「歸朝記事(前號の續) 福澤一太郎氏英文の翻譯」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「歸朝記事(前號の續) 福澤一太郎氏英文の翻譯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

倫敦は廣大無邊なり其市街は不規則に曲折して米國の紐育シカゴ府などの町の井然たるものに似ず故に米國にて是等の都府に住馴れし人が倫敦に來るときは常に驚く者多しと雖も余は米國にて小倫敦と呼ぶボーストン府に在りしことなれば左のみ之を奇異なりとも思はず但し倫敦の廣きは實に驚く可きものにして其烟も亦驚くに堪へたり市中無數の烟〓又は地下鐵道等より〓る烟は空中の雲霧に壓せられて滿目雲烟の世界と爲り家屋も立像も一切萬物煤を〓りて暗色ならざるはなし吾々は倫敦に居て〓天を見ること少なし然かも其〓天とて雲間僅に靑空の開くを見るのみ眺望は曾て〓明ならずして遙に蒸騰氣の朦朧たるものあり余は此風光を見て獨り謂うらく倫敦は技術の里にあらず殊に繪畫の術の如きは迚も其發達を望む可からざるものなりと自から〓を成したり又余は倫敦の地下鐵道に就て十分に之を〓讃するを得ず米國の地上鐵道の響は之を地下にして止む可しと雖も〓道内の烟は昨今の好時〓にても尚ほ且つ人を窒塞せしむるに足る可きやステーシヨンと名くる洞窟より現はれ出る客人は鼻の孔まで眞黑なることならん徃古穴居の人民ならでは此地下の鐵道を〓讃する者なかる可し然るに英人は今日尚ほ〓道内に瓦斯燈を用ふれども他年一日瓦斯〓に蒸氣に易るに電氣を以てするは遠きにあらざる可し、吾々は不列〓博物館、倫敦塔、シントボール院、動物園、ウエストミンスタ寺院を見物せしに博物館は容易ならざるものなり殊に余が爲めには文學上より利する所少なからず館内古人の遺書多き中にも彼の有名なるマグナカルタの原文あり是れぞ英國自由の母にして米國獨立の〓母とも名く可きものなり又書〓の中にはアヂソン及びスチールも手書を一對として示し以て其記者の性質を表するものあり優美にして雅なるアヂソンが緻密に意を用ひて文を草し剛毅にして洒落なるスチールが有力なる漫筆を揮ふたる其跡は所謂筆の紀念碑にしてスペクテートル記者の氣風は斯くもありし哉と後世の今日より之を思ふて轉た〓に堪へず(アヂソン、スチールは千六百年の末七百年の初に當り學者の二大家にして當時スペクテートルと號する新聞紙を兩人にて發〓したることあり譯者註)倫敦塔は堅牢至極のものにして其一を白塔と名く之に登りて一見すれば古代の甲冑武器大小砲等を陳列して拷問の器械も見たりしが隨分殘酷なるものなり見物に付き一友人の説に〓〓にても前年用ひたる拷問の道具を保存して後世に至り刑法の進歩を證するは如何と云ふ余は之に同意する者なり此白塔とボーシヨー塔との間は敷石の一區〓にして其中央に凡そ二尺四方ばかりの石あり是れなんむかし女王マリーを斬首したる跡なりと云ふボーシヨー塔の内も白塔の如く陰氣にして暗く其淋しきことは白塔よりも甚だし石の壁の處々に細なる彫刻の跡あるは昔昔こゝに幽閉されたる囚人が無事に苦しみたる業なりと知る可し余が幼少のとき家庭に授けられたる翻譯書中に罪人が獄屋にて幾本の針を弄び日を消えたりとの話ありしが今は之を思出して恰も其實際を見るが如し、シントボールは大伽藍にして其内部には彫刻肖像甚だ多く彼のウエルリントン候の臥像も此内に在り、倫敦の動物園は世界第一流と知られたるものにして余が記事も殆んど無用に属する次第なり方に眠る亞非利加〓の大蛇は曾て空腹なりとてブランケツトを呑みたりと云ふ、猿の家は甚だ面白く四足ならで四腕の狡猾兒とも名く可きものが鐵の格子より〓に手を伸ばして見物に餘念なき貴婦人の帽子を〓み紳士の眼鏡を掠め去るなど折々無益の戯するにぞ格子の傍に用心の掲示あり、二三の大象が自由に戸外に出で八九人より十人以上の子供を載せ彼方此方と徃來して終れば長き鼻を上に伸ばし世に在る孃樣若樣より御褒美の菓子を貰ふは體の巨大なるに似ず心の優しきものにこそ、其他日本の山椒魚あり〓魚あり是は動物中に眠性を具ふるものにして呼吸の外は全く動くことなく又其色も一種非常なるは進化論に云ふ順應の法則に適するを見る可し此色を持って河岸の泥〓に伏し死するが如くして動かざるに於ては他の小〓なる動物は其在る處を知るに由なかる可し或る見物人が戯に杖にて一寸〓魚の頭を〓きけるに忽ち飛〓き大の口を開て杖に喰付きたるは以て其中に害心あるを知る可し又一對のカメリオン(〓〓の類にして體の色を自在に變ずる性あり譯者注)あり是れは實に驚く可き動物にして順應の法則を證するに最も屈強のものなる可し、鐵〓の大なるものに在るは二頭の獅子にして一頭の虎と共に雜居遊戯するを見たり亦一奇觀なり、動物園の記は爰に筆を閣し余は唯これを評して大切なりと云ふ外なし然るに世間には才子多く自から〓して實際家と名乗り動物園の如きを見て是れは實際に無益なりと云ふ者もあらんなれども〓ふ見よ學問進歩の根〓は何れの邊に在るやワツトが蒸氣力を發明しフランクリンが電氣と越歴氣とを同一〓したるが如き都て此種の發明は學者の賜にして其人の學問に於けるや熱心勉強他事を顧みずして金錢學に暇あらざる者なり〓は獨り余が私言に非ず碩學ハクスレーの書中にも同樣の論結を見たることあり學者たる一男子が鐵瓶の傍に立ち其口より出る湯氣を匕もて受けて滴々集むるが如き樣を傍觀したらば例の實際家は之を評して狂と云はざれば愚と名くることならんなれども蒸気力を以て大船車を動かすに至れば無數の實際家は拍手喝采これを〓讃して止まざるに非ずや加之蒸氣電氣を利用して十九世紀の世界を狭くし又この世界に妙光明を放ちたりと云ふと雖も唯是れ專賣商人等が學哩の一小部分を實地に適用したるのみにして其〓〓は今尚ほ無盡なりと云ふ可し故に學理の適用は實に大切にして彼の專賣商人の心匠の巧なるを以て世に重きを成す可きは至當なれども純然たる學理の人は其心事の至誠無雜に由て他の尊敬を博す可きのみならず淺見なる實際家をして侮ることあらしむ可からざるなり(以下次號)