「尊王論」
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時事新報に掲載された「尊王論」(18880926)の書籍化である『尊王論』を文字に起こしたものです。
本文
緒 言
尊王論一篇は、去月廿六日以來連日の時事新報に掲げて讀者の高評を煩わしたるものなれども、片々連日の紙上に掲げたるものにては、之を卒讀して全體を玩味するに便ならずとて、未だ之を紙上に掲載し終らざるの時より、之を小册子となして世に公にせんことを勸告せらるゝもあり、又今日に至りて當時之を掲載せる新報を注文せらるゝもあれど、紙數を限りて印刷したるものなれば今はその需めに應ずる能わず、且つや本篇は廣く世間の高評を得て、論旨の世に行われんこと我輩の切望する所なれば、更に印刷に附して小册子となし世に公にする事となせり。
明治廿一年十月 石川半次郎 記
尊王論
福澤諭吉立案
石川半次郎筆記
我大日本國の帝室は尊嚴神聖なり。吾々臣民の分として之を仰ぎ之を尊まざるべからずとは、天下萬民の知る所にして、そのこれを尊むや、爲めにする所あるに非ず。殆ど日本國人固有の性に出でたるが如くにして、古來今に至るまで疑を容るゝ者なしと雖も、開國以來、人文漸く進んで千差萬別の議論も多き世の中となるに就ては、我輩は尊王の大義を單に日本國人の性質とのみ言わずして、更に一歩を進め經世の要用に於てもこの大義の等閑にすべからざるを信ずる者なれば、假令え今日は無用の論に似たるも、天下後世社會の安寧の爲めに尊王論の一編を記して子孫に遺すも亦無益の勞に非ざるべし。今その立論を三條に分つ。
第一 經世上に尊王の要用は如何。
第二 帝室の尊嚴神聖なる由縁は如何。
第三 帝室の尊嚴神聖を維持するの工風は如何。
第一 日本國人の尊王心は殆んどその天然の性情に出るものにして、試に今匹夫匹婦に向い、何故に帝室は尊きやと尋れば、唯帝室なるが故に尊しと答うるのみにして更に疑う者あるを見ず。啻に匹夫匹婦のみならず、上流の士君子中、或は平生尊王の志厚しと稱する人物に質しても、帝室は一系萬世の至尊なりと答えて更に詳に説明する者甚だ少なきが如し。今日の處にては我輩とても強いてその説明を求るに非ず。實際に於ても亦無用なりと雖も、文明の開進際限なくして今日の物論既に喧しく今後ますます甚だしきに至るべき世運に當り、その議論時としては人情を後にして道理に訴え、帝室の事に關しても單に道理の一方より言を發し、經世上に帝室の功用如何などの問題に遭うことなきを期すべからず。若しも然る場合に於ては我輩は、彼の匹夫匹婦の如く、又世間に所謂尊王論者の如く、單に帝室なるが故に帝室にして尊嚴神聖なりと答うるよりも、我れより一歩を進めて質問者の質問に應じ、經世上に尊王の要用を説き、以て他を滿足せしめて、人情と道理と兩樣の點より、ますますその尊王心を養成せんと欲する者なり。
性は善なりと云うと雖も、又一方より人間俗世界の有樣を見るに、凡そ人として勝つことを好んで多きを求めざる者なし。即ち人生に具わる名利の心にして、社會運動の由て以て起る所の根本なり。又人の智力工風は際限なきものにして、その好む所のもの、その求る所のものを得んが爲めには、種々樣々の方便を用いて殆んど至らざる所なし。而してその方便たるや、性質の正しきものあり、正しからざるものあり、或は當局者に於ては自から正當なりと認るも他人の視る所にて正しからざるものあり、或は古の時代に在ては正理に叶いし事柄も今の風潮にては然らざるものあり。その事情甚だ錯雜して容易に判斷も下だし難き最中に、徳心の發達尚お未だ完全ならざる浮世の俗物輩が名利を逐うて止まざることなれば、心意の險わしきも誠に當然の勢にして、その心意の中に隱伏する間は尚お平和を裝うべしと雖も、發して外に現わるゝの日には、之を小にして人々個々の不和爭論と爲り、之を大にして黨派の軋轢又は戰爭にも立至るべし。社會の不利これより大なるはなし。畢竟その本を尋れば、人生の勝つことを好み多きを求るの性情に原因するものにして、之を調和すること頗る易からず。天下の人をして悉く勝つことを得せしめんか、勝敗とは相對の語にして、負る者あらざれば勝つ者あるべからず。天下の人をして悉く多きを得せしめんか、多少も亦相對の語にして、他に少なきものあらざれば我れに多きの感を爲すべからず。然らば則ち名利は俗界萬衆の心に皆欲する所のものなれども、その心のまゝに任して圓滿の位に至らしめんとするには、天下の名譽利益を擧げて一人の身に歸し始めて滿足すべきなれども、その一人を除く外は都て不平ならざるを得ず。ますます不都合にして實際に行わるべからざるや明なり。故に經世の要は社會の人をして不平怨望の極に至らしめず、又滿足得意の極にも登らしめずして、正にその中間の地位を授け、苦藥喜憂相半して極端に超逸せしめざるに在るのみ。之を名けてその分を得たるものと云う。然るに政府の法律の如き、宗教道徳の勸化の如きは、人事の理非を明にし人心の慾を制して、この超逸を禁じ又これを未萌に防ぐの方便なれども、尚お未だ足らざるものあるが如し。殊に我日本國の如きは古來士流の習慣を成して政治に熱心する者甚だ多く、その熱度も至極高くして法律徳教の力も時として無效に屬するの事例なきに非ず。歴史の明證する所にして恰も日本固有の氣風なれば、この氣風の中に居て政治社會の俗熱を緩解調和する爲めには、自から亦日本に固有する一種の勢力なかるべからず。即ち我輩がこの勢力の在る所を求れば帝室の尊嚴神聖是れなりと明言するものなり。
