「太平洋の軍港割據」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「太平洋の軍港割據」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

太平洋の軍港割據

日本は太平洋に面して東は米國、南は濠洲と相對し〓〓たる蒼〓は殆んど天涯無限なれども汽船徃來の便ある今日に於ては交〓至て容易にして其趣は比隣に異ならず又小笠原嶋の以南太平洋一面の郡嶋は其土地こそ廣からざれども恰も星の如くに散在して脈絡相〓ずる者なれば商賣に軍事に今後太平洋群嶋の〓命如何んは我國に關係なきこと能わざるなり然るに〓來歐洲諸國は頻に此群嶋の占略に從事して特に英佛獨の三國は最も之に熱心し各其艦隊を派して隈なく洋面を穿索せしめ若しも要害の嶋〓を發見するに於ては突然自國の國旗を掲げ假令へ或は土〓の之に抗するあるも徃々惨毒の手段を用いて其土地を併呑するは世人の知る所ならん此程に至りても佛はニユーヘブリツヂを略し英はニューギー〓に據り獨は又カロライン嶋を占領して特に其事の前後相接して同時に起りたるより大に世人を驚かし從來名を知られざりし群嶋も占領の一事の爲めに俄に世人の口に登りたる者少なからず何故に右の三強國は〓來斯の如く太平洋の郡嶋占略に着手したるや或は新規の地に新殖民地を開て本國人を移す考なるか或は然らざれば鑛山等を發見して大富源を作らんとの計畫なるかと云うに群嶋の地勢を見れば其面積狭きのみならず地味も亦至て宜しからずして殊に海岸の〓ぢ難き者十の八九なりと云えば之に據るも新殖民地を開く能わざるは勿論、鑛山の如き天與の富源を發見する望ある可からざるや明なり或は亞非利加内地の穿索若くは南北氷洋の航海の如き類ならば地學上の目的又は他の好事に出ることもあらんなれども區々たる太平洋の郡嶋を占領したればとて學問上に利するに非ず又好事心を慰む可きにもあらず又或は目下の利益一偏より云へば濠大刺利、ニユージランード、亞細亞、亞非利加の海邊又マレー多嶋海には利す可きもの甚だ少なからざれ共是等は皆〓に所属も定まりたる故に新に事を起して之を爭わんとする事〓もなきが如し左れば英佛獨の三大國が目下の利を爭うにも非ず又地學上の探究に志すにも非ずして太平洋上に軍艦を〓り僅々五六平方里の小珊瑚嶋上に國旗を飜して得々たるは抑も亦何の故ぞや學者の宜しく〓意す可きものにして殊に太平洋の〓〓に位する我日本國に於ては其一擧一動も等閑に〓〓す可からざる所なり竊に我輩の所見を以て三國着眼の〓〓を憶測し又海外諸新聞紙の記す所を夫れ是れと〓〓すればパナマ地峡の開〓と與に地球面の〓商必ず〓〓變革の起るべきを察し商業保護の爲めに〓が〓〓の〓〓を占め之に軍港を作て兵事上の便利を計るが爲めなりと斷定せざるを得ず左れば太平洋群嶋占略の盛なるに至りたるは漸く五六年以來の事にして就中獨〓の如きは從來東洋貿易の關係薄からしにも係わらず一旦其技倆を振わんとの〓心を懐てより未だ數年を〓ぎざるに洋上に要害の地を占領したること英佛の二國に比して多く讓る所も見ず亦以て其働の活〓果斷なると想う可きなり

パナマ運河開〓の計畫は今を距る十年前千八百七十八年に〓したる者にして有名なる佛國の工師ドレセツプ氏が其工事を督し千八百八十一年より土工に着手し滿十年の星霜を經て千八百九十年には竣成の豫算なりしも起工以來思わざる困難に會し工事〓まざるのみならず爲めに豫定外に莫大の費用を要して其資本足らざるより昨今種々の法を設けて株主の招募際中なるは時事新報上の紙上にも見えたる如くなれば果して明後九十年に全河開〓すべきや否は今に於て明言する能わざれども中〓困難の爲めにとて今日まで支えたる大土工を癈棄するは惜むべきの至なれば社の事に與る者飽くまでも困難に堪えて其成工を圖るに相〓なかる可し斯て早晩〓河の事業は成るとして之が爲めに日本の西洋諸國に對する關係は商賣に兵事に今後非常の變動あるべきこと毎度紙上に論じたる如くなれば我輩は次號に於て彼の英佛獨の三強國が三四年來太平洋上に如何なる〓動を試みたるか〓徃の事跡を記して以て三國〓來の政策を伺わんと欲する者なり