「責任内閣望なきに非ず」
このページについて
時事新報に掲載された「責任内閣望なきに非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
傲霜生寄稿
明年早早發布すべしと聞えたる我が憲法は内閣をして施政上に人民に對して責任を負はしむべきや否や或は法文の解釋次第にて有責任ともなり無責任ともなりて模糊たる間に實權は飽までも政府の手に掌握し國會は恰も下問の府となる樣のことなかる可きやとて我輩は過日の時事新報紙上に其疑問の大意を一讀したり蓋し國會は東洋未曽有の大事にして我國人の曾て耳にだもせざる所のものなれば事に不慣なるは勿論にして國の立法に參與するさへ容易ならざるに况して其議論の模樣により内閣ここに更迭して政權を授受すると云ふに至りては爾後の政治如何なるべきや甚だ不安心なる次第にして斷じて責任内閣となさんと欲する中にも亦退て躊躇するは獨り在朝の當局者のみならず我輩在野の者に於ても聊か懸念なき能はざる所なり何れも多少危惧の念なきには非ざれども熟熟日本國民の氣質を考察し來れば責任内閣の一事、難は則ち難なりと雖も強ち危惧の念のみに蔽はる可きにも非ず人生智ありと云ふと雖も又一方より視れば至極無智なるものにして之を有形物の發明工風に徴するに電信蒸汽船車等の効用は今日の人事に缺く可らずして匹夫匹婦に至るまでも之を利用し之を日常普通の具として怪しむ者なしと雖も其發明工風の前日までは實際に行はる可しと認めたる人なし啻に凡俗世界に於て然るのみにあらず當時最上の知識と稱する學者輩に至るまでも電氣蒸氣説の妄談を嘲りながら其成功を見て更に敬服せし次第は歴史上の事實ならずや然りと雖も無形の人事を變ずるは有形物の新工風の如く容易ならずと言はんか我輩は其言を拒む者に非ず我國政の如き實に百千年來の習慣に由來するものなるが故に今日國會を開いて内閣を責任内閣と爲さん抔實に意外の妄想なりとするも謂れなきに非ざれ共今ここに事の先例を有形物の發明工風に取らず又百千年の古に求めずして近く三十餘年來の日月に限り我人事政事上に如何なる變化を生じて如何なる成跡を得たるやと靜に之を思へば彼の責任内閣の妄想も或は實際に妄ならざるの不思議なきを期す可らず今を去ること三十餘年米國の使節ペルリ來りて通商を吾に求むるや世論俄に鼎沸して攘夷打拂の議論最も喧しかりしも時の執政は米使の言を容れて遂に開國と一决し天下に號令して外人と交際するに至れり世或は此一擧を目して恰も外國の猛威に迫られ恐懼止む能はずして餘儀なく其言に屈從したるが如く思ふ者もあらんと雖も畢竟事情に通せざる皮相の見にして世に貧弱なる東洋諸小國の如きも時としては大國に抵抗することあり、棍棒竹槍の外に武器を有せざる南洋野蠻の人民にてすらも猶且つ強國の侵略に抗して敢て一撃を試むる者あるに非ずや然るを况んや兵技精錬にして尚武一偏に育せられたる日本武士が戰はんと欲して戰ふ能はざる者に非ざるや明白なりと雖も計、爰に出ですして却て平和の局を結びたるものは心竊に大勢の赴く所留めて駐む可らざるを認めたるに由らすんばあらず其は兎も角も既にして國を開くに及び曩に外人を呼ぶに醜慮を以てせし者が飜然として敵愾の情を拭ひ去り之を親友として敬愛するのみか其文物を入るるに汲汲として更に他念なきものの如く爾後文明の進歩は日一日に進歩して長足まさに泰西に比肩せんとするに至りたるは千古未曽有の美事にして假に西洋人をして地を日本に替へしむるも决して能くし得べき所にあらず扨て吾吾が今日この文明の境遇に居り顧みて三十年の古を回想し當時に在て開國と决斷したる我國人は果して斯る好結果を三十年の後に期したるやと云ふに我輩は世人と共に其决して然らざりしを信ずる者なり然らば則ち今の我文明は古人が其然るを圖らずして得たるものなれば古人は唯漠然の間に宇内の大勢を視察して國是の方向を定めたるのみにして爾來その方向に從ひ文明の門に入りたる者は後世の日本人民にして其天賦に一種不思議の美質を存し變化の意外に巧なるを證するに足る可し之を第一例とす次に王政維新の事情を如何と顧みるに抑も徳川の政府は三百年間の昇平を持續し法度正しく律令嚴にして既に能く民心を得たるのみならず資財豊にして府中に人材も乏しからず其威權の熾なる海内誰ありて雄を爭ふ者なく薩の松平修理太夫、長の松平大膳太夫の如きも皆是れ命を受けて配下に屈從せしものなれば其基礎の鞏固なること磐石の如く當時にありて徳川政府の顛覆などとは天下更に思懸けたる者ある可らず然るに一朝偶然の事よりして遂に王政維新の革命を見るに至りたるは誠に案外の事相と云ふべきのみなれ共其革命は未だ以て大に驚くに足らず古來何れの國にても斯る大政府の顛覆する時は殘炎餘燼中中に消滅せずして舊を懷ふの臣民、徒黨相結んで此處に伏し又彼處に現はれ陰に陽に後の施政者を惱ますの常なれとも獨り幕府廢滅の騷動は僅僅數箇月にして事を畢り王政維れ新まりて以來雨晴れ雲散して些少の塵影を止めず滿天地の風物■((にすい+「熙」の上)+れんが)■((にすい+「熙」の上)+れんが)として文明の春まさに酣なり俚俗の占夢に昨夜兇刃に害せらるるを夢みて今朝金を得たるの類と云ふべし是れ我輩が日本人民の氣質に一種不思議の趣ありて變化の意外に巧みなるを證する所以の第二例なり
(以下次號)