「歐洲に於ける君權民權の運動(前號の續き)」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「歐洲に於ける君權民權の運動(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

抑も十八世紀の末に佛國革命の起りし以來一時君權衰へて民權の運動其勢を得、爾來五六十年渝ることなく千八百四十八年再度の革命後は君權尚尚薄弱に歸したれども其後死灰再燃して此時より歐洲の政治社會は以前に變はり政權漸く一個人の手に聚まるの趣を生じたるは前號に説きたる如くにして特に近年に至りては其傾殊に甚しきを見る可し例へば近來歐洲の人民は兵費の多きに苦められて孰れも之に不平を唱へ又其間には頻に■(にすい+「咸」)兵の事に盡力するもの尠からずと雖も實際に無效なるのみならず毫も其擴張を遮る能はずして一國幾萬の兵を増したりと云へば他の一國は更に之に優るの兵を募り只管他國に拔んずるを期して何れも其凖備に汲汲たり隨て其結果は財用に不足を生じて租税愈愈増加すれども費用愈愈給せざれば競ふて公債を募集し負擔益益重くして人民は孰れも其苦痛を訴へざるなきに君主一人の意然らざるも二三宰相の權力を以て敢て輿論を遮ぎり兵備の擴張に熱心して已まざるは驚くに堪へたる次第なり學者は輿論の勢力の大なるを論じて止まざれども若しも歐洲強國の君主一人が開戰を欲すれば全歐の平和は忽ち破るるに非ずや畢竟歐洲の安危は輿論の勢力に因縁すること少くして君主一人の一顰一笑以てこれを左右す可し、要するに今の輿論の勢力は君權を支配するに足らずして君主實に無責任の地位に在るの例證と稱して可ならん三四十年以前に在りては革命の波瀾未だ全く鎭まらざるより輿論の勢威非常に激しく君主にして若し人民の意志に反する政策を施す時は人民忽ち一揆を起し猖獗の勢を振ふが爲めに萬乘の君も其身を容るるに所なく遂に國を捨てて四隣に奔り或は又人民の手に囚はれ其生命を失したるも少からず斯る次第なるが故に當時列國の君主は何れも人民の一揆を恐れ之に權力を讓與したりしより民權一時に高まり其勢當り難き有樣なりしも爾來反動の結果として逆潮漸く舊に復し遂に今日に至りては人民の一揆少しも君主を恐れしむるに足らざるなり何となれば社會の秩序整齊し中央統轄の政令能く行はれて人民の運動自在ならざればなり又假令へ反亂は起し得たりとするも政府の兵權嚴然たれば人民が烏合の腕力に訴て勝を占むるの望みなきは勿論、殊に其の兵の元帥は君主にして君主の命ずる所には三軍の士生を棄てて歸するが如くなれば一揆の手段は實際に於ても無効なる可ければなり然らば則ち民權の運動は一揆の外に他の方便を要する者として之に代るには暗殺より外に手段あらざる可ければ兇險の術を用ひて其君主を威迫したるの例は去る千八百八十一年露國皇帝の崩御にして其凶變は列國君主の心を寒からしめたれども夫れ迚も警務探偵の嚴密なる今日に至りては其策の再び行はる可しとも思はれず又銘銘の利害より論じて歐洲多數の人民は何れも平和を希望せざるは勿からんなれども君主の位置より考ふれば和を講ずるも利あるに非ず亂あるも損あるに非ず謂ゆる無責任の地位に立ち一身の功名を專として隨意に事を行へば君主の權力は尚尚強大なる可きが故に時として兵を弄ぶの念を發起するも亦人情の自然なる可し勿論君主とても其施政宜しきを得ざるときは國民の怨を招き政務の停滯のみか不測の禍も生ずることなれば其邊に就き全く無頓着には非ざる可けれども概して君權の強大は今日爭ふ可らざるの事實なるが如し之を要するに永遠の大計よりして論ずれば輿論に反する政略は常に破れて漸く民權の運動を進むるに相違なしと雖も學者歴史家が數十百年を一括りにして純粹の理論に訴へたるの説と我輩が眼前に今の歐洲列國を視て其時勢を評するの論と其間に所見の相異なるは雙方共に咎む可きにあらざれば經世家が事の實際に立入りて議論する塲合に若しも學者歴史家の筆意に擬し專ら永遠の事にのみ着目せば時に其觀察を誤る恐ある可し今の歐洲民權の運動は往時に較べて非常の發達を致したるに相違なからんなれども是れは全く數百年間の大勢に付ての談のみ總じて大勢の進歩は波瀾の如く起伏進退種種の觀を表はす中にその一段落より伺へば時に民權畏縮の時限なきに非ず即ち今の歐洲は二三十年來君權復古の有樣と知るべし顧ふに又其復古は久きに渉らずして民權の反動再び熾んなるに至るは必然なれども爰に時事を論ずるに當りては前條兩權消長の趣に着目すること大切ならんのみ    (未完)