名利の兩者は共に人の欲する所なりと云うと雖も、今名譽と利益と相對して孰れを重しとするやと尋れば、人の性情は、名を先にして利を後にするものと答えざるを得ず。凡そ人間の衣食既に足りて肉體保養の缺乏なき以上は、その求る所のもの全く名に在りと云うも可なり。大廈高樓金衣玉食の奢侈際限なしと雖も、本人の肉體口腹に奉ずる所は誠に限りあるものにして、其以上は悉皆外に對する見聞の爲めにするのみ。即ち名の爲めにするものなれば、人生の利益を求めて多きを欲するも、その實は名を買わんが爲めなりと云て可なり。或は世に守錢奴なる者あり。その爲す所を察するに、如何なる不外聞をも忍んで唯錢是れ求め、畢生の目的、利益の外なきが如くなれども、その本心を叩て眞面目を糺すときは、その人の心事に謂らく、人生に錢なければ不安心なり、無錢貧乏の極に沈むときは如何なる艱苦を嘗め如何なる恥辱を被るも圖るべからず、その用心の爲めには錢こそ最第一の要用なれ、況んや平生に於ても錢は權力の基にして、自から世間に我身の重きを成すべしとて、歸する所は名の爲めにするより外ならず。左れば人の性情は斯くまでに名を好んで、その名を買うに最も便利なるものは錢なるが故に、俗界に名利の紛爭を生ずるも決して怪しむに足らず。扨この紛爭に際してその勝敗の明白なること角力の勝負の如くなれば誠に心配に及ばずと雖ども、人事は大抵無形の間に錯雜するもの多くして、之を判斷すること甚だ易からず。或は國の法律に訴えて黒白を分つの道もあれども、法律は唯外面有形の部分に有力なるのみにして深く無形の心情に入るを得ざるが故に未だ以て滿足すべからず。是に於てか始めて仲裁の要用を知るべし。抑も爰に記す仲裁の文字は、單に紛爭の場合を司どるのみの意味にあらず、平生の人事に於てもその働く所甚だ廣くして、常に人心の昂激を緩解調和するものなれば、その效用を喩えて云えば病の急劇症に緩和劑の要用なるが如しと知るべし。例えば坊間血氣の少年が祭禮又は火事場に於て甲乙打當り、針小の間違より棒大の爭を起し、東西相接して互に五分も引かれぬ意氣地と爲り、警察恐るゝに足らず、必死は素より覺悟なりとて、將さに一大椿事に至らんとするその瞬間に群集の中を割て出でたる者は兼て名に聞く何組の親方にして、單身赤手、右と左に押し分け、この喧嘩は此方に貰うたりと大聲一喝の下に、雙方の昂激忽まち鎭靜し、總勢肅々としてその場を引揚げ、果ては仲直りの一盃を以て穩便に事の局を結ぶが如きは、大都下に珍らしからぬ事實なり。蓋しこの少年等が血氣に速りてその極度は生命をも愛しむに足らずと云うまでに至ると雖も、瞬間に機を轉じてその本心を叩けば、特に殺伐殘忍を好むにあらず、最前は唯義侠好男子の名の爲めに引かんと欲して引くべからざりしのみ。今は親分の扱いと爲りて雙方の面目も立つと云えば、假令え少々の不平あるも其邊は親分に對する子分の義理として勘瓣せざるべからず。既に勘辨すると覺悟を定めたる上は、一言半句の筋を云わざるこそ却て好男子なれとて、一切の進退を擧げて之を親分の處置に任ずるは、親分の名望素より盛なるが故なりとは雖も、内實は子分の者共もその仲裁の扱いを好き機會にして自分等の面目を全うすることなれば、親分一人の名望は數多の子分の無事を維持するの機關にして、緩解調和の妙效を存するものと云うべし。
右は社會の下流と稱する坊間少年輩の仲間に行わるゝ事にして、士君子の常に等閑に看過する所のものなれども、滔々たる塵俗世界の事相を解剖してその眞面目を視るときは、紳士上流の社會とて何ぞ坊間少年輩の仲間に異なるものあらんや。商人が利を爭い、學者が名を爭い、政治家が權を爭うが如き、外面は稍や穩にして美なるに似たれども、その爭うの實は則ち上流も下流も同一樣にして殊色あるを見ず。之をその當局者の爲すがまゝに任じて自在に運動せしむるときは、爭論底止する所なくして啻に社會の騷擾のみならず、當局者の自身に於ても事の行掛りに載せられて所謂五分も引かれぬ意氣地に迫り、内實甚だ當惑するの事情常に多し。彼の射利を目的にする商家の爭は、その運動、尚お錢の區域に止まり、未だその錢を以て名を買うの點に達せざるもの多きが故に、單に錢の受授に由て調停に至ることもありと雖も、全く錢を離るゝか、又は錢を第二着にして專ら名譽權利の一方のみに熱するものに至ては、その爭も亦一層の昂激を増し、殊に政治の爭論の如きは最も劇しきものにして、時としては由々しき大事をも見るべき場合なきにあらず。即ち一國社會は政治家の玩弄物と爲りて意外の災難を被るべき時なれども、この一大事の時に當りて能く之を調和し、又平生より微妙不思議の勢力を耀かして、無形の際に禍を未萌に〔豫〕預防するものは、唯帝室至尊の神聖あるのみ。一盃の酒以て志士の方向を改めしめ、一句の温言以て奸雄の野心を制するが如きは、決して他に求むべからざることなり。帝室は固より政治社外の高處に立ち、施政の得失に就ては毫も責任あるべからざるものにして、その政治の熱界を去ることいよいよ遠ければ、その尊嚴神聖の徳いよいよ高くして、その緩解調和の力も亦いよいよ大なるべし。啻に經世に要用なるのみならず、苟もその尊嚴を缺き神聖を損することあらば、日本社會は忽ち暗黒たるべきこと、古來の習俗民情を察して疑を容れざる所なり。
西洋諸國民は多數少數の數を以て人事の方向を決するの風にして、我日本國人は一個大人の指示に從て進退するの習慣なり。即ち古來東西に趣を殊にする所にして、その是非得失は容易に判斷すべからず。多數主義にても大人主義にても、數千百年の習俗を成て人民の情に之を安んずるときは、社會の安寧を維持するに足るべし。然るに我日本は三十年前俄に國を開て西洋國人に接し、熟らその事物を視察すれば有形無形共に彼に及ばざる所のものあるを發明し、之を名けて西洋の文明開化と稱し、只管この文明開化を採んとして之に熱心するその中に、人間社會の事を決するに多數主義を用るも開明の一箇條なりと聞て、漸くその風に赴き、民間の事を處し人を推撰する等にも動もすれば投票の多數を以てし、政治の或る部分に於ても既にこの法を用るもの少からず。近來に至りて彼の國會の開設など云うも、天下の大政を議するに多數法を用るの仕組にして、日本開闢以來の一大變相と稱すべし。抑も今日全世界の事態に於て人間を支配するものは西洋の文明開化にして、迚も之に反對すべからざるのみか、文明開化そのものゝ性質を吟味しても、得失を平均するときは美なるもの甚だ多くして、我日本國人も漸くその方向に進むこそ利益なれば、多數法の施行、決して非難すべきに非ず。遂には國中公私大小の人事を可否進退するにこの法を用るに至ることあるべし。我輩の最も贊成する所なれども、唯この際に於て心配なるは、幾千百年來大人の指示に從うの習慣を成したる者が、能く多數の命ずる所に服すべきや否やの一事なり。