「商賣人の十露盤」
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時事新報に掲載された「商賣人の十露盤」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商賣人の十露盤
東京の或る小間物屋にて商賣次第に繁昌し府下は勿論〓國までも得意の客多く本店は常に流行専一として新奇の品を仕入れ府下には毎日得意廻りの手代小者を出して新物を披露し〓文を聞き府外の地方には支店又は取次所の仕組を設けて種々樣々に賣弘めの工風を〓らすに其費用甚だ少なからず雇人の給料小者の仕着せ其他臨時の諸入費を一年に計算すれば〓入の幾部分は全く賣捌の爲めに消費するとの事を兼て懇意なる或る舊藩の某氏が聞〓み大に感ずる所ありて乃ち小間物屋の主人に面會し當店にては雇人の給料のみにても一年に積りて莫大の金高なり内部の事はイザ知らず彼の得意廻り又は支店取次所の仕組ばかりにても一變したらば大に便利にして費用を〓ずることある可し就ては拙者の舊〓にこそ無事に苦しむ士族の多ければ幾人にても之を雇入れ賣捌の一方を任せては如何、士族は身體も屈強にして勞力を憚る者にあらず全國何れの處までも徃來して得意の家は門並に訪問れ注文の品を届け又新に注文を取る可し殊に今日の有樣にては別に給料の望もなく唯その日の糊口にて澤山なる譯なれば從前の手代小者に渡す給金又は支店取次所の入費に較べて得失損益は申さずして明白ならん此義〓と勘考ありたしと〓べけるに主人は笑いながら思召は難有けれども先ずお斷り申す可し當店にて賣捌の費用多しと云うも其賣は省く可きを省き盡して正に今日の有樣に居るものなり本來貴下の計算は物の數の計算なれども商家の十露盤は數の外に人〓を計算し賣買の掛引、應對の愛嬌にも價を附けて利益中の大項目に計へ〓むものなり舊藩士族給料安しと云うも是れは唯給料の錢の數にして他に大切なる賣買掛引の皆無なるを如何せん〓んや其無骨無愛相なること俗に申す御客除とも評す可き樣にして徃々人をして驚かしめ恐れしむることある可し斯る種族を小間物商の得意廻りとは官吏に商賣をお頼み申すに異ならず得意を〓すは扨置き在來の得意を〓拂う方便ならんのみ給料の多少は論外、辨當持參只で働くと申されても先ず當店にては御免を被る云々との挨拶に某氏も〓す言葉なくして去りたりと云う
右は〓頃我輩が傳聞したる所にして事實談のよし其實否は姑く差置き〓や之い似寄たる話しは兼て世上に喧しき郵便法と新聞紙との關係是れなり今度郵便法が改まれば新聞紙の配〓は發行本局の周圍三里を除き之より以外は必ず郵便局の手に専にするとの事なり此議は暫く中止のやうにも聞きしが〓來復た再發とも噂する者あるに付ては我輩も亦言論の重複を願わず筆鋒を再發することゝは爲れり抑も我輩が此一條に付爭う所は唯商賣上の損益利害一點にあるのみ假に今彼の郵便法をして噂の如く實行せしめんか第一是れまで全國各地に在る取次賣捌所は一時に破壊して之が爲めに其關係の者が衣食の〓を失うのみならず舊の取次賣捌所より郵便局の手に渡る其際の混雑に發行本社は賣揚の〓算上に金を失う可きは自然の勢にして尚その上にもいよいよ郵便局の手に移りたる所にて局の人々が官邊の資格を帯びならが商賣の得意先なる新聞の看客に對して愛嬌を呈し又商賣上に掛引するが如きは素よりある可からざることにして唯配〓す可きものを集めて宿所姓名を調べ、間〓いなく之を先方の家に投ずるに〓ぎず正面より見れば成るほど配〓の本分を盡し更に〓憾ばきに似たれども商賣は人〓世界の事にして冷淡殺風景を許さず斯る正面一方の働を以て無數の看客に接し能く舊得意を失わずして新得意を〓す可きや我輩は斷じて其不可なるを知るものなり世上の風聞には斯く郵便を改る上は從前一錢の税は五厘にも三厘にも減ず可し必ずしも新聞社の不利ならずなど説を作す者あれども是れは所謂物の數を算する算にして商賣上の人〓を計えたる十露盤にあらず我輩は爰に世の爲めに新聞紙の利益不利益等の論を論ずるに非ず是れは他日の論に〓し置き此塲所は唯新聞商賣の利害一點より立言し社會の人〓を損しては到底商賣の見〓みなきが故に假令へ郵税が五厘に〓し又三厘に下りても今日の塲合は新聞社の私に便利の處分して利を失うことなからんと欲する者なれば政府の筋に於ても人民の商賣の不利を知りながら新法を斷行することもなかる可しと敢て自から之を信じて漫に狼狽せざるものなり