「官吏の演説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「官吏の演説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官吏の演説

今の日本政府の官吏は公衆に對して政治を講談論議するを禁じられたる者なり本來この禁令は何の爲めにしたるものなるや殆んど解す可らず官吏は政府部内の事に明なるゆえ容易に演説せしめては政機を外に洩らすことあらんとの掛念に出でたるものか、政府の機密は至極大切なるものにして政府部内にても唯上流大臣の方寸に存するのみ假令へ或は之を洩らすことあるも參り聞く者は僅僅數名に過きず故に政治を講談して機密を洩らす可き者は此輩なれども初めより之に機密を語る可きほどの人物なれば其これを洩らすことなきまでの信用はある可き筈なり既に之を信用したる上は特に之に政談を禁ずるの沙汰は全く無用なるが如し或は官吏に政談を語らしむるときは所謂政府の御趣意を誤るの恐ありと云はんか是れ亦過慮なるが如し人生は鬼神に非ず官吏の談する所、時としては政府施政の旨に齟齬することもある可しと雖も一方に誤るものあれば他の一方に正誤して可なり之が爲めに毫も政府の累を爲さざるのみか其稀に誤ることあるは即ち虚心に出でたるの證として却て世に對して政府全體の信を厚ふするに足る可し故に官吏をして誤りに陷ることなからしめんとして其演説を禁ずるは鬼神にあらざる人生をして當さに人生にある可き出來事を免かれしめんとするものにして事の自然にも非ず又政府の利益にもあらざるなり

左れば數年來政府が官吏に政談演説を禁じたるは餘り鄭重に過ぎて其實は政府の爲めに差したる利益ありとも思はれず啻に利益なきのみか今日に於ては却て大に不利なりと云はざるを得ず今その次第を述べんに國會開設に先だち憲法の發布と共に日本國中は政談の世の中と爲り此時に當りて在野の政治家は如何なる意見にして如何なる運動を爲す可きや、幾多の政社幾多の主領其見る所は千種萬樣なる可けれども最後の目的を叩けば今の政府に代て政權を執らんとするものより外ならず然るに現政府の當路者なりとて謂もなく政權を讓る可きにあらざれば在野の政治家は樣樣に方便を求る其中にも最第一の要用は現政府の缺典を摘發して之を天下公衆に明にするに在り即ち其運動は口に發して政談演説と爲り筆に記して新聞雜誌と爲り周旋盡力到らざる所なし試に今日國中に行はるる演説を聽き新聞雜誌を讀むに官民の間に中立して不偏不黨の主義なるものは甚だ多からず一歩を進めて政府に左袒し其意を承けて其政策を幇助するものは極めて少なくして大〓全體の氣風は先づ以て政府の反對に出で表面の言語文段こそ奇麗なれども其内實は然らずして恰も政府の方に隙もあらば切込まんとする勢は暗暗の中に見る可し之を要するに今の日本國中の演説新聞雜誌は在野の政治家に關係のあるとなきとに拘はらず直接間接に其機關と爲り又自から機關の用を爲して以て現政府の缺典を擧るに汲汲たりと云ふも不可なきが如し政府の爲めに容易ならざる不利なり然かのみならず其缺典も眞實の缺典なれば尚ほ忍ぶ可しと雖も人民も亦官吏と共に鬼神ならずして往往事實を誤り先入主と爲りて只管政府に向て不平を鳴らし甚だしきは政策の長所は默默に附して唯その短所のみを摘發し以て一定の方針と爲すものさへなきにあらず益益政府の不利と云ふ可し是れも明治初年より今日までの政體にして條例を嚴にし視察を密にして運動の區域を狹くし其働を窮窟にすれば堪ふ可らざるに非ずと雖も今や千古未曾有の國會を開いて人民に議政の權を授け其權力の強弱こそ知る可らざれども兎に角に内閣と相對する一政院を作らんとするに當り其政院なるものが全國多數の演説も新聞雜誌も自家の機關に利用するとありては政府は恰も自から自家の言論の道を塞いで天下の耳目を他に奪はるるものに異ならず苟も政治の思想あらんには其不利を知らざる者なかる可し然らば則ち之を如何せんと云ふに現政府も既に此千古未曾有の擧に際會するからは自から一種の政黨なりと覺悟を定めて大に官吏即ち其黨員の言論を自由にし苟も在野黨の主義言論に方向を違へ事實を誤るものあらば遠慮なく之を駁撃して自黨の勢力を維持し公明正大に優劣を爭ふは啻に現政府の利益のみならず亦我政治上の盛運と稱す可し近日聞く官報にも改正を加へて時時發布の法令に註解を施す可しなど云ふものあり即ち政府が新聞紙を利用して自家の意見を明にするの一端にして我輩の甚だ贊成する所なれば此趣旨に基き官吏に政談演説の禁を解かんこと冀望に堪へざるなり