假令え約束に於ては餘儀なく服するも、能く彼の多數なるものを尊敬し、恰も之に一種の神靈を附して、一も二もなく甘服伏從すること、西洋國人の如くなるべきや否や疑なきを得ず。趣は少しく異なれども爰に一例を示さんに、明治の初年來政府の上流にて困難とする所は、人物の進退、政令の施行を、一人の意の如くする能わざるの情勢、是れなり。本來今の政府の組織は大人主義の如くなれども、若しも實にこの主義に基くものなれば、情實由緒などは問うに及ばず、政府の首座に立つ者が嚴重にその職權を振い、一心以て施政の方向を定め、違う者は之を擯けその局部の專權、恰も徳川政府筆頭の老中の如くなるべき筈なるに、實際の事情は初めより然るに非ず、上流の人は取りも直さず同胞の兄弟同樣にして、その出身の由來に差したる甲乙もなく、之に加うるに衆議を以て事を決するなど云う談も少からずして、何となく多數主義の趣を存するが故に、大人專權の事は望むべからずして、左ればとてその多數主義が公然たる形を成して之に依頼すべきものなれば、之を根據にして自から又有力なる專權を逞うすべしと雖も、亦然るにもあらず、大人主義に似て大人を許さず、多數主義の如くにしてその多數分明ならず、以て政府の全體を惱ますものゝ如し。この事情は獨り政府のみならず、民間の私にも行われて、時として紛擾を釀すこと多し。即ち今日我國一般の時勢にして、或は之を評して大人より多數に變遷する途中の難澁と云うも可ならんのみ。然りと雖も前に云える如く西洋流の文明開化は無限の勢力あるものなれば、結局政治に於ても又他の人事に於ても、大人主義は行われずして多數主義に勢力を占めらるゝことなるべし。今後の大勢に於て我輩の豫め卜する所なり。
右は有形の人事政治上に就て大人主義より多數主義に移るの難きを陳べたることにして、天下何人たりとも之を易しと云う者はなかるべし。或は有形の部分丈けは多數を以て制すべからざるに非ず。民事又は政事に於て事を決し人を進退するに當り、投票の數に於て然りと云えば又二言あるべからずと雖も、日本の民情尚未だ多數の神靈を拜する者にあらざれば、形に於て之に服するも感覺は則ち然るを得ず。是に於てか一方に多數を求め多數を爭う者あれば、他の一方には多數を憤り多數を愚弄する者を生じ、又或は多數を爭い之に失敗して飜て大人主義を唱うる者もあるべし。即ち人事變遷の波瀾にして、之に浮沈する熱界の俗物は既に數理の外に脱して情感の内に煩悶するものなれば、之を緩和するの手段は、法を以てすべからず、理を以てすべからず、法律道理のその外に一種不思議の妙力を得て、始めて能く鎭靜の效を奏することあるべし。之を喩えば人身の病に於て、肉體有形の患は學理上の醫藥を以て治すべしと雖も、無形の精神病は往々理外の療法を施して效を奏するもの多きが如し。左れば彼の俗世界に浮沈して輸贏を爭う輩も、一方より見れば至極神妙にして、國の爲めに用を爲す者なきに非ずと雖も、顧て裏面より之を窺えば功名症と名くる一種の精神病に罹る者こそ多ければ、之を和らげて時々輕快を覺えしむる爲には、理外不思議の療法なかるべからず。是即ち我輩が特に帝室の尊嚴神聖に依頼する所以なり。例えば甲乙同等の人にして之を上下すれば不平の媒介たるべし。乃ち甲に實を與えて乙に花を授け、或は表に甲を重んじて裏に乙を敬し、昨日は酒を飮ましめ今日は茶を喫せしむる等、無限の方便に無限の意味を含んで人を滿足せしむるものは、帝室の光明の外に求むべからず。又或は政治家が施政の得失を論じて水火相容れず、或は人物を黜陟して失意得意の境遇を倒にし、法に於ては兎も角も情實に於ては最早や堪忍相成らずと雙方相對峙し、その熱度の頂上に達して波及する所の廣ければ、時として腕力兇器に訴えんとするが如きその時にも、政治社外の高處に在す帝室の深慮は云々など云えば、熱度忽ち降りて輕快の奇效を奏すべし。蓋しこの功名症の患者も本來殘忍刻薄なるに非ず、必ずしも他を不幸に陷れて自から立たんとするの惡心あるに非ず、時としては意外に淡泊なるものなれども、斯くては不外聞なり不名譽なりとて、唯世間に對する榮辱に迫られて、内心に不本意ながらも意地を張り非を遂げんとする者多きの常なるが故に、その際に至尊の深慮云々の言こそ幸なれ、一身の榮辱を擧げてこの一言に歸し、從前無限の煩悶は洗うが如く脱却して體面を全うするを得べし。啻に本人の幸のみならず、その實は社會の安寧を買得たるものにして、經世上の大利益と云うべし。西洋諸國の帝王の如きはその由來素より我日本國の帝室に及ばざること遠しと雖も、その尊嚴神聖の威光を以て民情を調和して社會の波瀾を鎭靜するのみならず、自然に世務の方向を示し、文學に技藝に之を奬勵して、民利國益の基を開くもの少なからず。然るを況んや我至尊なる帝室に於てをや。その經世上の功徳は更に大なるものあるべし。我輩は之を金玉として苟も黷すことなきを祈るものなり。
第二 世人皆帝室の尊きを知てその尊き所以を説くものなし。その説なければその根據固からず。今我輩が特に爲めに説を陳ぶるも亦無益にあらざるべし。抑も我輩が立言の眼目は尚古懷舊の情に基き、帝室の尊嚴神聖をこの人情に訴るものなり。凡そ人間社會に在る有形の物に就てその價を視るに、勞働の多寡に由て定まるものと、感情の深淺に從て生ずるものと、二樣の區別あるものゝ如し。金錢を寶とし衣裳什器を貴しとするが如きは、その金銀を鑛山より掘出して精製するに至るまで非常の人力を費し、絹絲獸毛を織て衣裳を仕立て、金屬木材等を以て有用又は奢侈の什器を作るにも、人の勞すること少なからざるが故に、その價は正しくその勞働の多寡に準ずべし。即ち賣買市場の物價にして道理至極のことなれども、社會の實際に於てこの道理に外るゝものも亦少なしとせず。大家の書畫と云い遠國の奇物と云うが如きは、以上の道理外に價あるものにして、その書畫の巧なるに非ず、その奇物の實用を爲すに非ざれども、大家の人物高くして容易に筆を執らず、遠國の道遠くしてその物を得ること易からざるが爲めに價を生ずるのみ。即ち人生稀有の品を悦ぶの情にして、日本唯一にして國中に比類なし、世界第一にして第二を見ずと云えば、瓦片石塊、絶て人事に無用の物と雖も、巨萬の金を投じて之を買うは古今の事實に於て毎に見るべし。