「歸朝記事(一昨日の續)福澤一太郎氏英文の翻譯」
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時事新報に掲載された「歸朝記事(一昨日の續)福澤一太郎氏英文の翻譯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
左れば今博物學の事に立戻りて之を云はんに純然たる學理の〓より動物園の輕重を論じて實際家の心の調子にも叶ふ可き直接の利益あるを見る可し即ち人類と禽獣との間に至當の〓感を生ずることなり試に動物園に遊んで禽獣の智あるを見れば禽獣必ずしも禽獣ならずして曾て獣〓したる所に異なるものあるを發明するに足る可し余曾てジー ゼー ローマン氏の著述動物智識と題する書中にジヨン リユバツク氏が千辛萬苦して吟味したる蟻の智慧の事と又同書中に猿が常に事物を探索する性質の事を記したる絛を讀みて坐に愛憐の〓を催ほし世上の心なき人は如何なれば斯くも禽獣を虐待するやと之を思ふて〓眼に〓の盈るを覺えざりし、動物愛燐の〓を實際に施したる其一例を擧れば余が米國に在りしとき盛夏の時〓乗合馬車の馬を見るに其頭の邊には海綿に氷を包みたるものを戴かしめざるものなし馬を燐む〓に出でたることならん遙かに聞けば我東京の銀座通にては炎暑に馬の〓るゝもの多しと云ふ燐む可きに非ずや日本人が若しも此些細なる海綿、氷の事を〓に注意して用ひたらば誠に〓ばしきことなれ共或は尚や然らざるに於ては何か然る可き工風を施して馬の苦しみを〓くせんこと冀望に堪へず是等は獨り仁の事のみにあらず經〓の〓より見るも等閑に附す可からざるものなり又余が米國に在るとき農學士某氏と共に馬車に乗て野外に出たることあり氏の愛馬は名をガルフヒールドと呼び如何にも能く走る其折しも程遠からぬ處に時々大砲の響するにぞ氏が何か馬に合圖しければガルフヒールドは幾度にても聲に應じて歩を止め少しも動かざる其有樣は馬と主人と同心同體たるが如し本來馬の性質は最も物を恐て最も驚き易きものなるに今この馬の斯の如くなるは氏が常に之を獣〓せずして能く之を愛し之を〓みたるが故のみ故に余は爰に筆端を改め馬は鞭つ可からず之を〓ゆ可し馬は智慧ある動物なればなりと一言して以て動物園見物の局を結び、轉じてウエストミンスタ寺院に歩を進めたり此寺院の事はワシントン アイルウ井ング氏の著書に詳なれば爰に余が記事を要せず唯注目す可きは此大寺院中に有名なる學物又英雄豪傑の墓碑多き事なり立憲政體に王室を戴く國柄に於ては古人に厚くして其遺跡を表するも亦以て今世の人物を奬勵する一法なる可し、サヴヲイの劇塲に行て一見せしに狂言はミカド芝居なり此芝居は〓に古きものなるに今以て觀客の大きは少しく不審なれども其然る所以は倫敦の大都會に人口多くして日々に客の入替る爲めか左なくば英人の守舊風にて芝居までも舊きを好むが故ならん劇塲は餘り廣からずしてボーストンのものに比すれば少しづゝ相違ありボーストンの劇塲にて〓〓は六より多からざれども倫敦にては九の數ありて多人數を容れ棧敷の領分甚だ廣し棧敷の外の席も數は少なけれども廣さは廣し、米國の幕は上に上る仕掛けなれども倫敦の幕は眞中より左右に引分るものなり又米國にて劇塲の周旋方は一樣の服に着けたる男か小供なれども倫敦にては都て婦人なり又倫敦の劇塲にては見物の婦人に帽子を許さず是れは他の見物を妨げざる趣意ならん米國にて婦人が高大なる帽子を戴て人の目を遮るとは男子の毎に不平を訴ふる所なり僅に英米の間にも劇塲に多少の相異あるは全く其國々の習慣に從ふものならん噂に聞けば日本にも芝居改良とか申す流行の説あるよし何れの邊に迄改良することか知らざれども之を改めて良ならしめ以て人〓に悖るなからんとするは隨分易きことはあらざる可し
鄙見を以て英國人一般の氣風を評すれば英人は實質を以て體を成す者なり、英の人は永續を得んが爲めに外面の装飾を棄る者なり、英の人は實して大丈夫なる家に住居し英の汽車は實して大丈夫なる〓道を走り、其食ふ所の者には實ありローストビーフは大切にしてビーフステツキは厚し、〓料は黑色のストウト(麥酒)と苛烈なるウ井スキにして是亦濃厚なり、其歩するや體を確實ならしめんが爲め歩一歩に連れて右と左の肩を進め其携ふる所の杖の質も亦實して杖の頭は大なり啻に男子のみならず此〓漸く日傘の時候に際し英婦人の携ふる日傘を見るに何れも大丈夫にして長さ六尺もあらんかと思はるゝものあり左れば實質、永久、大丈夫は英人の天性にして萬事萬物みな此性に從て組織し又製作するが故に時勢の變遷と共に改革を要する日に迫り自から其必要を知らざるに非ざれども何分にも之を斷行するを得ず遂に習慣の力に制せられて守舊を〓ぶ人民たりしものならん此一事に就ては日本人に聊か短所あるが如し又英人の報國心を表する其心事を〓れば熱度の高きこと時として人を笑はしむるものあり余或る時一婦人に逢ひしに此婦人は曾て大陸に渡らず又渡る心もなくして僅に八時間程の巴里をさへ見ず唯その良人は毎度巴里に徃來したりと云ふ此婦人が如何なる譯にや日耳曼人を惡むこと甚だしく日耳曼人の悪くさは實に言語に盡し難し彼等は實に忌む可き人民にして余は火箸もて之を〓み上る氣もなしと云へり又同婦人は大陸の人民を目して華美奢〓なりとて痛く之を〓斥せしが此邊に於ては余も聊か同意を表せざるを得ず英國が今日に至るまで尚ほ世界に對して獅子王の名を成す其原因の中には同國人の質素儉約も亦一箇絛として計ふ可きものなればなり、記事終り余は此自由政治國を辭して將さに佛蘭西に赴かんとする者なり(畢)