「式の流行」
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時事新報に掲載された「式の流行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
菊地武コ草
例へば會〓を結んで新に事業を創始せんとするに當り諸般の手續も整頓して愈々目出度開業の運びに至れば祝の印として斯に開業式を擧行し、數百年ア〓の路を修め、千萬人來徃の橋を造れば或は開道式と云ひ或は架橋式と稱し其他病院諸々の土工建築等にして漸く落着を告ぐるに及べば其奏功を〓して盛式を設くること西洋諸國に於て夙に其例多しといふ我國にても古來これに類似のものありて王公大名の城を築き〓〓佛閣富豪の家を造る何れも棟上を〓するの〓慣なりしが近年に至りては開業式と云ひ開道式と云ひ各種の儀式都鄙一般に流行して些細の事にまでも推及ぼし不相應の金錢を費やすこと比々吾人の耳目にする所にして中には未だ唯地所を買入れて之に標木を建て是は何々事業を執るべき建築地なりと云ふのみにして取敢へず建標式なるものを擧行し種々樣々の趣向を設けて爲めに幾百圓を費やしたりと云ふもあり相率ゐて式熱に熱する其有樣を〓察すれば彼の棟上の發達したるものはには非ずして種々の文明主義と共に西洋より輸入し來り我國人の模倣心は偶々之に投合して其極遂に今日の風をなしたるものゝ如し但し何れにもせよ我輩は一〓に此等の儀式を非難するものに非ず殊に商業等に關する目的のものは別に廣告の代用をなるべければ自ら其必要なきに非ざるべしと雖ども唯徒らに世間の風潮に震〓せられ恰も人生行樂の一として思慮もなく無用の儀式に散在するに至りては國の經濟の爲めに我輩の取らざる所なり
然りと雖ども民間の事は其私の利害に一任して猶ほ可なりとするも官邊に於て亦此等の儀式を擧ぐるに至ては我輩の意に釋然たらざるものなり例へば省廳局の新築落成したりと云ひ官設事業の緒に就きたりと云ひ彼是の式典は寧ろ民間よりも割合に多くして亦甚だ盛大なるは世人の普く知る所ならん蓋し我國の政府は古よりの〓慣により何事も民間に立優るの常なれば儀式盛大なりとて今更怪むに足らざれども其儀式を擧ぐるに當り賓客を招待するに案内〓は大抵局に當る長官と其夫人の名を以てすること多しといふ而して其長官の身代を尋〓〓に〓〓にも限りあり財産にも限りありて實際決して左る〓〓を張るに足るべしとも思はれざれば金の出〓は官の筋よりするものにして尚ほ一歩を進めて其〓〓〓れば人民の財嚢より外ならず財の用法は盛なるも〓〓〓は〓しきものと云ふ可し曾て此等の式に臨みたる〓人の話に云く外には〓門紅〓の装飾を凝らして内には酒池肉林の饗應あり歡聲〓り〓音和して瑞雲〓氣〓〓たる其盛況に覺えず〓々として喜びを催ほし厚く主人に向て謝意を表すと雖も却て心を冷にして事の裏面を考へ一片の肉、一瓶の酒その出處の何くにあるやを吟味し來れば粒々皆汗の民費に出づるものと〓むるの外あるを知らず思ふに今夕一回の費用を以て之を民間の生計に照すときは幾月の間幾百人の口を糊するに足るべし目前には見えもせざれ定めて今頃は村童の〓〓に泣くもあらん野翁の病〓に苦むもあらんとて想を遠方に馳せて彼是と思案を運らせば珍味佳肴も胸に〓へて喉を下らず興味自ら索然として殆んど其座に堪へざりき云々と〓し此の如きの式典は今の日本に不相應にして亦是れ國財の泉源を汲み〓らすの一助なれば式を行ふは可なり賓客を招くも亦不可なしと雖も〓食の爲めに人を集め〓食の爲めに來り會するの弊風を除き過分の盛華に誇るなからんこと我輩の切望する所なるのみ