之を名けて情感の價に出るが如くなれども、決して然るのみに非ず、廣く之を公共の輿論に訴えても事實の見るべきものあり。例えば爰に地方の一寒村に千歳の老松樹ありて、世人の常に奇とし神として重んずる所なれども、之を伐倒すときは稀有の良材を得て錢に易うべきのみならず、その樹蔭たりし地面三反歩は良田と爲りて、毎年の所得、米にして何俵なるべし。之を伐らんか之を保存せんかとの議を發することもあらんに、村議は必ず保存の方に多數なるべし。如何となれば、その老松は近國に比類なき名木にして、自から村の裝飾と爲り又一種の榮譽たればなり。即ち他の郡村になき大木が我村に存在して、日常談話の語次にも老樹名木と云えば恰も當村の專有にして誇るに足るべきが故に、村の人心は遂に名を重んじて利を顧みざるの輿論を成したるものなり。啻に在來の名木を伐らざるのみならず、何か往古の歴史上に名ある場所か又は人物の爲めには、千百年の後世より故さらに石碑銅表などを建てゝ紀念に存するものあり。その他古城跡、古戰場、神社佛閣、名所舊跡等、都て人事に直接の用を爲さゞるものにして、經濟一偏より殺風景に論ずれば無用の長物なれども、天下の輿論は之を毀たざるのみか、その長物の保存の爲めに却て錢を費して愛しまざるものゝ如し。
左れば人間世界の萬物、その價を評するに勞力の多寡を標準にするは唯商賣工業上の談にして、未だ以て物價の區域を盡したるものにあらず。啻に之を盡さゞるのみならず、世界中の至寶と稱してその價の最も貴きものは必ず人事の實用に適せざる品にして、その實用を去ることいよいよ遠ければいよいよ人に貴ばるゝを常とす。某國の帝王には遊船の美なるものありと云うも未だ以て驚くに足らず、世界無比のダイヤモンドを所有すると云うて始めて人に誇るべし。玉と船と孰れが實用に近しと問えば固より船なりと雖も、船は人力を以て造るべし、即ち錢を以て買うべきが故に貴からず。之に反して巨大のダイヤモンドは如何に人力を役するも之を得ること難くして、遂に之に附するに天與神授の名を以てし、世界の萬物敢て之に向て尊卑を爭うこと能わざるに至りしものなり。この點より觀るときは、人間世界に至寶と稱せらるゝものは、經濟上に直接の實用を爲す物にあらずして却て無用の品に限るが如し。甚だ奇なるに似たれども、人事の實相に於て然るものなれば、如何なる理論者と雖も、苟も今世に生々して人間に雜居する限りは、その奇に從わざるを得ず。蓋し人類を目して理を辨ずるの生物と云い、今世を稱して道理の時代と名くるが如きは、人事の一局部に適用すべき言にして、滔々たる世界無數の人は情海の塵芥に異ならず、その道理に由て運動するものは十中稀に一、二を見るべきのみ。
人間世界稀有の物品はその實用の如何に論なく珍奇として尊まるゝ中に就ても、その珍奇の名は大抵皆年代に由て生ずる尚おその上に、之に附するに歴史上の人物を以てするときは一層の聲價を増すものゝ如し。古器古錢その年代いよいよ古きに從ていよいよ世に珍重せらるゝの常にして、三千年前の古鏡、二千年前の銅貨、誠に珍奇なれども、この鏡は往古何々皇后の御物にして、その錢は何々帝の手にしたるものなりと云えば、珍品中にも殆んど出色の位を占るに足るべし。蓋し年月の經過と共に當年の物も事も次第に消滅し次第に忘却するその中に、稀に存在する物にして、又稀にも有名の人の手に觸れたりとの由來あれば、珍奇中の珍奇にして、その物に情感の價を生ずるも偶然に非ざるなり。扨無生の物品に價を生ずること斯の如くなれば、有生の人に價を生ずるも亦爭うべからず。その人の價とは何ぞや。歴史上の家名、即ち是れなり。人生皆祖先あらざるはなしと雖も、人事の錯雜して興敗存亡の繁多なる、數百千年の家系を明にする者は甚だ稀にして、或はその分明なるものあるも、祖先の功名著しきにもあらず、唯何世の血統を無難に繼續したりとのみにては、尚お未だ香しからず。然るに爰に一人あり、その家系は何百年前より歴史に明にして、宗祖某は何々の創業に由て家を興し、その第何世の主人は何々の偉功を以て家を中興し、子々孫々今に至る迄その家を存して失わずと云えば、假令えその人の智徳は凡庸なるも、苟も非常の無智不徳にあらざるより以上は、社會に對して榮譽を維持するに足るべし。況んやその徳義才智の少しく尋常を擢んずるものに於てをや。世の尊敬を博するは他に幾倍なるを知るべからず。その然る所以は何ぞや。社會の人心は今のその人を重んずるに非ずして、その家の由來とその祖先の功業とに價を附するが故なり。
前節の言、果して人情に違うことなきに於ては、我日本國には帝室なるものあり。この帝室は日本國内無數の家族の中に就て最も古く、その起源を國の開闢と共にして、帝室以前日本に家族なく、以後今日に至るまで國中に生々する國民は、悉皆その支流に屬するものにして、如何なる舊家と雖も帝室に對しては新古の年代を爭うを得ず。國中の衆家族はおのおの固有の家名族姓なるものを作りて相互に自他を區別すれども、獨り帝室に於てはその要を見ず。何姓とも云わず、何族とも唱えず、單に日本の帝室と稱するの外なし。その由來の久しきこと實に出色絶倫にして、世界中に比類なきものと云うべし。況んや歴代に英明の天子も少なからずして、その文徳武威の餘光、今に至るまで消滅せざるのみならず、事の得失は姑く擱き、凡そ古來國史上の大事件にして帝室に關係せざるものなきに於てをや。その人心に銘すること最も遠くして最も深きは辨を俟たずして明白なるべし。尚古懷舊、果して今世の人に普通の情感なりとするか、日本國民にして誰れかこの帝室の古を尚んでその舊を懷わざる者あらんや。瓦片石塊、古きものは之を貴重し、老樹古木、その由來を聞けば之を伐るに忍びず。之より以上に上りて人類に至り、その血統の久しき者は、祖先の功勞如何を問わずして、自から世間に重きを成すべし。尚お之に加うるに英雄豪傑の子孫とあれば、その子孫の智愚に論なく、恰も祖先その人を今世に代表して一層の人望を繁ぐに足るべし。然らば則ち帝室は我日本國に於て最古最舊、皇統連綿として久しきのみならず、列聖の遺徳も今尚お分明にして見るべきもの多し。天下萬民の共に仰ぐ所にして、その神聖尊嚴は人情の世界に於て決して偶然に非ざるを知るべし。