「警察の方針」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「警察の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

警察の方針

警視總監三嶋通庸氏は今春來病氣に罹り療養怠りなかりしかど天假すに毒を以てせず遂に一昨廿三日五十四年を一期として卒去したり氏は明治の功臣にして人となり剛毅果斷その曾て東北地方に長官たりし頃も人の容易に施し難きを斷行して往往世間の耳目を驚かしめたるの事績少なからず轉じて警視總監の任に當りて後も警察事務の能く嚴重に行屆きたるは皆人の知る所にして其形迹は樣樣なれども深く氏の心事を敲けば皆是れ帝室の尊嚴を護り社會の公安を保たんが爲めなるべし其心掛け天晴にして洵に國の良たるに愧ざるなり然るに顧みて世の有樣を視察すれば國會の開設も今後僅に一年少餘を殘すに過ぎずして民間にても彼是國事に忙はしき時節なれば警察の方針も亦之と共に一變せざる可らず葢し警察の事務を類別すれば政事上の警察と人事上の警察と二者ありて今後の方針は寧ろ人事上に緻密なるべきも政事上に寛大ならざる可らざるは言を俟たざる所なれば三嶋總監の心事を演繹するに斯くして漸く政事警察の筆法を和らげ人心を鎭慰して帝室の尊嚴を護持せんと欲せしならん聞く處によれば氏が臨終の際にも唯廿三年三年と唱へて前途警察の方針に付き大に苦慮するものの如くなりしといふ其意蓋し此邊に在るか左れば新たに警視總監の任に當るものは能く此意を體して事務を繼承し此三嶋氏をして地下に瞑目せしめん事を勉めざる可らず思ふに今後政界の騷立つと共に數人相集まりて談合をなすが如きは决して珍らしからぬ事となるべければ中に朝憲を紊亂し人心を撹擾せんとするか若くは陰謀を企てて爆裂藥を裝置する樣の輩は固より之を嚴罰に處す可きなれども單に政治を談論し異説を献替する者までも影を逐ひ跡を尋ねて物物しく取締を施すなどは殆んど益なきのみならず之が爲め却て世の公安に不利なきを期す可らず氏の素志にあらざるや明なり如何となれば氏が心事は帝室の尊嚴を護り社會の公安を保たんとするものにして其公安は即ち帝室を安くするの根本なればなり故に我輩の所望を云へば此公安保護の旨を擴めて人間日常の細事に及ぼし強暴を壓し小弱を扶けて放火盜賊の取締は勿論溝■(さんずい+「賣」)に老婆の倒るるを救ひ路傍に小兒の迷ふを助くる等只管人事警察の行屆かんことこそ願はしけれ即ち警察の本色にして其効用の廣く且つ大なるものと云ふ可し昨年の十二月には保安條例實施の事ありて數百の人人は東京退去を命ぜられ物情甚だ騷然たりしが昨今は追追歸參を許さるる者あり、三嶋警視總監の主意は此一事によりて推測するも稍やその方針を窺ふに足るものなれば是れより着着政事警察の範圍を縮め今年の十二月には全く昨年と反對の趣向に出でんこと我輩の今より樂んで見んと欲する所にして故總裁をして世に在らしむるも其變通の方針は必ず此の如くなる可しと斷定せざるを得ず盖し總監その人は假令へ同一なるも我社會の事情は昨年と今年と同一ならざればなり