「地方官の交際」
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時事新報に掲載された「地方官の交際」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
地方官の交際 菊 池 武 徳 草
政務視察その他の爲め中央政府の顯官が地方を巡廻するときは地方官は之を郊外幾里の地に迎へて慇懃に案内することあり遠路の勞を勞らひ不知案内の所を案内するは固より當然の儀なりと雖も既にして特に盛大なる宴會を開き之を饗應すること往往にして新聞紙上にも毎度その景况を記し近來稀なる盛會なりし云云は寧ろ稀ならざるが如し勿論彼も我も互に一個私人の資格を以てすることならんには是とても敢て怪むに足らざれども私の交際を温めんが爲め自家の私資を以て辨するものに斯る盛事は何分にも不相應なるに似たれば實際その費用の出處は地方官の俸給に附屬する交際費に依ることも多かる可しと判斷せざるを得ず聞く所によれば地方に交際の種類多きが中にも中央官との交際に費やす所は其最も多きに居るのみならず時としては爲めに交際費の定額に不足を告ることさへなきに非ずと云ふ固より時に隨ひ塲所柄に由りて輕重繁閑の相違ある可きは勿論なれ共之を要するに送迎饗應の淋しきものにはあらざるべし元來我輩の所見を以てすれば交際とは他に對するの謂にして一味同體の間に在りては私の情誼の外に交際と稱するものある可らず然るに今中央政府の官吏も地方官も其國に奉するの官吏たるに於ては互に相異る所なくして一味同體のものなれば其私交は兎も角もなれども雙方の間に公然たる交際を開いて之が爲めに公然たる交際費を費すが如きは我輩の取らざる所なり顧ふに封建の時代にありては幕府より巡■(てへん+「檢」の右側)使を派出して各藩の政治を視察せしむるの例なりしが其權威の熾なる公儀の御巡■(てへん+「檢」の右側)使と云へば今に至りて猶ほ無理我儘の異稱となす地方さへある程にて聊かにても其意を損ふときは中中以て容易ならず由由しき大事に及ぶが故に各藩にては種種樣樣の趣向を設け成るべく安穩に其歡心を買はんことを勉めたる由なれども今は昔しと異なりて政治の面目を一新し中央も地方も唇齒相倚りて敢て彼我の差別を設けず恰も商賣上に於ける本店と出店との關係にして地方出店の支出は中央本店の支出に歸し結局その經濟を一にするものなれば商店が得意先若くは他の同業者抔に對しては交際の爲め別途の費用を要するも道理なれども出店の役員と本店の役員と相互に送迎饗應せんが爲めにとて特に交際費を備ふるものあるを聞かず左れば中央政府の官吏が地方を巡回するは取りも直さず本店の役員が支店に出張するものにして全く内輪の事なれば表向きの交際費を用る塲所柄として差支なかる可きや少しく疑なきを得ざるなり但し外國人に至りては例の商賣上の得意先若くば同業者と相同しき者なれば之に對するの交際費は固より止むを得ざるものとして我輩も異議なき所なれども一味同體の日本國内に於ける官吏と官吏との交際は自ら吾と交際する樣のものなれば自今一切これを全廢して政費節■(にすい+「咸」)の一端を行はんことこそ願はしけれ世間夙に此等の宴會を咎めて時時其不當を鳴すもの少なからず葢し之を咎むるものは其宴會の盛華を極むるを見て今の日本の經濟に似合はしからずと爲し又其費用は交際費の外別に或は賦金の類を以て支辨するものには非ざるかなどとて金の出處を怪むの情に出づるものの如しと雖も我輩は今ここに其豪奢を非難するものに非ず况んや賦金は既に地方税雜收入の部に編入せられて府縣會の監理に屬せしものなれば特に其金の運轉をも怪しむ者に非ずして直ちに官吏同士の交際費は甚だ謂れなきを論ずるのみ又近來は巡回の官吏にして敢て地方官吏の招待を謝絶する者もあるよしにて世間は之を當人の令徳なりとして頻りに稱賛するが如くなれども我輩は必ずしも此稱賛に雷同するを好まず衆人水に溺るるに當りて獨り自ら救ひ得たるは當人の水泳に巧なるが故にして其溺れざるは溺るるに優ると雖も畢竟するに水あればこそ溺るる者も多けれ、我輩は一歩を進め其水源たる交際費の門を閉して衆人皆溺るるの機會を斷絶し獨り溺れざるの令徳をして〓聞を專にせしめざるを欲する者なり