蓋し世上に尊王の士人少なからずして所説甚だ美なれども、その帝室の神聖を説くや、唯神聖なるが故に神聖なりと云うに過ぎず。古代民心の素朴簡單なる世に在りては、事を説くの筆法も簡單にして却て有力なりしと雖も、人文次第に進歩して世事の繁多なるに從い、人の心も自から多端にして聞見の區域を廣くし、百般の事物に接しても先ずその理由を吟味して然る後に信疑を決するの時勢と爲りたるに付ては、帝室の事に關しても時としては默信に安んぜざる者もあるべしと思い、尚古懷舊の人情に訴えて鄙言を呈し、以て天下後世の爲めにするものなり。尊王の士人、素より我輩の良友にして、その志は眞に嘉みすべしと雖も、心事の簡單にして人に默信默從を促すが如きは、最早今日の事にあらざれば、その志はそのまゝに存して毫も屈することなく、更に進で議論上に我輩と方向を共にせんことを祈るのみ。又我輩がこの邊より立言するときは、天子の聖徳如何に就て喋々するを好まず。殊に世の論者が聖徳云々を説くに、動もすれば直に政治上に關係するもの多きは最も忌まわしく思う所なり。元來政治法律は道理部内の事にして、その利害の分るゝ所も道理を標準にすることなれば、一利一害相伴うの社會に在りながら、億兆の人民をして聖徳の如何と政治の如何と直に影響するが如き思想を抱かしむるは、時として施政の爲めに便利なるが如くなれども、又時として聖徳を累わすの恐なきにあらず。蓋し政治は一時政府の政治にして、帝室は萬世日本國の帝室なり。帝室の神聖は政治社外の高處に止まりて廣く人情の世界に臨み、その餘徳を道理部内に及ぼして全國の空氣を緩和せんこと、我輩の宿論として竊に冀望する所なればなり。
第三 帝室の尊嚴神聖を維持するの法、如何の問題に就ては、我輩に二樣の手段あるその一は、既に前條に於て尊嚴神聖の理由を尚古懷舊の人情に歸したるが故に、今これを維持するにも亦先ずこの人情に依頼せざるを得ず。之を第一手段とす。抑も文明日新の今日に在りて尚古懷舊とは、一見先ず文字の上より不都合にして、老論因循説などの譏もあらんかなれども、少しく眼界を廣くして考うるときは、老論決して老ならず、因循却て活溌の方便たるを發明するに足るべし。本來我輩が我帝室の神聖を護りて之を無窮に維持せんとするは、日本社會の中央に無偏無黨の一燒點を掲げて民心の景望する所と爲し、政治社外の高處に在て至尊の光明を放ち、之を仰げば萬年の春の如くにして、萬民和樂の方向を定め、以て動かすべからざるの國體と爲さんと欲する者なり。斯の如くして下界の民間を見れば紛擾の俗世界にして、名譽に熱する者あり、利益を爭う者あり、學者の議論、政治家の意見、千差萬別の利害に汲々として優勝劣敗、時に或は苦情の増進して騷がしきこともあるべしと雖も、その自由に任して帝室の關する所にあらず、競爭は文明進歩の約束なりとして之を捨置き、恰も俗界の萬物を度外視するが如くにしてその實は之を包羅し、一種無限の勢力を以て間接に民心を緩和することなれば、紛擾競爭も常に極端に至らずして止まる所に止まるを得べし。凡そ人間世界の安寧を害するものは極端論より甚だしきはなし。完全無病の主義と稱するものにても、その極端に至れば危險なきを得ず。況んや今世の人類が敢て文明の名を冒すと雖も、その言行は都て小兒の戲にして頼むに足らざる者多きに於てをや。尚お況んや古來遺傳の教育に生々して事物の兩極のみを知り、思想淺薄、度量狹隘、曾て自尊自治の何ものたるを解せざる日本國民に於てをや。唯是れ無數の頑童に異ならず。若しもこの輩を放てその走る所に走らしむることもあらば、極端の災害如何なるべきや。政事家の軋轢の如きは頑石の相觸るゝに似て、敵と味方と煩悶の中に互に自から碎ることならん。斯の如きは則ち運動の自由なるに似て却て自由を得ざるものと云うべきのみ。左れば我輩が帝室の尊嚴神聖を仰いで民心緩和の功徳を蒙らんとするは、之に由て百般の競爭をその極端に防ぎ、無病無害の間に自由ならしめんとするの微意なれば、尚古懷舊以て帝室を護るは文明日新の活動に缺くべからざる方便なりと知るべし。
尚古懷舊の人情は帝室を護るに大切なるものとして、その人情を利用するの手段に至りて又考うる所なきを得ず。凡そ天下の物は獨り高きを得ず、獨り貴きを得ず。その高貴は他の高貴に比較して後に能く顯わるゝものにして、その比較する所いよいよ廣ければいよいよ以て最高貴の最たるを證すべし。例えばむかしの何某を稱して漢學の大先生なりと云うは、その時代に漢學大に流行して學者先生多き中に、何某がその中の拔群なるが故に先生に大の字を冠して大先生と呼ぶことなり。相撲に大關の名あるは、その以下の者も力士として世に知らるゝ中に就て、最大最強の實あるが故なり。若しも他に比較する者なきに於ては、大先生なり大關なり、假令え何ほどに學力筋力あるも、その大を顯わすに由なかるべし。左れば帝室の由來久しくしてその古舊は實に我國の絶倫なれども、他の古舊なるものに比較して益々その重きを感ずべきは人情自然の勢なれば、凡そ國中の古代に屬するものは之を保存してその區域を廣くし、國民をして古を尚び舊を懷うの念に切ならしめ、以て益々帝室の古光を分明にするは緊要至極のことなるべし。八幡宮、天滿宮は古くして尊し、高野山は深くして本願寺は大なりとて、人民の仰ぐ所なれども、應〔神〕仁天皇は第何代の天子にして、帝室の紀元に比すれば古しとするに足らず、菅原の道〔眞〕實公は唯是れ千年前の王臣のみ。高野山は何々天皇の勸請にして、本願寺は何々天皇の御宇に開基し、爾來帝室に對して何々の由緒ありと云えば、人民は之を聞て同時に帝室の高きを知り、尚古懷舊の氣風いよいよ盛にして、いよいよ帝室の基礎を固くするは、人情の世界に必然の勢なりと知るべし。蓋し近來政府の筋にても神社佛閣保存に注意あるが如きは、この邊の趣意に出たるものか、その趣意は兎も角も、我輩は之に贊成せざるを得ず。如何となれば、國中の寺社は大抵皆由來の久しきものにして、國民をしてその古きを懷わしむるは帝室を懷わしむるの端緒なればなり。即ち帝室の由來に對する比較の區域を廣くするものなればなり。