「在外公館の數」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「在外公館の數」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

在外公館の數

公使領事を條約各國に派遣して國交際を圓滑にし通商貿易を便ならしむるは洵に緊要なる事なれども凡そ國の政務は國の貧富の度に隨て伸縮せざる可からざるものにして其趣は恰も一己私人の家事に異なることなかる可し今夫れ貧人にして漫然富者の事を學び内に衣食の奢を極め外に交際の豪を張る者あらんには少しく思慮ある人は之を視て其愚を笑ふことならん然らば則ち日本國にして漫然英國を學び其國交際に消費する金額正に英政府の所費に等しと云はんには世界識者の笑を招く可きこと亦明白なるべし明治廿一年度の歳計豫算表を視るに在外公館の支出額は六十五萬九千八百餘圓とありて公館の數は公使領事の兩館を合計して凡そ三十箇所なりと云ふ扨此支出額は今の日本に取りて多き歟、將た寡き歟貧富の度に適するや否やと問ふに我輩は之に答へて其額多からず正に適度なりと云ふを得ざる者なり内治外交に付き文明の攻略は大切なりと雖も何分にも今の政費は今の民度に不釣合にして早晩その節■(にすい+「咸」)法を講ずるの日ある可ければ右の公館費の如きは今より其法を講じて之を實施するも事に大なる差支はなかる可し例へば從來は英國倫敦、佛國巴里、伊國羅馬、和蘭海牙、獨逸伯林、墺國維也納、露國彼徳堡、米國華盛頓、清國北京、朝鮮國京城の十箇所に公使館を置きたれども之を半■(にすい+「咸」)にして英國倫敦、佛國巴里(或は獨逸伯林)米國華盛頓、露國彼徳堡、清國北京の五箇所と爲し在任の公使をして其近隣なる條約國の公使を兼務せしむること支那の遣外公使の如くならしめたらば其國交際上に於て著しき不都合を生ず可き歟我輩の左まで心配せざる所なり交際に不都合なくして費用を■(にすい+「咸」)ず可しとあれば今の時節柄に於て之を斷行するは智者の事なりと云はざるを得ず

蓋し外交政略は國家の安危に關すること大なる事にして然かも虚實相半する性質のものなれば一概に錢の計算のみに依頼して損益を勘定す可らず事柄と塲合とに據れば六七十萬圓の費用は固より惜むに足らず千百萬金をも棄つ可きなれども之を棄てて確に報酬の目的なきものは一錢たりとも節■(にすい+「咸」)の要を忘る可らず今日政府に於て外交政略の目的は何れの邊に在る歟、固より機密に係る事にして知る可き樣なしと雖も例の條約改正の如きは最も重大なる事柄なれば今の在外公館の數を■(にすい+「咸」)して費用を節するに就ても最も勢力ある反對論は條約改正の點より來ることならんなれども我輩の見る所を以てすれば假令へ公使の數を半■(にすい+「咸」)にするも其撰任に更に一層の注意を加へて適當の人才をさへ得るに於ては事務の功績は從前に劣ることなきのみならず却て其人の活動を逞ふせしむるに足る可しと信ずるものなり如何となれば外交は頗る頴敏なる事務にして其成敗は人數の多少に在らずして人才の當否に由る可ければなり否な、時としては人の多きが爲めに却て方略の齟齬することさへある可ければなり斯く云へばとて我輩は現在の在外公使領事等を評して其任に當らずとするに非ず况んや其人の誰れ彼れを是非するが如き愼んで自から禁ずる所なれども文明日新の世に分業法の行はるること果して利なれば外交の事も亦この法に由らざるを得ず竊に諸外國の慣行を視るに外交の事務は近來一種專門の風を成して其人を撰ぶこと甚だ容易ならざるが如し萬國公法をも修めず交際學をも知らず又任地の國語にも通ぜざる者が一朝にして任ぜられたるが如きは曾て聞かざる所なり例へば英國の遣外公使の如き大抵皆その始めは公使館付の書記にして漸次に昇進したる者なれば其專門の交際學に明なるのみならず多年の實地經驗に由り内外萬事に通達して不都合少なしと云ふ左れば我日本國に於ても自今公使領事等を命するには適當の人才を撰ひ精撰の上にも精撰して若しも其人を得ざるときは寧ろ其任處の位を空ふするも苦しからずと覺悟すると同時に在外の公使には都て兼任を命するときは人員の少なき割合に其才智は高きを致し事務に停滯齟齬の患なくして費用は則ち節■(にすい+「咸」)するを得べし一擧兩全の策として我輩の速に其實施を祈る所のものなり