「文學の隆盛は經世の爲に祝すべきや否や」
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時事新報に掲載された「文學の隆盛は經世の爲に祝すべきや否や」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
文學の隆盛は經世の爲に祝すべきや否や
東京の或る筆屋にて曾て支那の筆工を雇ひたることありしにその支那人の談に日本は小國なりと思の外その筆の賣高を見れば實に莫大の數にして國の人口の割合にするときは我中華に比して十倍より多し中華の人が筆を用ること日本の半數にも至らば我筆師の繁昌は如何ばかりなる可きや忽ち大金持と爲る可きなれども何分にも我國人に筆を用る者少なきには困る云云と雇主へ語りしとぞ此物語に據るときは日本人の筆を用ふる數は支那人に十倍するものにして即ち我國にて文字の流行は彼國に比して十倍の相違あるを見る可し今雙方の國力を比較するときは土地人口と云ひ商賣貿易と云ひ我國の彼れに及ばざるは紛れもなき事實なるに獨り文字流行の一點に至りて我れの彼れに優ること十倍ならんとは實に案外千萬にして我輩の大に驚く所なり抑も人間は不平の動物なり知字を憂患の始めとして其不平は知識の發達と共に發達し、知識の度いよいよ高ければ不平の度いよいよ増加し、其極度に至れば時として社會の安寧を妨ぐることなきを保し難し左れば一方より見ればこそ我國文學の盛なるは誠に祝すべきが如しと雖も更に進てその永遠の結果を考ふるときは頗る懸念に堪へざるものある可し在昔徳川氏が天下を討平して霸府を江戸に創むるや首として林道春を聘して文學の師となし天下に卒先して學校を設くる等、大に學事を奬勵したるは文學を以て政道の要具、欠くべからざるものと信じたるの故か又は尚武殺伐なる武人の武骨を潤飾するに文を以てするの政略に出でたるものか其何れかは知る可らずと雖も兎に角に徳川の政府が文學を奬勵して學者を貴びたる其證據は當時士大夫世録の制、既に秩序を成し晩出の士人が藝を以て身を立るの道は極めて六ケしかりしにも拘はらず獨り學者に限りては其間に出身して大に用ひられ樞密に參與したる事例も少なからざるを見て之を知る可し徳川の中央政府にて斯の如くなれば天下靡然として奬學の風を成し諸藩地の公學を始めとして都門の大儒先生より田舍の村夫子に至るまでも文を講じ理を談じて後進生を導き以て日本文學の隆盛を致したることなりしが扨その結果は如何と云ふに千差萬別利害一ならざる中にも政治上に於ては後年王霸の名分論を唱へ幕府顛覆の端を開きたる者は即ち徳川の奬學政略に養はれたる學者書生の仲間にして而も徳川官立の大學校とも云ふべき聖堂の中より出でたる者も少なからざりしと云ふ固より當時の事變は外交の關係等種種の原因に由來し其利害是非も今より論ず可きに非ずと雖も徳川の私に就て視れば其末路の天下は時の學者論客即ち無産有志なる不平士人の爲めに擾攪せられたるものにして其他諸藩に於ても黨派の軋轢、刺殺の慘状等政治上に最も騷動の甚だしきは文學の最も盛なる處なりしが如し右は我國の近事に就ての實例なれども古今東西、智識の發達と學者書生の不平と相並行するの例は事實に照らして疑ふ可きにもあらざれば教育を奬勵して文學の上進を謀らんと欲せば之に伴ふて起るべき人生の不平を豫防するの策を講ずること經世家の要務なりと知るべし世人の知る如く支那にては歴代、官吏を登用するに試驗を以てするの習慣にして之れを進士及第と名け毎年各省より進士として試驗を受くるが爲めに北京に出づる後進の學生は盖し幾千人に下らざれども固よりこの幾千の進士が悉皆及第すべきにあらあれば過半は青雲の志を抱て空しく故郷に歸らざるを得ず故に到る處旅店の壁などに墨痕淋漓慷慨悲壯の題詩を見るは何れも皆な落第失意の進士輩が歸郷途上の作にして外より之を考ふるときはこの落第生が郷に歸るの後は無聊に堪へずして世に物論の騷がしきを致すならんと思はるれども支那に限りて其沙汰なきは如何なる次第なりやと云ふに實際進士に出づる少年は何れも地方富豪の士弟にして家に十分の餘貲あるは勿論、出京受驗の其間にも顧問として然るべき老儒を雇ふて郷里より同行するものさへある程の次第なれば假令へ落第して家に歸るも生計豊にして自ら身を處するに餘裕あるが故ならんと云ふ支那は文學隆盛の國なりと云ふも其盛なるは一般の人民に普及するの故にあらずして生計に苦しまざる上等種屬の中に行はるるのみ其事實は前に記したる筆の賣高の少なき一事を見ても之を證するに足る可し支那の經世の爲めには甚だ祝すべき現象なりと申すべし顧みて日本の有樣を見れば一國恰も教育に狂するが如く學問は貧生立身の要と認められ父母たる者は自ら衣食の資を省て子弟の教育に費すの風ある其上に維新以來政府は頻りに教育の事に熱心し拮据經營十數年以て今日に至りたる其效果して空しからず日本文學の隆運、支那に幾倍するの成觀を致したるは决して偶然にあらず又我輩とても固より教育を嫌ふに非ず、否な之に熱する者なれども未だ人の肉體を養はずして先づ其精神の機を發くが如きは敢て取らざる所なり我國力の本源たる殖産興業の有樣を如何と問へば十數年來教育の進歩と歩を競ふこと能はざるは人の許して疑はざる所ならん然らは則ち學問上の精神のみ獨り發達して實物の之に伴はざる其永遠の結果を考ふるときは或は天下の貧書生を驅て之を不平の域に陷らしむるの心配はなかるべきやと經世の爲に謀りて甚た懸念する所なり日本國人が筆を用ふること支那人に十倍し假に一年一人一本の割合として人口三千八百萬人に三千八百萬本の筆は一文の錢を生ぜすして却て人生無限の不平を造るの用をなすこともあるべし教育當局者の宜しく熟考すべき所なり