この點より考れば彼の出雲の國造、阿蘇の大宮司、又は本願寺の門跡等の如きは、その家の由來久くして尊のみならず、國民は恰もその人を神とし佛として崇めたる稀有の名家なれば、之を愚民の迷信と云えば迷信ならんなれども、人智不完全なる今の小兒社會に於ては、その神佛視する所のものをばそのまゝにして懷古の記念に存するこそ、帝室の利益にして又智者の事なるべし。然るに今やその神佛は下りて人間世界の華族に變じたり。日本の戸籍帳簿上に、異樣なる半神佛、半人類の登録は、氣に濟まぬとの意味にてもあらんなれども、是れは思想の潔癖と申すものにて、錯雜なる人間社會の萬事萬物を、一直線の繩墨に當てゝ遺す所なからんとするが如きは、迚も行わるべきことにあらず。その心事の簡單なる、未だ小兒の域を脱せざるものと云うも可なり。文明開化の天地甚だ廣くして大なり。苟も經世の利益とあれば、如何なる異樣のものと雖も之を容るゝに綽々餘地あるべし。況んや帝室の神聖を護るの一點より見れば、その異樣ますます異にして、ますます有效なるべきに於てをや。我輩は國造、大宮司、門跡等、その人の運命如何は固より喜憂する所に非ざれども、その人間界に下りたるは帝室の爲めに深く之を愛しみ、今にもその舊態に復せんことを祈るものなり。
又この緒に就て云えば藤原家の事あり。同家の帝室に於けるやその因縁甚だ深く、帝室に密着して帝室と榮枯苦樂を共にし、千百年來、人臣の上に位する者は藤原の一門に限るの例にして、治にも亂にも曾て變動したることなく、天下萬民の視る所にても、藤原とあればその人の賢不肖を問わずしてその家を重んずるの習慣を成したることなれば、我輩は必ずしも俗世界の政權を取て常にこの家門に附せんと云うにはあらざれども、假令え之を政治社外に置くも、その地位は常に人臣の上に在らんことを願う者なり。是れ亦敢て藤原家に私するに非ず。尚古懷舊の主義より見て、藤原を重んずるの情は帝室を慕うの情と符合するものなればなり。喩えば家來が主人の物を重んずるは、主人その人を重んずるの情に外ならず。一振の太刀、一領の紋服と雖も、主人が曾て身に着けたる物とあれば、人情これを大切にせざるはなし。然るを況んや器物以上の人にして、その人の家門は唯一無二の名族と稱せられ、千年の古より帝室の左右を離れたることなきものに於てをや。之を重んずるは人情の自然にして、即ち帝室を重んずるの誠より出でたるものなれば、藤原の家柄に重きを附するは、間接に帝室の基礎を堅くするの方便なりと知るべし。事の大小輕重も同じからず、又その經世上の利害も全く異なれども、二十年前に行われたる廢藩の事情を案ずるに、王政維新と共に諸藩にて藩政改革と稱し、樣々の新法を施行したるその中に就ても、舊來の重臣家老を擯けたるは諸藩共に申し合せたるが如くにして、之が爲めに頗る藩主の勢力を殺ぎ、次て廢藩の大擧に及びしことにして、藩主一身の私に就て考れば唇亡びて齒寒しの事實を見るべし。故に當時この大擧の容易なりし原因は固より多しと雖も、藩主が多年來利害を共にする左右親臣の力を失いしも亦その一箇條として見るべきものなり。左れば藤原家は實に帝室の左右にして、苟も名族の故を以て故らに政治上の特權を專にせざる限りは、人臣最上の榮譽を附して妨なきことならん。啻に妨なきのみならず、帝室維持の爲に一大事なるべし。又世人が華族を目して帝室の藩屏と稱すと雖も、唯漠然これを口にするのみにして曾て明白なる説明なきは、思想の疎漏なるものと云うべし。蓋し我輩の所見を以てすれば、その藩屏たる所以も前陳の理由に外ならざるを信ずるものなり。日本の華族は大名公卿の子孫にして、その人物を見れば必ずしも特に智徳の擢でたる者あるに非ず。或はその種族中資産に富む家もなきに非ざれども、民間には富豪は乏からずして、華族の右に出る者甚だ多し。然らば則ち人物家産共に特別絶倫の色なくして、之を帝室の藩屏と稱するは何ぞや。我輩は單に之を華族の家柄に歸せざるを得ず。今の華族その人は必ずしも大智大徳ならずして、時としては平均線の下に在る者もあらん、又その財産も誇るに足らずと雖も、家の由緒を尋ねてその祖先の功業を聞けば、由來久しくして他人の得て爭うべからざるものあるが故に、世人は現在の華族の人物家産を問わずして遙にその祖先を想起し、恰も今人をして古人を代表せしめ、その古を慕うの心を以て今を敬するものなり。即ち尚古懷舊の人情にして、その氣風の盛なるは自然に帝室の利益なれば、華族を以てその藩屏と爲すの言は決して無稽ならざるを知るべし。日新の道理一偏より論ずれば、身に尺寸の功勞なくして榮譽を專にするは相濟まざるに似たれども、苟もその榮譽名聲を以て政治社會を妨ることなきに於ては毫も意に介するに足らず、眞に帝室の藩屏として尊敬すべきのみ。又竊に案ずるに、華族を保存するの利益、果して前言の如くなりとするときは、新華族を作るは經世の策にあらざるが如し。從前の華族が國家に用を爲すは唯その舊家たる由緒の一點にして、その趣は古物珍器の稀有なるものゝ如く、他の得て爭うべからざる所に無限の重きを成したることなれども、今人の働次第にて誰れもこの仲間に入るべしとありては、恰も華族全體の古色を奪去りたるものにして、我輩は經世の爲めに聊か不利を感ずるものなり。世の道理論者はこの古色の二字に就て容易に説を作し、家の由緒を以て華族たるも人物の働を以て華族たるも、華族は即ち華族なり、何ぞ新古の色を分つべけんやと言う者もあらんなれども、今我輩が假に一事例を設けて日本國民の情に質問したらば、民情は今日尚お能くこの色を識別するの明ありて、論者の惑を解くに足るべし。論者は華族に新古の色なしと言えり。好し、その言に任して姑く之を許し、爰に數年を出でずして帝室に立后の大典ありと假定せよ。この時に當てこの新皇后の撰に上るべき女流を案ずるに、我帝室は古來外國の王家と結婚の先例もあらざれば、必ず華族の中より之を撰ぶことならんに、その華族は如何なる華族なるべきや。舊例に從えば藤原一門中の名族か、之を外にしても武門華族の舊大家なるべし。如何となれば皇后の宮は吾々日本國民が國母として仰ぎ奉る所なるが故に、名族大家に固有する歴史上の由來を心に銘して奉仰の感觸を安んずる者なればなり。