「歐洲に於ける君權民權の運動(前號の續き)」

last updated: 2019-10-28

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時事新報に掲載された「歐洲に於ける君權民權の運動(前號の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

現時歐洲に於ける君主人民の關係は前號に述べたる如くなれば次に君主宰相の間に就て其趣を見るに君主の勢力亦非常なりと云はざる可らず例へば今回會合せる獨墺伊三國の宰相の如きは居る所の位置重くして其權力の大なる君主も及ばざるの有樣なれども熟熟事の裏面より論ずれば决して然らざるの觀あり即ち君主にして其議宰相と相納れざるより一朝非常の英斷にてこれを罷免する者とせば縱へ今日までは如何に大權を有する政治家たりとも之を如何とも爲す能はざる可し加ふるに兵馬の權は君主の掌握する所にして宰相は唯文政一偏に任ずるのみなれば勢ひ輿論の力を憑むより外に手段なしと雖も前條に説きたる如く今の輿論は案外に勢力弱き者なれば宰相の位置は頼み少なしと稱して可ならん今日に於ては一種徳義の制裁ありて宰相の權力盛んなるに似たれども是れ唯君主の威光を借りて之に多少自身の働を加へたるまでに過ぎされば實權と云ふを得ず或は列國の君主が現在國家の柱石たる宰相を故なきに罷免するが如きは架空の想像のみ實際にあるべき話ならずと云ふ人もあらんなれども我輩は其然らざるを信ずるなり近くは獨逸に於て皇女婚姻の一事に付き老相ビスマルクより異議を申入れ聽かれざれば辭職せんと己れの位置を犧牲にして婚姻を中止せしめたりしは流石宰相の權力なりとて世人は喋喋之を賞すれども我輩より見れば畢竟宰相の一言を以て其事を止むる能はざるより斯る窮策に出でたる者と評するの外なし若しも君主にして宰相に信用を措かざるか若くは他に斷然爲す所あらんと欲し其謂に應じて辭職を許したらば宰相の進退は如何なるべきや豫め辭職の聞き屆けられざるを恃んで掛冠を求めたればこそ幸に其策も行はれたるなれ此一事は寧ろ宰相の權力の強大を示すよりも却て君主の威權容易に犯す可らざるの證として見るべき者なり其他露墺諸國の君主も英斷敢爲にして其權力の強きことこれに逆へば宰相と雖も免黜を蒙むるなきを期せざるは亦明白の事實なりと云へり

右の如き次第なれば今の列國の帝王は世襲暗弱の君主が虚器を擁して其位に在る者と同日に論ず可らず即ち其權力獨り強大なるのみならず國民を支配するに其英略雄才を缺かざるは概ね然らざるなき中に在りても取分け獨露の兩帝は英邁の資に加ふるに春秋富んで其血氣壯なれば何日如何なる事を想ひ出して决行せんとするも群臣以下人民の容易に制止する能はざるは論を要せず抑も〓臣の關係は時代を共にし進退を共にし又同じく〓〓に臨み若くは政治界に奔走して多年一日の如くなる時は其情至て親密なる者にして獨逸先老帝のビスマルクに於けるが如きは其例證なれ共今の獨露兩帝は其老宰相に對して年齡を異にし思想を異にし又其教育を異にし其出身の時代を異にしたれば君臣の關係は先帝の時と同一視す可らず既に露帝の如きはドギール氏を始め他の諸大臣と意見を異にするとき帝は堅く執つて自ら動けず以て宰臣の議を擯斥するは隱れなきの事實なり又今の獨逸新帝のビスマルクに於ける關係或は露帝のドギール氏に於ける趣に異なる所もあらんなれども左れども故の老帝がビスマルクを寵遇したる眷顧に比すれば新帝の感情は冷淡なるに疑ある可らず而して其位置より見る時は君臣の別、主客の懸隔必ず嚴然たる者あらんなれば平生は兎も角も一旦事あるの日に新帝獨斷の政略を施さんとするに於てはビスマルクと雖も其意見に抵抗する能はざるを知るべし尚ほ墺國の天子に至りても皇儲たる時よりして軍に從ひ功を戰塲に積みたるのみか其人の凡庸ならざるは世人の知る所なり英邁の資或は獨露の兩帝に讓るなきを期せざれども君主の大權を握りて百事を專决するの力あるや明白なり次に伊國の皇帝は有名なる父君エマニユールの氣象を享け少より父を助けて戰爭に從事しサルヂニヤの一州より起て遂に伊太利全國を併一したる功業は少しと云ふ可からず特に春秋に富んで方に有爲の人君なれば其權力亦至て大なりと云ふ此の如く獨露墺伊の四君主が悉く不世出の人物にして血氣孰れも壯なれば之を輔佐する老宰相の意見も充分に行はれざるは盖し怪むに足らざるなり

右の如く今の列國の君主は非常の權力を握りて之に對する輿論の勢力宰相の權威は兩つながら共に薄弱なりとすれば和戰如何は輿論の希望と宰相の異議とに頼らずして君主一人の見を以て左右すること容易ならん即ち獨逸新帝が露墺伊三國の君主を順次訪問したるは唯列國君主の交情を温むる爲めの會合と見る可らずして實は和戰の全權を帶びたる非常委員の談判遊説なるが故に爾今歐洲の活劇は虚を離れて實に入り着着其歩を進むるに相違なからん唯傾向の和戰孰れに决するや此一事のみ暫く我輩の斷言する能はざる所なり (完)