に忙しく何事も心に任せずして時刻を失ひ漸く甲板に出でゝ上陸せんとすれば同〓人の乗移りたる小蒸汽船は〓に本船を去ること半里ばかり目に之を見れども身に翼なきを如何せん、嚢中亦一錢なきを如何せん茫然として立ち、潜然として泣き、〓は顔の炭粉を洗ひ流して哀れなる其風〓は鬼界ヶ嶋の俊寛も斯くやあらんと思はるゝばかりなり然るに同船の同〓は自から又別段のものにして上等客の相談にて一名一シルリング宛を投じて三十シルリングを集めリヴアプール港着船の上同港よりクウ井ンスタチンまで〓る可き旅費として之を與へ吾々日本人も其義捐を與にしたるは快きことなりし、本船クウ井ンスタチンを發して翌朝リヴアプールの港に着し陸を去ること十四哩の處に投〓せしときは雨天なりしかども吾々は雨を冒し小蒸汽船に乗て上陸したり本港は海潮干滿の高低非常にして上陸の時は干潮なりしが紐育港の如く桟橋より直に大船に上下する便利を見ず盖しリヴアプールに長さ七哩半のドツグを設けあるも海潮の爲めならんのみリヴアプールの天氣は余が曾て想像せしよりも悪しく滿天雲と烟を以て覆ひ暗色に銅色を交る如き甚だ目を〓ばしめず然りと雖も英野の草の〓と英人の顔の紅は最愛す可くして亦以て天色の不愉快を〓ふに足るものならん、〓關の取扱は合衆國よりも穏なり、市街の物音も紐育より〓なり、乗合馬車は二階付にしてドンキーは荷車を引き、賤しき子供等は〓にて徃來の人に附きマツチユを賣付けんとす、凡そ是等は初めて米國より來りし吾々の目に多少の新奇を覺えしむるものなり吾々の止宿したる旅館の裏手は鐵道のステーシヨンにして此旅館は鐵道會〓の所轄なりと云ふ即ち英人の英人たる所以にして會〓の商法行屈たりと〓す可し此旅館は他に異なることなく唯館の男が客の荷物をステーシヨンに持運ぶまでの便利なれども客の爲めには甚だ便利なり左りながら余が所見を以てすればステーシヨンに接して旅館を設る法は迚も米國には行ふ可からざることならん米國機關車の大にして其車の響、其蒸氣の聲の〓々しき旅客の眠を妨るや疑ある可からず之に反して英國の列車は其仕掛日本のものより大なりと雖も米國製に比すれば小兒の玩弄物に異ならず左ればこそ旅館の客も車聲を聞かずして安眠することなれ、吾々はリヴアプールを辭して倫敦に向ひ列車の一室に入りたり車室の樣子を見るに天井低くして都て米國の汽車に比すれば不自由多しと雖も塵〓は少なくして〓潔なるが如し車窓の外を眺れば田地は何れも區々に細分し男女手を以て丁寧に耕す其有樣は余をして日本の農事を想〓さしめたり米國の農業の如きは原野に種子を蒔き成熟すれば機關を使用して片端より之を刈倒し地力盡くれば更に又新原野に進む風にして一男子の力能く廣き地面を支配すと雖も英國にては決して然るを得ず故に彼の婦人が畑に出でゝ手から耕耘するなどの樣は日本人にこそ珍らしからねども米人の目には〓中の奇觀なる可し車中に在ること四時二十五分にして倫敦に着したり(未完)