然るにその頃たまたま新に華族に列せられたる新家ありて、爵位共に高く、その家の娘は至極怜悧にして容色さえ十人に優りたる者なりとて、畏くも立后の撰に當ると假定せんに、外面の形は毫も差支なきに似たれども、日本國民の情に於て能く之に安んじ、この娘を國母として仰ぎ奉るべきや否や。我輩は唯論者の判斷に任ずるのみなれども、論者も亦是れ無情の人にあらざれば、天下萬民と共に否と答うることならん。その否と答うるは何ぞや。新家の華族は紛れもなき華族なれども、その家に歴史上の由緒を缺くが故に、今の家の爵位は兎もあれ、その娘を國母とは何分にもとて躊躇するものならん。然らば則ち前に華族の新古なしと言いしは道理にして、後に躊躇するは人情なり。道理は以て人情に勝つべからざるを知るべし。左れば華族の華族として世に重きを成し、國民一般に尚古懷舊の情を養成して、自然に帝室の藩たる由縁は、その人の才智にもあらず、その家の財産にもあらず、唯歴史上の家柄のみに存して、天下萬民、皆これを識別するの明あるが故に、苟も帝室の古色を我日本國の至寶としてその尊嚴神聖を萬々歳に維持せんとするには、我歴史に由緒久しき公卿武家の華族に一種の古色あるこそ幸なれ。一時の便利の爲めに之に新彩色を加え、以て古來固有の族色を損するなからんこと、我輩の中心に祈る所なり。
又帝室の神聖を維持する第二の手段は、日本全國を同一視して官民の別なく至尊の邊より恩徳を施し、民心を包羅收攬して日新開明の進歩を奬勵することなり。本來我輩の所見は帝室を政治社外の高處に仰がんとするの持論にして、施政の得失の如きは固より至尊の責任に非ず。帝室は政府の帝室にあらずして、日本國の帝室なりと信じて疑わざるものなれば、その降臨する所に官民などの差別あるべからざるは無論のことなれども、事の外形より見て政府の筋は兎角帝室に近きが故に、爰に官民の二者相對するときは、帝室を推して政府部内に在るものゝ如くに認むる者なきに非ず。大なる誤解と云うべし。假令え事の實際に於て帝室は政府に近しとするも、その政府は唯一時の政府にして、職員の更迭毎に施政の趣を改めざるを得ず。況んや近々國會も開けて次第にその體裁を成すときは、政府の改まるは毎々のことなるべければ、萬年の帝室にして斯る不定の政府と密着するの理あらんや。尚お況んや之に密着して利害を共にするに於てをや。甚だしきは俗世界の政府と譏譽を共にするが如き忌わしき次第に至ることなきを期すべからず。我輩の最も取らざる所なれば、帝室は斷然政治の外に獨立して無偏無黨の地位に在らんこと、飽くまでも祈願する所なり。元來帝室は天下萬衆に降臨し恩徳の涌源たるのみにして、如何なる場合にも人民怨望の府と爲るべからず。然るに今政治の性質を吟味するときは、如何に完全の政府と稱するものにても、全國を折半して僅にその過半數の歡心を得るのみなれば、その少半數の者は政府に向て多少に不平なきを得ず。況んや今世の人間を平均すれば、私慾は深くして思慮は淺く、動もすれば自から省みずして他を怨む者多きに於てをや。法律の明文に據て裁判を下だされ更に言うべき言葉なしと雖も、その敗訴したる者は何か私に口實を設けて不平を唱えざるはなし。一令下りて、人民の一部分に便利なれば、他の一部分には多少の不利なきを得ず。租税の減じたる時は左まで評判もなけれども、増税又は新税の沙汰あれば口を揃えて苦情を云わざるはなし。殊に今の日本の有樣にて、政府の費用は文明の進歩と共に増加して止むことなきは、永遠の大勢に於て免かるべからざる事實にして、一方には人智の次第に發達するに從て言論の巧を致し、財政論の喧嘩は之を豫期して違うことあるべからず。この種の不平苦情は恰も人間世界普通の約束なれば、その衝に當りて巧に之を切拔け、多數の得意を後楯にして少數の失意を押付け、以て一時の安寧を買うは即ち政治の事なり。その事たるや至極面倒にして堪うべからざるほどに思わるれども、事あれば爰に亦人あり、世間自から適當の人物を生じて、啻にこの面倒を憚からざるのみか、政治の正面に當りて事を執り、國民中の此れを悦ばしめて彼れを恐れしめ、誰れを友として彼れを敵とし、右に顧みて喝采の聲を聞けば左に盻て案外の誹謗に逢い、一喜一憂、一安一危、殆んど心身の休息を得ずして却て自から之を樂しみ、甚だしきは身の健康を害して苦しみ、尚お甚だしきは身を殺して悔いざる者あり。之を名けて政治家と云う。故に帝室の高處より臨み見れば、俗世界に斯る政治家のあるこそ幸なれ。一切の俗務は擧げてこの輩に任じて譏譽の衝に當らしめ、その一部分の者共に人望の屬する間は之に施政の權を授け、人望盡くれば他の者をして之に代らしめ、その者共の間には政敵もあり政友もありて、時としては大に人に怨まれ又時としては大に人を怨み、その苦情煩悶殆んど見るに忍びざるもの多しと雖も、帝室は獨り悠然として一視同仁の旨を體し、日本國中唯忠淳の良民あるのみにして、友敵の差別を見ることなし。如何なる事情に迫るも帝室にして時の政府と譏譽を與にするが如きは、我輩の斷じて取らざる所なり。如何となれば、帝室は純然たる恩澤功徳の涌源にして、不平怨望の府にあらざればなり。帝室は政治塵外に獨立して無偏無黨、圓滿無量の人望を收むべきものなればなり。維新以來僅に二十年を經て今尚お封建主從の餘臭を存し、理外に君上を尊信する日本國民なればこそ、今日の政法諸規則に利害を覺ることあるも、帝室に對し奉りて一點の不平なきのみか、痛痒を訴えんと心付たる者もなき次第なれども、封建の遺民は次第に死し去り、第二世、第三世に生れ來る者は文明流の男子にして、漸く人情に冷にして漸く法理に熱し、一令下る毎にその文字を讀みその字義を論じ、その發令の本を帝室に溯りて喋々するが如きあらば、之を如何すべきや。恐多くも尊嚴神聖を俗了するものにして、その禍の及ぶ所實に測るべからず。この時に當り經世の士人が俄に狼狽し、尊王の精神家が切齒扼腕するも、事既に晩しの嘆はなかるべきや。我輩の深く恐るゝ所なり。左れば人は一代の人に非ず、誰れか死後を思わざる者あらんや。苟も後世子孫を思うて我日本社會の安寧を祈る者は、帝室の尊嚴神聖を我國の至寶として之に觸るゝことなく、身の慾を忘れ心の機を靜にし、今の社會の事相を視察して將來の世運を卜し、今日に全く無害なるも百年の後に不安なりと思得たることあらば、決して之を等閑に附すべからず。鄙言或は過慮なりとて世の笑を取ることもあらんなれども、固より憚るに足らず。是非の定論は蓋し蓋棺の後に知るべし。
