「憲法將さに發せんとして集會條例は如何」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「憲法將さに發せんとして集會條例は如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

憲法將さに發せんとして集會條例は如何

世上の噂に國會憲法の發布も來年早早なる可しとのことなれば其發布の上は引續き議員撰擧の事も起る可し今日に於ては其撰擧の方法及び人員等の明細は固より知る可らざれども何れにしても日本國民が國民中の人物を撰んで銘銘の總名代と爲し國會の議席に出して銘銘の利益を謀り不利を防がんとすることなれば最上の人物を撰ぶ可きは申すまでもなきことなれども其人撰の前に先づ以て要用なるは銘銘の利害と云ふ其利害の性質を明にするの一事なり例へば田方の地方と養蠶の國と山林の田舍とあらんに利害は各各一樣ならず田租の輕くして米價の高きは田方の利益なれば國會に於て若しも其邊に影響す可き議題に逢ふときは其地方の代議士は力を盡して爭ふ可きなれども養蠶國の議員は唯絹絲絹布の無税ならんことを主張し、山林の田舍議員は材木薪炭の利益を論ず可きのみ此他都邑と在方と海濱川沿と山の手高臺と寒國と暖國と水害國と旱損國と其利害動もすれば反對するものも多ければ各地の撰擧人は先づ自から利害の在る所を詮議討論して然る後に何某ならば必ず吾吾の喜憂する所の事實を明にし國會に於て飽くまでも力を盡して深切に我地方の爲めを謀る可しと相談最中その何某も政治の事は至て熱心にて〓者を當地方の議員に推擧するに於ては多年來の宿論を持出して屹度地方人の滿足を得せしむ可し其宿論とは斯く斯くの次第なりとて公衆に對して披露することならん即ち紛れもなき政談なり又撰擧人の身と爲りては實に大切なることなれば念に念を入れて一席の政談を以て容易に其人を信ず可きにあらず又何某の外に被撰の候補者は幾人もあることなれば彼れと是れとを比較し其才力の剛柔緩急より平生の品行、年來の履歴等に至るまで裏と表と殘る所もなく吟味詮索するが爲めには公然たる相談會もあり又内内の祕密會もあり或は遠近に文通し新聞紙に公言することもあらん或は俄に政友に案内し會議を開くこともあらん其周旋奔走の忙はしきこと恰も村の祭禮の前日の如く又歳末の大晦日の如くなるべくして而して其事柄を尋れば政談ならざるはなし相談内談文通會議一より十に至るまで直接の政談にして來年早早憲法の發布と共に日本國中は酒宴の席にも茶の湯の會にも政治の談を交へ、春風花間に國事を語るが如き奇觀ある可し其奇は實に奇なりと雖も國會議員を撰擧するは地方銘銘の利害に關して大切なりと聞くからには其信實を知るも知らざるも其表題に對して熱心ならざるを得ず人情世界の普通として見る可きのみ

左れば來年は日本國中政談の年柄にして都鄙共に其趣を一にし喋喋囂囂甚だ賑ふ可きは疑もなき所にして扨ここに差向き困難なるは彼の集會條例の始末なり現行の集會條例に據れば政治に關する事項を講談論議する爲め(即ち政談の爲め)公衆を集むる者は開會三日前に其事項、其人の姓名、會同の塲所を其筋に屆出でて認可を乞はざる可らず又政談の爲めに社を結ぶ者は其前に社名社則會塲及び社員名簿を其筋へ出して認可を乞はざる可らず又政談の會塲には警察官吏の監臨を要し其政談が公衆の安寧に妨害ありと認るときは全會を解散せしむることあり又政談の趣旨は廣告するを得ず、文書を發して公衆を誘導するを得ず、政談社は支社を置くを得ず、他の社と連絡通信するを得ず又政談の爲めに家の外に公衆を會するを得ず又政談に限らず何等の名義にても多衆相會するとき警察官が治安保持に必要なりと認るときは之に監臨することを得とあり凡そ此邊の大意にて今の集會條例は今の如く政談の演説も少なく政社の組合も稀なる時節には然る可きなれども前に記したる如く來年に入り滿天下政事相談の世と爲りたる其時にも條例の明文通りに之を實行す可きや否や大に思案を要するものの如し何郡何村の何兵衛が議員人撰の事に付き少少考の品ありて村中の長老五六人を自宅に會し番茶を喫しながら時に當郡本年の洪水非常とは申しながら拙者の記臆五十年來度度の事にして復た今後の災も計る可らず畢竟堤防の不完全即ち我民力の足らざるより斯くの次第にして此堤防費を我一地方に負擔せしめんとするは素より叶はざることなるに中央政府にて之を顧みざるは畢竟政府が我地方の事情を知らず又實際の水理を明にせざるが故ならん就ては今度國會議員を撰ぶには何村の何某こそ屈強の人物なれ之を撰擧して國會に推出し大に全國水理の事情を談じ我地方の堤防費の如きは斷じて中央政府の負擔即ち日本全國民共同の義務たる所以の道理を明にせざる可らず其理由は云云とて内外の著書新聞紙等を引用講談して既往現在水理に關する政府の政策を喋喋辨ずるが如きあらば之を如何せん集會條例に照せば何兵衛は茶話の名義を以て政談を催ほし然かも其會同の前に論議の事項、論者の姓名、會同の塲所をも屆出でずして明に條例を犯したる者なり之を罰せんか、不問に附せんか、苟も條例のあらん限りは罪人を不問に附するの理なしと雖も議員撰擧の一事公然たる上は全國到る處に何兵衛の茶話の如きは日夜聞く所にして實に地方を思ふ人民が人物を撰ぶ要用の爲めに默止し難きのみならず村内無盡講の相談の序にも談じ、宴會終りて歸りの途中にも語る可きことにして逐一これを其筋へ屆出でて認可を求るなど實際に行はる可らざるや明なり強ひて之を行はんとすれば日本國中日に幾千萬の罪人を生ず可きのみ左れば今の集會條例は憲法發布して國會議員を撰擧する日には必ず之を全廢するか又は大に改正を加ふことならんと我輩の固く信じて疑はざる所なれば五十歩百歩ならで五十日と百日との相違にして等しく改正するものならば其一日も速ならんこと冀望するものなり