「軍器を米國に需むべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「軍器を米國に需むべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

軍器を米國に需むべし

世界の建國一にして足らずと雖も凡そ米國の如く安全幸福なるものはある可らず東の方大西洋の岸を隔てて歐洲大陸の形■(「生+丸」の下に「力」)を察すれば強國四方に分離して讐敵の念深く孰れも兵備を擴張して戰爭の破裂旦に夕を保たざるの有樣なり又西の方大平洋を隔てて亞細亞地方の形状を如何と云ふに其國勢急に迫りて獨立を全ふするもの殆ど稀れなれども獨り米國は其中間に立て能く國權を維持し毫も他に辱かしめらるることなく邦土廣大にして地味厚く、資本豊にして人智亦敏く人人皆貨殖の道に忙はしくして殆ど他に戰爭干戈の沙汰あるを知らざるものの如し左れば陸海の兵備と雖も名有て實無く恰も藩籬なき樂園なれども外人の容易に之に闖入せざるは米國の幸福無上なりと云ふべし

然るに米國の人民は更に一歩を進めて歐洲列國の形勢只管戰備に忙はしきを窺ひ坐ろに商賣の念を起し幸ひ歐洲に於ては軍器の需用盛にして何れも之を贖ふに汲汲たる折柄なれば此際我米國に於て新奇新制の軍器を發明製造して大陸諸國に出したらんには利を得ること莫大ならんとの考を起したるは一朝一夕の故に非ずして素より意匠工夫に富み其資本も亦豊なる國民なれば機を視て諸般の軍器を新造し或は又舊來の軍器に改良を加へて之を歐洲に輸送したるに其鋭利輕便歐人を驚かしめたる者少なからず殊に近代戰爭の勝敗は軍器の鋭否如何に依るものなるが故に苟も新奇有用の發明なれば爭て之を購ふこと各國皆然らざるなきより米人は尚ほ尚ほ歐洲爭亂の危機を利して有利の商賣を試み今日米國製造業の盛なる中に在りて軍器の製作も其一部分を占むるに至りたるは明白の事實なりとす

例へば今の戰爭に必要なる軍艦の如きは其構造日日に改良を加へて一新又一新殆ど際限なき折柄米人は之に工風を凝らし諸種の新形を造るに其創意の妙、歐人をして往往驚服せしむる者あり又大砲に至りても米國製の器械砲は一種鋭利にして其射力強くして且つ遠きに達し運送にも便利なる等世人の知る所にして殊に近來に到りては「ダイナマイト」砲とて彼の激烈なる爆發藥を利用して新規の砲門を造りたる如き即ち從來の火藥砲に比すれば非常の力あること論を俟たざる所にして將來戰爭の依て以て一變すべきは此「ダイナマイト」砲の發明に在るならんとは世論の許す所なり次に又必要なるは水雷火及び水雷船にして今日まで其製造に有名なるは英國若くは日耳曼なりしと雖も米人も亦近來は大に之に工風を凝らしたるより米國形水雷船の裝置構造は彼の英獨製に勝る所も多く最近發明の水雷火に到りては其工風最も奇にして水中を潛り敵艦に衝突する其衝力至て劇しく且つ命中誤らざるものを得たりと云ふ

右の如く米國に於ける軍器の製造は盛なるものなれども今日迄は專ら歐州諸國を市塲と爲すの考えて東岸の諸州即ち「ニユーヨーク」邊の沿岸に在りて其製造を營みたりしに近來は西岸諸州も次第に開けて就中桑港は太平洋御海岸第一の貿易市塲たるより頴敏なる米人は巳に之に着眼し更に太平洋の海岸に軍器製造所を起し日本支那を始め東洋に於ける軍器の注文を引受け大に購賣を試みんとするものあるに到り巳に桑港にある某有名の製鐵會社は軍艦水雷船の新雛形を造り人を東洋に派して各國の政府と特約を結ばしめんと昨今其計畫に付き委員をも派出したる由なり且つ軍器の製造は製鐵の事業に伴ふものなれども製鐵の事業は又鐵道の事業に密接に關係を有するが故に鐵道事業の盛なる米國に近時製鐵事業の起る可きは自然の順序にして之に加ふるに米人の發明工風と資本と伎倆とを以てするときは假令へ今日に速成を見ざるも其盛大を致すは必ず遠きに非ざる可し東洋諸國の爲めに謀りても亦便利なりと云はざるを得ず今日まで我日本に於て軍艦大砲若くは水雷船を購求するに當りては何れも歐州諸國に注文したれども其距離遠くして獨り運送の點より論ずるも尚且つ不便尠なからざりしに今や岸を隔てて桑港の海岸に斯る軍器製造所の興るに於ては日本人は今後これを利用するの工風あらんこと偏に我輩の祈る所なり