右の如く帝室は政治の外に在て更に無爲無事なるやと云うに決して然らず。至尊の地位は直に事にこそ當らざれども、日本全國を統御せられて政府も固よりその統御の下に在ることなれば、政府は國民有形の部分を司どり、帝室はその無形の人心を支配するものなりと云うて或は可ならんか。既に人の心を支配して之を進退するの本源とあれば、一擧一動も忽ち全國に影響して、その事の容易ならざる固より論を俟たず。廣く日本社會の現状、即ちその民心の運動を通覽すれば、今日は是れ文明日新の世の中にして、學問教育の道興ざるべからず、商賣工業の法進ざるべからず、人民の徳心養わざるべからず、宗旨の布教勸めざるべからず。尚お細事に亙れば、日本固有の技術はその一藝一能と雖も之を保存奬勵せざるべからず。この種の事項は都て日本國の盛衰興廢に關するものにして、その進歩を助るに帝室の餘光を以てするその功徳は實に無邊なるべし。例えば學問教育の事に就ては天下の學者を優待し、商工を勸るには特に有功の者を賞し、孝子節婦を襃め、名僧知識を厚遇し、琴棋書畫、一種の技藝に至るまでも之を保護するが如き、何れも皆帝室より直達の事にして、天下の面目を改め、啻に文明の進歩を促すのみならず、民心靡然としてその恩徳の渥きに感ぜざるものなく、自からその尊嚴神聖の基を固くするに足るべし。この事たるや獨り我輩の私言に非ず、又新案にもあらず。西洋諸國に於て識者の常に言う所にして、亦彼の帝王も之を等閑に附せず、學術商工等の業に就ては細事をも洩らさずして奬勵の意を示し、有名有功の人物とあればその在朝在野を問わずして一樣に之に厚うするの事例は、毎に我輩の耳にする所なり。元來帝王は一國を家にするものにして、一家の内に厚薄する所なく、普く恩徳を施して普く人心を收攬せんとするの趣意なるべし。我輩はその規模の大なるに感服するのみならず、一歩を進ればその策略の巧なるに驚く者なり。帝王は一國を家にしてその家人に厚薄する所なしと主義を定るからには、國民を遇するに官私などの差別は固よりあるべからず。或は帝王の地位が政府に近しとて政府の邊に偏して厚うすることもあらんか、政府外の人民は帝王の子民にてありながら、その子視せられざるが爲めに君父に近づくを得ずして、王家は國中過半數の人心を失うべきが故に、その恩徳を施すに當り官私の筋を差別するが如きは決して爲ざる所なり。又有名有功の人物とあれば、假令え一藝一能の者と雖も不問に置かずして必ず之を眷顧するその意味を尋るに、凡そ天下に名を知られたる人物は必ず孤ならずして、徳義上に之に附屬し又交際する者多きが故に、その國の帝王がこの種の主領を撰で之に殊恩を施すときは、その恩澤の及ぶ所は啻に主領のみならず、門弟子友人に至るまでも恰も同樣に之に浴するの心地して君恩の渥きを感佩し、主家に於ては人望の要點にて雨露を滴して全面を潤おすものに異ならず。然もこの流の人物は必ず中人以上の種族なれば、その歡心を收るの效力も亦他に優るの實を見るべし。母鷄に餌して雛子を集め、老牛を呼で群犢を來たすとは、蓋し是等の意味ならん。彼の國々の慣行とは云いながら、その事情を解剖して視察すれば、王家の心匠巧なりと云うの外なし。左れば我國の帝室は固より日本國を一家視するのみならず、歴史上に於て實に萬民の宗家なれば、その天下に對して一視同心は故さらに案じたる策略に非ず、人情にも道理にも共に戻らざるものなるが故に、今の文明の時節に當り、あまねく至尊の光明を照らして世事の改進を促し兼て人心を收攬するは、亦帝室維持の長計なるべし。蓋し我輩が我帝室を仰いで特に爰に日新奬勵の事を喋々するは、自からその由縁なきに非ず。前段の所論は都て尚古懷舊の點より説出し、その主義固より無病なりとは雖も、古舊を慕う者は固陋に陷るの弊を免かれず、その極端に至りては時勢の變通を知らずして、日新開明の主義に敵するものさえなきに非ざれば、我輩に於ては特にこの邊に注意し、尚古懷舊の人情に依頼して帝室の神聖を維持すると同時に、その神聖の功徳を以て人文の開進を助け、帝室は日本の至尊のみならず文明開化の中央たらんことを祈り、特に微意の在る所を明にしたるものなり。
重複を憚からず終りに一言して讀者の聽を煩わすものあり。本編の旨とする所は固より唯尊王の一點に在りと雖も、我輩の持論として帝室をば政治社外の高處に仰ぎ奉らんとする者なれば、世人或はその意を玩味せずして、斯くては天子は虚器を擁するに異ならずとて、忽ち不平を鳴す者なきを期すべからずと雖も、左りとは微意の貫徹せざるものなり。我輩は徹頭徹尾尊王の主義に從い、帝室無窮の幸福を祈るのみならず、その神聖に依て俗世界の空氣を緩和するの功徳を仰がんことを願う者にして、その幸福を無窮にしその功徳を無限にせんとするが故に政治社外と云うのみ。抑帝室が政治社外に在ると云うも、唯政治の衝に當らざるのみにして、固より政府を棄るに非ず。永遠無窮、日本國の萬物を統御し給うと共に、政府も亦その萬物中の一として統御の下に立つべきは論を俟たず。天下何物かこの統御に洩るゝものあらんや。左ればその政治社外に在るは、虚器を擁するに非ず、天下を家にしてその大器の柄を握る者と云うべし。若しも然らずして日本國中唯政治と名くる一局部の一器あるのみと認め、その事に直接せざるを以て虚器を擁するものなりと稱し、その局部の虚を實にせんとて動靜不定の政府に密着し、之と共に運動を與にするが如きは、或は一時の盛觀を呈することもあらんなれども、萬年の長計にあらざるや明なり。方今朝野の士人、誰れ一人として尊王の主義ならざるはなし。その中心より然るは疑もなき所なれども、王を尊ぶの心あらば之を尊ぶにその法を講ずること最も緊要なり。事の利害得失は三、五年にして知るべからず、十年にして悟るべからずと雖も、我輩は唯後世子孫をして大に悔ることなからしめんと欲するものなれば、尊王の士人も今日に在て思想を緻密にし、接近の利害を離れて再三再四熟慮せられんこと、我輩の切に冀望する所なり。
尊王論終