「多數崇拜論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「多數崇拜論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

菊池武徳草

文明主義の我國に浸入し來りてより世は新舊更代の時節に向へりとて天下を擧げて舊物破壞に忙はしく社會諸般の事物その影響を被らざるは幾んど稀にして全然新社會を組成せんとの趣なれども凡そ外形を變ふるは易く内實を改むるの難きは物皆然る所にして近來の文明主義とても唯外形を一掃したるのみ其内實に至りては依然として未だ■(てへん+「ノ」+「友」)く可らざるもの甚だ多く爲めに運動不自由の有樣に陷り、顛末不揃の次第となるもの比比鮮なからざるが如し然り而して此文明主義の中に就て最も我國の人事に變革を與ふるの大なるものは夫の多數によりて事を决するの流儀是れなり蓋し一個大人の命令に甘服伏從するときは百事の决行滑にして時に非常の利便を得ることありと雖も動もすれば專横に失するのみならず一人の獨斷は甚だ頼み少なきものにして衆人恊議の安全なるに如かずとの道理より西洋諸國に於ては夙に多數法の勢力を得たるものならん然るに此事たる先年端なく我國に傳來して數人以上に渉る事件は大抵會議に付して多數の决議に從ふこととなり將た人を推撰するにも多數を標凖として小は一私會社の相談より大は府縣の議會に及び今や將に國會を開いて國の法律を制定するにも多數によりて可否せんとするに至れり我輩は决して右の多數法を非とする者にあらす否今後ともに此法の廣く行はれんことを希望するものなれども顧みれば僅僅二三十年の其間に斯る激變を惹起せしことなれば多數法の主義は果して深く人民の腦裡に浸染せしや否や之を實際に徴するに近來一社會一團體の規則として外形は何事も多數に依頼するの法を採用すれども其團體を組織したる個個人人の内心を窺へば怪むべし昔日大人崇拜の念慮は未だ全く去りやらざるが如く好し亦之を崇拜せざるにもせよ未だ重きを多數に置くこと彼の大人を崇拜するが如くなる能はざるは事の明白なるものにして何人も知る所なるべし我輩屡屡各地方議會の模樣を聞くに往往之を證するに足るべき談柄ありて既に多數の議决を經たる後までも一旦議塲に於て唱へたる反對説は固く執りて中中承知せず其極、〓としては紛れて解けざる樣の次第に立到ること少なからざるよし蓋し此等の人人とても其内心は必ずしも執拗邪曲なるには非ずして時代が時代ならば一個大人の指示に甘服して更に他念なき者ならんなれども議塲の衆議は例の不思議の妙力に乏くして大人の指示に似さるが故に銘銘自身の議論を行ふに熱心して今の多數の議决は昔の大人の指示に置換へらる可きものたるを認めざるに由ることならん是も文明草創の際意の如くならざる事の次第として諦らむれば夫れまでのことなれども既に普ねく多數主義の外形を採用して人事諸般の方向を决することとなりたる上は其關係の及ぶ所頗ぶる廣大なるものなれば唯自然の成行に一任す可きにあらず成る丈け此主義の眞實を涵養し孜孜として將來の凖備をなさん事こそ肝要なれ例へば多數と云へば三十人の仲間に於て十四に對する十六も亦是れ多數たらざるを得すして斯る塲合に於ては如何にも堪へ難き樣なれども之を諦むるは則ち重きを多數に置くの本意にして既に一旦議决の上は全く其心事を飜へして他の十六人と共共に同意見の人となり互に相提携補助せざる可らず若し然らすして飽までも自説を固執し陰に陽に反目乖離するの有樣にては其結果如何なるべきや事柄は異なれども爰に數百の兵馬一隊をなして敵と戰はんとするに當り進撃論と退陣論の二派に分れて進撃論は遂に軍議に多數を占めたりとせんに退陣論者は自説行はれずとて空しく手を袖にして傍觀せば進撃の人人は闇闇敵に鏖殺せらるるの外なかるべし全軍の利害を思ふ者は能く此慘状を忍ぶべきや否や自問自答して其非を知る可し左れば何れの會議に於ても未だ决議に至らざる間は如何に審議討駁するも不可なきのみか次會に於て再び前議を呈出するも差支なしと雖も唯一旦决議となりたるものは心の底より是は爭論無用なりと觀念して茲に意向を一變し前の論敵に賛成すること恰も彼の軍人が陣に臨んで進退を共にするが如くならざる可らず米國にて大統領を撰擧せんとする時に當り國人は殆んど半狂して自黨の候補者を撰擧せんと熱中すれども扨いよいよ决定となれば其自黨に落つると敵黨に歸するとを問はず前の狂熱は拭ふが如く消散して恰も大風を夢みたるが如く斯て四年目に非されば决して動搖することなしといふ我輩の常に賛嘆する所にして日本の社會にても今や既に多數法を採用するに至りたることなれば此精神をも併せて移植せんと欲するものなり我國人は此心を以て心とすること能はざらんか廿三年の國會尚早しと云はれて更に一言の答辨なかるべきなり